くろしお (列車)
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くろしおとは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が、京都駅・新大阪駅・天王寺駅~和歌山駅・紀伊田辺駅・白浜駅・新宮駅間を東海道本線・大阪環状線・阪和線・紀勢本線経由で運行するエル特急。
元々は白浜の温泉など沿線観光地への観光特急であったが、近年は通勤特急としての色合いも濃くなっている。
なお本項ではこの列車から派生した、同区間を運行する特別急行列車であるスーパーくろしお・オーシャンアローや過去にあったきのくにについても記す。
目次 |
[編集] 運行概要
- 使用車両
- オーシャンアロー
- スーパーくろしお・くろしお
- 停車駅
- <京都駅> - 新大阪駅 - ≪西九条駅≫ - 天王寺駅 - (鳳駅 - 和泉府中駅 - 日根野駅 - 和泉砂川駅) - 和歌山駅 - (海南駅 - 箕島駅 - 湯浅駅) - 御坊駅 - (南部駅) - 紀伊田辺駅 - 白浜駅 - (椿駅) - 周参見駅 - 串本駅 - (古座駅 - 太地駅) - 紀伊勝浦駅 - 新宮駅
- ()内の駅は一部列車停車
- <>内の京都駅は一部列車始発・終着駅
- ≪≫の西九条駅はユニバーサル・スタジオ・ジャパン開場時間に合わせ停車(朝の上りと夕方以降の下り)。
- 大阪駅は通らない。市販の時刻表でも注意書きをされている。
- 南紀方面への観光特急の色合いが強いために、ほとんどの列車は自由席が2両しかない。また、近年は本列車と阪和線の快速電車との格差が広がっている関係で新大阪~和歌山間の利用者が増えていることや、ラッシュ時には和泉府中駅と日根野駅、和泉砂川駅にも追加停車する列車が増えていることから、ラッシュ時を中心に特に2号車(禁煙車の自由席)に偏って激しく混雑する傾向がある。なお和歌山始終着となる下り最終(35号)、上り初発(2号:臨時延長扱いで海南始発)の「スーパーくろしお」に関しては、阪和線内や新大阪から新幹線利用者の通勤特急的な色合いもあるために、自由席が4両になる。また新宮発京都行き「スーパーくろしお6号」は、きのくに線内の通勤客に対応するため自由席が3両になる。なお2007年3月18日のダイヤ改正で近距離特急を中心に全面禁煙にする方針を打ち出しているが、この列車では全面禁煙にはならない見通しである。
- 2号車(禁煙の自由席)に乗車の場合の1号車(グリーン車)からの乗車は禁止されている。
- 定期運行される全区間に渡って、割安なB特急料金が適用されるものの、JR西日本が近距離特急料金を設定していない(最短が50キロまで自由席630円、指定席940円~1,340円)関係で、通常特急料金が割高になる。そのため南海本線の特急「サザン」のワンコイン特急券(常時500円)への対抗上南大阪特急回数券(日根野、和泉府中駅向け:関空特急「はるか」にも適用)、阪和線特急回数券(和泉砂川、和歌山駅向け)や「はるか、くろしおマイシート」(特定列車の指定席、グリーン車利用)などを発売して常連客への値下げを行ってきている(この施策は琵琶湖線、JR宝塚線、北陸地区などでも行われている)。
- 1989年までは全列車天王寺駅始終着だったが、今は天王寺始発は原則として臨時列車のみとなっている。その為、東海道・山陽新幹線からの乗り継ぎで、天王寺発着の列車には、乗継割引は適用されない。
- 「くろしお」・「スーパーくろしお」・「オーシャンアロー」はみやこ列車区・天王寺車掌区・和歌山列車区・新宮鉄道部の車掌区が分担して担当している。また、全区間乗車する場合もあれば、和歌山や天王寺で引継ぎを行う場合もある。
- 「くろしお」・「スーパーくろしお」として使用している381系も運転開始から20年以上が経過しており、バリアフリーへの対応や車両の老朽化が進んでいる為に後継車種の投入が求められている。
- 283系投入以後動きが止まっていた新車の投入であるが、阪和線内で快速と併結運転を行う案と共に100両程度の新型車が投入される方向で検討されている模様である。
[編集] 列車名について
「くろしお」の名称は、「黒潮」(くろしお)(学名としては「日本海流」)にちなむものであるが、それ故この海流に面している地域で採用出来る列車名でもあった。そのため、大阪対南紀直通列車の系譜を引く紀勢本線列車以外にも日本国有鉄道(旧国鉄)では、四国・房総半島の合わせて3地域で「くろしお」・「黒潮」の名が同時使用され、重複するという事態が起こった。
- 1961年10月より四国の高松駅~窪川駅間を運行する急行列車「黒潮」。→2007年現行では「南風」・「しまんと」に相当する。
- 1963年10月より、房総地方で両国駅~安房鴨川駅間を走る準急列車として(平仮名書きの)「くろしお」。→2007年現行では「わかしお」に相当する。
これらは、1965年10月、四国の「黒潮」が「南風」に、房総の「くろしお」が「外房」にそれぞれ改称され、「くろしお」の愛称3重複はこの時解消した。
又、京成電鉄でもこの愛称を使用していたことがあったとされる。
[編集] 大阪対南紀直通優等列車沿革
[編集] 戦前南紀直通快速列車「黒潮号」
第二次世界大戦前の1933年11月~1937年12月、大阪から南海鉄道(現在の南海電気鉄道南海本線、以下「南海線」)ないしは、阪和電気鉄道を経由して白浜口駅(現・白浜駅)へ直通する週末快速列車「黒潮号」(くろしおごう)が運行された。詳細は同列車の項目を参照されたいが、運行当時は関西本線~王寺駅~和歌山線経由で連絡が可能であるものの、大阪~和歌山間を直接結ぶ鉄道を国鉄が管理しておらず、その点では私鉄による国鉄への飛び地路線への直通運転という異例な形を採ったことや、当時としては特別急行列車以外では異例とされた公募による列車愛称の付与、南海鉄道・阪和電気鉄道・鉄道省共にその運営事業者が互いの威信を賭け列車運行を行ったことで知られる。
[編集] 戦後の展開
- 1948年(昭和23年)7月1日、不定期列車として天王寺駅・和歌山市駅~新宮駅間を運行する夜行準急列車2010・2011列車が運行される。この列車が大阪対南紀直通優等列車の戦後復活運行とされる。
- 1949年(昭和24年)9月15日、2010・2011列車、天王寺駅~新宮駅間を運行する準急列車として定期列車化。
- 1950年(昭和25年)4月1日、天王寺駅~新宮駅間を運行する臨時昼行準急列車3401・3400列車が設定される。
- 1950年10月1日、天王寺駅~白浜口駅間を週末運行の臨時快速列車として3402・3403列車が設定される。この列車には戦前のそれに倣い「黒潮」(くろしお)の愛称が与えられた。
- 1951年(昭和26年)5月7日、夜行準急列車108・7列車を普通列車に格下げ。またこのころ、「黒潮」に南海線直通難波駅発着の編成が充当される。運行当初は南海所有の客車が充当されていないためである。
- 1951年10月1日、準急列車105・106列車に「熊野」(くまの)の列車愛称が与えられる。
- 1952年(昭和27年)5月頃より、「黒潮」の難波駅発着編成に南海所有客車サハ4801形客車の使用を開始する。但し、1両のみの所有であったため、多客時には国鉄所有車両を貸し出す形で運用されていた。
- 1953年(昭和28年)5月1日、天王寺駅~白浜口間を運行する臨時準急列車として「南紀」(なんき)が運行を開始。同年11月11日には定期列車化する。
- 1954年(昭和29年)10月1日、「黒潮」天王寺駅発着1往復を増発。と同時に準急列車化。
- 1956年(昭和31年)11月19日、このときのダイヤ改正に伴い、天王寺駅~白浜口駅間を毎日運行する臨時準急列車「しらはま」と新宮駅→天王寺駅間を運行する準急列車103列車を設定。また、「黒潮」・「熊野」の愛称を「くろしお」・「くまの」とひらがな表記にする。
- 1957年(昭和32年)10月1日、「しらはま」定期列車化。
- 1958年(昭和33年)10月1日、準急103列車に「はやたま」の愛称が与えられる。
- 1958年12月1日、天王寺駅~白浜口駅間をキハ55系気動車による全車座席指定制準急列車「きのくに」が運行を開始する。
[編集] 紀勢本線全通後
- 1959年(昭和34年)7月15日、紀勢本線全通に伴い、以下のように変更する。
- 「くまの」の運行区間を天王寺駅~名古屋駅間に延長。紀勢本線全線を通しで運行する準急列車となる。
- 「きのくに」毎日運行の臨時列車1往復増発。この列車には南海線難波駅発着編成を連結する。
- このとき、南海側はキハ55系と同一水準のキハ5501形・キハ5551形気動車を新製し準備したが、南海側で自社線内での乗務員養成が間に合わず、エンジンをアイドリング状態にして電車で牽引していた。
- 天王寺駅~新宮駅間を運行する夜行普通列車を準急列車に格上げ。この列車に「はやたま」の愛称を与える。これにより、「はやたま」は変則的ながらも上下1往復の体裁が整う。
- 1959年(昭和34年)9月22日、「南紀」運行区間を天王寺駅~新宮駅間に延長。同時に気動車化を行う。
- 1959年(昭和34年)10月20日、従来毎日運行の臨時列車であった「南紀」・「きのくに」1往復を定期列車化。
- 1960年(昭和35年)6月1日、「はやたま」を「南紀」に編入。これにより、「南紀」は気動車昼行列車と客車列車1往復ずつの2往復体制を採る。
- 1960年10月28日、毎日運行ながら天王寺駅~新宮駅間を運行する臨時準急列車として「臨時南紀」(りんじなんき)が運行を開始。
- 1961年(昭和36年)3月1日、ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 1962年(昭和37年)2月1日、天王寺駅行き「南紀2号」を客車列車化する。
- 1962年(昭和37年)3月1日、ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 1962年]](昭和37年)6月10日、天王寺駅~紀伊椿駅(現:椿駅)間運行の「きのくに」1往復を増発。
- 1963年(昭和38年)10月1日、ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「はまゆう」の天王寺駅発着編成の列車を「しらはま」に変更。また、「はやたま」に白浜口駅→天王寺駅間編成を連結開始し、これにも「しらはま」の愛称を与える。これにより、「しらはま」白浜口駅行2本天王寺駅行3本の体制を採る。
- 「南紀」の難波駅発着を増発。昼行の全列車が天王寺駅・難波駅~新宮駅間の運行となる。
- 「きのくに」1往復増発 4往復体制を採る。
[編集] 特急「くろしお」の登場とその後の展開
- 1965年(昭和40年)3月1日、天王寺駅~名古屋駅間を関西本線・紀勢本線・阪和線経由で運行する特別急行列車として「くろしお」の運行を開始する。
- 1965年(昭和40年)10月1日、ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「しらはま」天王寺駅行1本増発をする。
- 「きのくに」白浜駅行き1本を新宮駅まで運行区間を変更。
- 1966年(昭和41年)3月5日、準急制度改変に伴い、「はまゆう」・「しらはま」・「南紀」・「きのくに」・「はやたま」急行列車に格上げ。
- 1966年10月1日、ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 1967年(昭和42年)10月1日、ダイヤ改正に伴い以下のように変更する。
- 「くろしお」天王寺駅~白浜駅、天王寺駅~新宮駅間各1往復ずつ増発。これにより、3往復で運行する。また「くろしお」の列車号数を下り天王寺駅行きを奇数、上り名古屋駅行きを偶数とする。
- 「しらはま」1往復廃止。「しらはま」白浜駅行き3本天王寺行き2本の運行となる。
- 「はやたま」運行経路を桜井線経由に変更。
- 1968年(昭和43年)10月1日、のちに「よんさんとお」と称されるダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「くろしお」列車号数を上り名古屋駅行き方向偶数・下り天王寺駅方向奇数とする符番から上り・下り共に出発順に符番する方式に戻す。また、季節列車として天王寺駅~白浜駅間では白浜駅行きを2本、天王寺駅行きを1本、天王寺駅~新宮駅間では新宮駅行きを1本、天王寺駅行きを1本増発する。但し、天王寺駅→新宮駅間のそれは天王寺駅→白浜駅間運行の定期列車を白浜駅→新宮駅間を延長する形で増発となった。
- 東和歌山駅発着を発着し紀勢本線内で完結する急行列車の内、阪和線・南海線直通の急行列車の愛称として「きのくに」の愛称が与えられる。これにより、「きのくに」は定期列車では天王寺駅発10本、天王寺駅行き8本、季節列車3往復、難波駅発着は定期列車3往復、季節列車1往復の体制となる。また、これにより「南紀」の名称は廃止される。
- 奈良駅を経由して紀勢本線に発着する急行列車であった「はまゆう」・「はやたま」の愛称を統合。新たに「しらはま」の愛称を与えられる。「しらはま」は京都駅・名古屋駅~白浜駅1往復と新宮駅→白浜駅→五条駅→奈良駅→名古屋駅間の1本となる。
- 名古屋駅~天王寺駅間直通急行列車であった「紀州」は名古屋駅発着の紀勢本線急行列車の総称となる。なお、この際、1往復名古屋駅~紀伊田辺駅間運行列車も設定される。→こちらも参照されたい。
- 1969年(昭和44年)10月1日、「きのくに」天王寺駅~白浜駅間運行の臨時列車を1往復増発する。
- 1970年(昭和45年)10月1日、このときのダイヤ改正により、「くろしお」白浜駅→天王寺駅間運行の季節列車を1本増発。また、天王寺駅~白浜駅間運行の1往復を季節列車化する。
- 1971年(昭和46年)11月2日、天王寺駅~紀伊勝浦駅間を運行する臨時特別急行列車として「ブルースカイ」が運行される。
- 1972年(昭和47年)3月15日、このときのダイヤ改正により、以下のように変更する。
- 「くろしお」は白浜駅発着列車を新宮駅発着に変更し、新宮駅発着3往復、名古屋駅発着1往復の4往復体制となる。
- 「しらはま」の名古屋駅・京都駅~白浜駅間運行の(白浜駅行)1号・(白浜駅発)2号は京都駅~白浜駅間運行とする。これにより、「しらはま」は新宮駅→奈良駅→名古屋駅間運行の「しらはま1号」と京都駅~白浜駅間1往復(<白浜駅行>1号・<白浜駅発>2号)となる。
- 1972年(昭和47年)10月2日、日本海縦貫線の電化完成に伴い、「きのくに」1往復を格上げし、「くろしお」天王寺駅~白浜間1往復増発。5往復体制となる。
- このとき使用されたキハ80系気動車にボンネット型先頭車両であったキハ81形車両が「くろしお」に充当され「キハ81系最後の特急列車」となった。
- 1973年(昭和48年)10月1日、このときのダイヤ改正により、以下のように変更する。
[編集] 紀勢西線電化とエル特急「くろしお」への収斂
- 1978年(昭和53年)10月2日、紀勢本線和歌山駅~新宮駅間の電化完成に伴い、以下のように変更。
- 従来「くろしお」として運行されていた特急列車は新宮駅を境に以下のように運行体系を分離。
- 急行列車については以下のように変更。
- 「きのくに」9往復に減便。但し、南海線乗り入れ車両が気動車のみであったことや、参宮線鳥羽駅直通列車が存在したことで気動車での運行となる。また、紀伊田辺駅→新宮駅間運行の「きのくに2号」が設定される。
- 「紀州」は名古屋駅~紀伊勝浦駅間のみの運行となる。
- 全国で在来線列車の号数を下り奇数・上り偶数とした。これにより、紀勢本線の終点となる和歌山市駅(←天王寺駅・難波駅)方向は奇数、起点となる亀山駅(←名古屋駅)方向となる列車には偶数の符番がなされた。
- 1980年(昭和55年)10月1日、このときのダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 「きのくに」3往復を格上げする形で天王寺駅~白浜駅間の「くろしお」3往復増発。これにより、「くろしお」10往復、「きのくに」季節列車を含めて6往復となる。
- 「しらはま」は廃止。新宮駅→名古屋駅間運行の「しらはま1号」の内、奈良駅→名古屋駅間を「かすが」、京都駅~白浜駅間運行の「しらはま3号・2号」の和歌山駅以北を「紀ノ川」 (きのかわ)として分離する。
- 1982年(昭和57年)5月17日、関西本線名古屋駅~亀山駅間電化に伴い、以下のように変更する。
- 「くろしお」白浜駅発着1往復を季節列車化し、定期列車としては9往復に減便する。また、従来新宮駅発着の季節列車を白浜駅発着とする。
- 「きのくに」鳥羽駅乗り入れを終了し、天王寺駅/難波駅~白浜駅・新宮駅・熊野市駅間及び紀伊田辺駅→新宮駅間のみの運行となる。
- 1982年11月15日、「きのくに」の天王寺駅~新宮駅間運行の夜行列車を季節列車化する。
- 1984年(昭和59年)2月1日、「きのくに」夜行列車廃止。なお、この時には「きのくに」は天王寺駅発は3本、天王寺駅行き5本・難波駅発着は2往復であったが、和歌山市駅構内を除きほぼ「全区間架線下を走る気動車列車」となっていた。しかし、南海側も車両の更新が出来ず、車両自体も冷房化が出来ない為、当時すでに冷房化が実施された国鉄側の車両や、料金不要の普通列車にまで冷房化が進んでいた南海線内での他列車に比べ見劣りするようになっていた。
- 1984年(昭和59年)9月30日、桜井線・和歌山線電化に伴い、「紀ノ川」廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日、このときのダイヤ改正により、以下のように変更する。
- 「くろしお」4往復増発。これにより13往復体制となる。
- 「きのくに」、「くろしお」に昇格し廃止。これにより、「黒潮号」以来の南海線難波駅発着列車は運行を終了することとなる。
- 1986年(昭和61年)11月1日、国鉄最後のダイヤ改正に伴い、「くろしお」の運行見直しが行われる。このとき、「くろしお」定期列車としては11往復となる。また、福知山線宝塚駅~山陰本線城崎駅間電化に伴い、同区間を運行する新設エル特急「北近畿」に485系電車を使用することとなり、「くろしお」全列車に381系電車が用いられることとなった。
[編集] JR化以降の展開
- 1988年(昭和63年)3月14日、このときのダイヤ改正に伴い、以下の通り変更された。
- 1989年(平成元年)3月11日、「しらはま」廃止。また、「くろしお」白浜駅発着を1往復増発し合わせて同駅発着の季節列車3往復を定期列車化。これにより、季節列車1往復を含む16往復体制をとる。
- 1989年7月22日、「くろしお」の内4往復をグリーン車をパノラマ型に改造した車両を使用した特急列車「スーパーくろしお」の運行を開始。同時に、「くろしお」・「スーパーくろしお」の京都駅・新大阪駅に乗り入れを開始。また、各駅到着前に流れる車内チャイムも更新され、沿線案内放送も加えてテープで流すようになった。
- なお、京都駅乗り入れは「スーパーくろしお」のみであった。
- また、このときより、列車号数の符番が新宮駅方面を奇数、京都駅・新大阪駅方向を偶数とする符番に変更されている。
- 1991年(平成3年)3月18日、「くろしお」1往復を「スーパーくろしお」に変更。
- 1994年(平成6年)9月4日、関西国際空港開港に伴い、一部列車が日根野駅停車になる。
- 1996年(平成8年)7月31日、3往復に283系を用いて「スーパーくろしお(オーシャンアロー)」を運行開始。
- 1996年12月、この頃より、平日に紀伊田辺駅→天王寺駅間を運行する臨時特急列車「おはようくろしお」の運行が開始される。
- 1997年(平成9年)3月8日、「スーパーくろしお(オーシャンアロー)」の列車名を、「オーシャンアロー」へ変更する。
- 1998年(平成10年)、この頃より、381系にアコモ改良され塗装が変更、さらに車内チャイムと沿線案内が更新された。
- 2001年(平成13年)3月3日、「おはようくろしお」を定期列車化する形で天王寺駅~紀伊田辺駅発着の「くろしお」を運行開始。ラッシュ時に和泉砂川駅が追加停車になる。
- 2002年(平成14年)7月20日、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンができたことで、一部が西九条駅停車になる。
- 2004年(平成16年)10月16日、早朝・深夜の「はんわライナー」1往復を格上げし、和歌山駅発着の列車も運行開始。
- 2005年(平成17年)3月1日、朝の和歌山始発の列車は、臨時ではあるが海南駅発に改められる。
- 2005年夏、京橋駅・大阪駅~白浜駅間に、臨時特急「ホワイトビーチエクスプレス」が運転された。
[編集] 関連
- 本列車が通過する阪和線沿線に位置する大阪市立大学の鉄道同好会は、機関誌名を「くろしお」と名乗っている。
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