都心回帰
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都心回帰(としんかいき)とは地価の下落などによって都心部の居住人口などが回復する現象で、日本においては東京を始めとする主要都市圏で見られる。
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[編集] 概要
1980年代ごろから、欧米等の先進諸国の一部の大都市圏においてその中心部の人口の回復・再成長が指摘されるようになった事に端を発する。これを特にモデル化したものとしては、都市化、郊外化の後に反都市化を経て再都市化へ向かうとしたクラッセンの都市循環仮説が挙げられる。
背景としては、以下のようなものが挙げられている。
- グローバル化に伴う「世界都市」の成立や知識創造型産業・対事業所の高次サービス業の集積による、さらなる機能の集中・高次化。
- 上記の事項を背景とした、情報の接触に至便な都心部での居住の再評価。
- 世界都市化を狙う都市間の競争の激化を背景とする、規制緩和や税の軽減等の優遇施策とそれに対応する民間主導での再開発。
[編集] 日本における都心回帰
[編集] 都心部
高度成長期以降、地方から大都市圏への急激な人口流入によって地価が急騰した事、都心周辺の交通事情や衛生環境が急速に悪化して都市公害と指摘されるほどになった事などから、郊外に「庭付き・一戸建て」を手に入れることが人々の憧れとなった。このため都心部の人口は一貫して減少し、一方で郊外の人口は爆発的に増えることになり、郊外化、ドーナツ化現象等と呼ばれてきた。しかしバブル崩壊以降の地価下落、企業・行政の遊休地放出、不良債権処理に伴う土地の処分、超高層マンションの定着などによって都心での不動産取得が容易になった事、都心の利点が見直されてきた事によって都心部で人口が増加に転じてきた。
都心居住の利点としては、
- 都心部に住めば勤務場所から近く、しかも劇場や美術館など文化・娯楽にも容易に接することができる。
- 高齢になったあとも、都心周辺なら買い物が比較的便利で車が無くとも大抵の場所に行け、健康面でも都心の大病院などで優れたサービスが受けられる。
- 都心に地価の高さから高額マンションがある都市では、都心に住めばステイタスとなる。
などがよく挙げられる要因となっている。また、
- バブル崩壊による地価下落により、上昇し続ける地価のおかげで土地を持つ人の資産が増え続けるという土地神話が崩壊し人々が土地保有にこだわらなくなった。
- 人々を都心から遠ざけていた大気汚染などの公害が緩和されてきた。
なども指摘されている。
2002年頃から単なるスポットの開発ではなく、面的な展開を見せ始め、かつての「ドーナツ化」に対し「アンパン化現象」と呼ぶ識者も居る。
三大都市圏を中心に、全国の政令指定都市においても同様の現象が見られる。
[編集] 二極化するベッドタウン
なおこの都心回帰現象は、一方で郊外ベッドタウンの人口動向にも影響を与えている。 高度経済成長期やバブル経済期以降も首都圏近郊のベッドタウン(東京多摩地域、横浜川崎相模原地域、埼玉南部、千葉西部)の人口は依然として高い増加率を維持しており、都心から本社機能を移転する企業も多い。その一方で都心からおおむね35km圏外に位置するベッドタウンでは人口の減少が顕著になり始めている。
これまで地方から首都圏への人口移動はそのほとんどが郊外ベッドタウンに吸収されてきたが、都心部が求心力を回復させてきたことにより郊外ベットタウンとしての適性を満たせる地域の範囲がかなり縮小してきていると見られる。2003年3月に東京都が実施した通勤時間に関する意識調査によると、回答者の80%以上が「受忍限度は一時間以内」と回答している。言い換えると都心のオフィス街までドアツードアで1時間以内にたどり着けない都市には居住したくないということである。これは今ある通勤圏が面的に縮小すること意味しており、通勤60分圏の外側部に大幅な社会人口減をもたらす可能性を示唆している。
少子高齢化の進展に伴い総人口が減少していくことや再開発による都市機能の中心部再集積、従来のスプロール的市街地開発による生活環境悪化に対する反省などからかつてのような全般的な郊外化は予想し辛く、大都市圏のベッドタウン地域においては一種の人口の獲得競争(争奪戦に近い状態)が起こると考えられる。
[編集] 大学の都心回帰
ここ数年、在京大学及び在阪大学の都心回帰も進んでおり、1970年代後半から1990年代にかけて、郊外に広大なキャンパスを取得し移転した大学が、都心にキャンパスを戻す動きが出始めている。
[編集] 郊外移転の経緯
もともと第二次世界大戦前から大手民間鉄道各社が沿線開発の一環として大学等の高等教育機関を招致する動きを見せていた。一番積極的であった東京急行電鉄は、旧制東京高等工業学校(現在の東京工業大学。1924年に大岡山へ移転)や旧制慶應義塾大学予科(1934年に日吉に移転。)、旧制東京第一師範学校(現在の東京学芸大学。1936年に碑文谷へ移転、現在は小金井へ再移転。)、旧制府立高等学校(高等科の後身が東京都立大学、現在の首都大学東京。1932年に八雲へ移転、現在は八王子市へ再移転)等を沿線へ誘致している。
この施策によって地価の上昇等の成果が得られた為、第二次世界大戦後間もない頃から他の大手民鉄も追従する事となる。特に東京ではその動きが顕著であり、明治大学(1951年に生田キャンパス開設)や立教大学(1958年に新座キャンパス開設)、東洋大学(1961年に川越キャンパス開設)のように鉄道会社が自社沿線の郊外地域に土地を提供してそこへ大学が新キャンパスを設置する動きは存在していた。
これが顕著になるきっかけは文部省が1960年代後半から、都市部への大学の極度の集中を防ぎ、地域間格差を是正する為、東京23区内および大阪市周辺に本部を置く大学が昼間学部の学部・学科増設や定員の増加を申請してもこれを認可せずに抑制していく方針をとった事である。この方針は1975年に成立した私立学校振興助成法が設立すると更に強くなり、更に首都圏既成市街地工場等規制法及び近畿圏既成市街地工場等規制法の制定もあって、校地を拡張させて定員を増加させるなどといった方策は事実上不可能になった。この頃郊外ではニュータウン開発などが進み、都心部の人口増加には歯止めが掛けられたが、昼間人口は依然として増え続けていた為、大学の郊外移転を進めたいとする考え方があった。
学部増設・定員増加を希望していた大学側もこの動きに乗り、1970年代前半から徐々に一部の学部や教養課程を郊外へ移転する大学が増えた。その中で1978年には中央大学が都心に本部を置いていた大学としては初めて大学本部も含めた郊外移転(理工学部は都心部に残留)を実施した。この動きに他の大学も追従、相次いで郊外へ全面移転する大学が現れた。最も新しい郊外移転としては青山学院大学が2003年に世田谷キャンパスを売却し、理工学部を神奈川県相模原市に移転させたケースが挙げられる。
[編集] 都心回帰の動き
当初、郊外型キャンパスは「空気が綺麗」「キャンパスが広い」「自然が多い」と受験生に評判がよく、文化講座等によってその地域へ大学の知を還元することが出来るとマスメディアでも大変に評判が高かった。しかしバブル経済が崩壊し都心の地価が下がった事に加え、少子化で受験競争が緩和された受験生の選別意識が高まり郊外キャンパスが敬遠されるようになった。又大阪市等では大学が郊外へ分散してしまう事で都心部に若者が減り、都市活力の低下が指摘されるようになる等、郊外移転が推奨されていた時期とは全く逆の動きが現れたのである。さらに文部省も1990年代になると校舎の高層化等一定の校舎増設を伴う場合に限り、都心部での学部増設や定員増加を認めるようになる。この方針を反映して建設されたのが明治大学のリバティタワー(1998年竣工)や法政大学のボアソナード・タワー(2000年竣工)等である。2002年に首都圏既成市街地工場等規制法及び近畿圏既成市街地工場等規制法が廃止されると用地取得に制限が無くなり、高層校舎の建設だけではなく、周辺の土地を取得する事でキャンパスそのものを拡大させて定員増加・学部増設を図るようになる。東洋大学は隣接する住宅展示場跡地を取得することで2005年度から従来は朝霞キャンパスと白山キャンパスに分断されていた文系主要5学部の教育を都心の白山キャンパスへ統一した。これは日本国内で都心から郊外へキャンパスを移転した大学としては初めての全面都心回帰であった。その他、國學院大學、共立女子大学、昭和音楽大学、立正大学等も本部のあるキャンパスへ全面的に回帰する事が決定している。
また帝京平成大学は池袋にある豊島区の小学校跡地を入札で落札、都心回帰と言うよりは都心進出という新たな大学の動きを見せている。
[編集] 人口の回復が顕著な地区
- 東京都中央区
- 増加率5.43%/年(2006)。2000年からの5年間で約35%の人口増加を記録。勝どきや月島地区では若いファミリー層の移住が進んでいる。
- 大阪市中央区
- 増加率3.44%/年(2006)。2000年からの5年間で約21%の人口増加を記録。居住用タワーマンションの建設・計画が各地で進行中。
- 大阪市西区
- 増加率2.98%/年(2006)。都心に近接した便利な地域として注目され、単身者や若年層の移住が目立つ。
- 大阪市天王寺区
- 増加率2.92%/年(2006)。大阪市内有数の文教地区・優良住宅街として近年転入者が増加。人口増加率は市内でも屈指の水準。
- 東京都千代田区
- 増加率2.84%/年(2006)。神田周辺で単身者や中高年層向けのマンションが多数建設。
- 横浜市中区
- 増加率2.62%/年(2006)。2000年からの5年間で10%を超える人口増加を記録。主に旧来から人気の高い山手地区での宅地開発が進む。
- 東京都港区
- 増加率2.49%/年(2006)。新橋や赤坂における再開発により、高層のマンション建設が進捗。
- 東京都江東区
- 増加率2.38%/年(2006)。隅田川沿いにマンションが次々に建てられ、家族層の移住が目立つ。
[編集] 人口が増加から減少に転じた自治体
これらの都市はバブル期や1990年代まではほぼ順調に人口増加を続けていたものの、その後人口動態が社会減に転じたところが多く一部の都市においては既に自然減や総数減少にまで移行している。
- 神奈川県横須賀市
- 埼玉県春日部市
- 茨城県取手市
- 大阪府豊中市 - 最大時には41万人を超える人口を擁したが、都心回帰や少子高齢化などで人口は長く漸減傾向。
- 大阪府寝屋川市
- 大阪府河内長野市
- 兵庫県三田市
- 京都府城陽市
- 三重県名張市