梅田貨物線
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梅田貨物線(うめだかもつせん)は、大阪府吹田市の吹田駅で分岐し、大阪市北区を経由して福島区の福島駅で大阪環状線に接続する東海道本線の支線の通称である。
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[編集] 路線データ
- 管轄:西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)・日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):吹田~福島間(8.5km ただし旅客鉄道会社営業キロ設定なし)
- 複線区間:吹田~梅田間
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:複線自動閉塞式(吹田~梅田)、単線自動閉塞式(梅田~福島)
- 運転指令所:新大阪総合指令所
[編集] 概要
東海道本線と大阪の鉄道貨物の拠点である梅田駅や桜島線の安治川口駅とを結ぶための貨物線で、これらの駅に発着する貨物列車が多数運行されている。また、京都・新大阪方面と関西国際空港や南紀方面を結ぶ旅客列車も運行されている(後述)。
東海道本線の複々線と北方貨物線の複線に並行して神崎川を渡り、新大阪駅の手前で北方貨物線と分かれ、淀川を渡った先で大阪駅に向かう東海道本線と分かれ、大阪駅の北側に位置する梅田駅を経由して、福島駅構内で大阪環状線に並行するが、西九条駅まで独自の単線を有しており実際に合流するのは同駅構内である。梅田駅から福島駅までを複線化する計画があったが地元の反対で無くなった。
福島駅付近では大きな道路(なにわ筋)と平面交差しているために激しい渋滞を引き起こしている。またこの区間では徐行運転が強いられているためにダイヤのネックになっている。
2004年10月の近畿地方交通審議会答申第8号では、「京阪神圏において、既存施設の改良に関し検討すべき主な事業」として、大阪駅北地区(北ヤード)再開発に関連して、梅田貨物線の地下化と、九条梅田線と四つ橋筋との交差点北西部付近に新駅を設置し、特急「はるか」や「くろしお」等を停車させることで関西国際空港や和歌山方面へのアクセスの向上を図ることが盛り込まれた。[1]
[編集] 歴史
1928年、大阪駅北方に梅田駅が開設されるのと同時に開業したが、当時の梅田駅は大阪駅と同一駅の扱いで独自の営業キロは設定されなかった。1934年には西成線の福島駅に延伸されたが、これも営業キロが設定されていない。「梅田貨物線」に独自の営業キロが設定されるのは1961年のことである。
旅客列車の運転は、1988年の「ならシルクロード博覧会」開催にともなう臨時列車が新大阪~奈良間に運転されたのが最初である。翌1989年には紀勢本線直通の特急「くろしお」の一部が新大阪発着となり、定期で経由するようになった。1994年からは、関西国際空港アクセス特急「はるか」もこの線を経由している。大阪環状線(複線)と並行する区間では同線のさらに外側に敷設され、かつ行き違い不能の単線区間が存在しているうえ、下り電車は上り線と平面交差して西九条に到着するため、この2つの特急の走行路線のどこかで遅延があるとそのままずっと遅れを引きずり、道連れとして大阪環状線の上下電車も遅れてしまうという綱渡りダイヤなのが現状である。それに加え、新大阪駅の発着ホームが1つしかないために、上り電車が新大阪手前で下り電車を待っていることが多い。
本来は貨物線だったところに旅客列車を通すという運行手法はJR東日本の湘南新宿ラインでも採られている。
- 1928年(昭和3年)12月1日 上淀川信号場~梅田間開業(梅田駅は大阪駅と同一駅の扱いで営業キロの設定なし)
- 1934年(昭和9年)6月2日 上淀川信号場廃止により起点を吹田に変更
- 1961年(昭和36年)4月6日 営業キロ設定(梅田駅の大阪駅との同一駅扱いを止め、別線別駅扱いに変更)。吹田~梅田(7.6km)
- 1969年(昭和44年)9月13日 吹田~梅田間が電化
- 1934年(昭和9年)6月1日 梅田~福島間開業(営業キロの設定なし)
- 1961年(昭和36年)4月6日 営業キロ設定。梅田~福島(1.0km)
- 1965年(昭和40年)3月18日 改キロ(-0.1km)
- 1970年(昭和45年)4月1日 梅田~福島間が電化
- 1974年(昭和49年)10月1日 区間統合。吹田~梅田~福島(8.5km)
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継(営業キロ計上せず)。日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる。
- 1988年(昭和63年)4月24日~10月23日 新大阪~奈良間の臨時旅客列車設定
- 1989年(平成元年)7月22日 定期旅客列車設定