温泉郡
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温泉郡(おんせんぐん)は、愛媛県にあった郡。2005年1月1日、市町村合併により消滅した。
人口40,690人、面積248.73 km²(2003年現在/旧重信町・川内町・中島町の合計)
[編集] 歴史
かつては現在の松山市中心部にあった郡であった。古代には湯郡(ゆのこほり)と呼ばれていた。
湯郡・温泉郡という名前は、道後温泉に因むものである。
- 1878年(明治11年)、郡区町村編制法により風早郡(かざはやぐん)、和気郡(わけぐん)、久米郡(くめぐん)を統合。
- 1889年(明治22年)12月15日 市制施行に伴い、松山市が発足、郡より離脱。
- 明治20年代頃、下浮穴郡所属の浮穴村・荏原村・坂本村・南吉井村・拝志村・三内村を温泉郡に編入。
- 明治20年代頃、伊予郡垣生村が郡域変更し、温泉郡垣生村(はぶむら)となる。
- 明治20年代頃、伊予郡余土村が郡域変更し、温泉郡余土村(よどむら)となる。
- 1898年(明治31年)11月28日、北条村(ほうじょうむら)が町制施行し、北条町(ほうじょうちょう)となる。
- 1914年(大正3年)10月1日、立岩村(たていわむら)の一部を浅海村(あさなみむら)に編入。
- 1923年(大正12年)4月1日、道後村(どうごむら)を分割し、松山市(まつやまし)、道後湯之町(どうごゆのまち)に編入。
- 1925年(大正14年)5月10日、古三津村(ふるみつむら)を三津浜町(みつはまちょう)に編入。
- 1926年(大正15年)2月11日、素鵞村(そがむら)、雄郡村(ゆうぐんむら)、朝美村(あさみむら)、御幸村(みゆきむら)を松山市に編入。
- 1932年(昭和7年)2月1日、道後湯之町の一部(旧道後村区域)を松山市に編入。
- 1937年(昭和12年)6月1日、新浜村(しんはまむら)を三津浜町に編入。
- 1940年(昭和15年)8月1日、味生村(みぶむら)、桑原村(くわばらむら)、和気村(わけむら)、堀江村(ほりえむら)、潮見村(しおみむら)、久枝村(ひさえだむら)、三津浜町を松山市に編入。
- 1944年(昭和19年)4月1日、垣生村、生石村(しょうせきむら)、道後湯之町を松山市に編入。
- 1951年(昭和26年)4月1日、北条町、難波村(なんばむら)、正岡村(まさおかむら)が合併し、北条町となる。
- 1952年(昭和27年)8月1日、東中島村(ひがしなかじまむら)が町制施行し、中島町(なかじまちょう)となる。
- 1954年(昭和29年)2月1日、興居島村(ごごしまむら)を松山市に編入。
- 1954年(昭和29年)10月1日、余土村を松山市に編入。
- 1955年(昭和30年)3月31日、北条町、浅海村、立岩村、河野村(こうのむら)、粟井村(あわいむら)が合併し、北条町となる。
- 1955年(昭和30年)4月25日、川上村(かわかみむら)、三内村(みうちむら)が合併し、川内村(かわうちむら)となる。
- 1955年(昭和30年)5月1日、伊台村(いだいむら)、久米村(くめむら)、五明村(ごみょうむら)、湯山村(ゆやまむら)を松山市に編入。
- 1956年(昭和31年)9月1日、北吉井村(きたよしいむら)、南吉井村(みなみよしいむら)、拝志村(はいしむら)が合併し、重信町(しげのぶちょう)となる。
- 1956年(昭和31年)9月1日、川内村、周桑郡中川村の一部(滑川、明河)が合併し、川内町(かわうちちょう)となる。
- 1956年(昭和31年)9月30日、荏原村(えばらむら)、坂本村(さかもとむら)が合併し、久谷村(くたにむら)となる。
- 1958年(昭和33年)11月1日、北条町が市制施行し、北条市(ほうじょうし)となる。
- 1959年(昭和34年)3月31日、神和村(じんわむら)、中島町が合併し、中島町となる。
- 1959年(昭和34年)4月10日、浮穴村(うけなむら)を松山市に編入。
- 1960年(昭和35年)3月31日、睦野村(むつのむら)を中島町に編入。
- 1961年(昭和36年)12月15日、小野村(おのむら)を松山市に編入。
- 1962年(昭和37年)4月1日、石井村(いしいむら)を松山市に編入。
- 1963年(昭和38年)3月31日、西中島村(にしなかじまむら)を中島町に編入。
- 1968年(昭和43年)10月25日、久谷村を松山市に編入。
- 2004年(平成16年)9月21日、重信町、川内町が合併し、東温市(とうおんし)となる。
- 2005年(平成17年)1月1日、中島町を松山市(まつやまし)に編入。同時に温泉郡消滅。