アトレティコ・マドリード
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アトレティコ・マドリード | |
原語表記 | Club Atlético de Madrid S.A.D. |
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愛称 | Colchonero、Atleti |
クラブカラー | 赤と白 |
創設年 | 1903年 |
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ |
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン |
ホームタウン | マドリード |
ホームスタジアム | エスタディオ・ビセンテ・カルデロン |
収容人数 | 56,163 |
代表者 | ![]() |
監督 | ![]() |
アトレティコ・マドリード(Club Atlético de Madrid S.A.D.)は、スペインのマドリードを本拠地とするサッカークラブチーム。
ホームスタジアム(カーサ)はビセンテ・カルデロン。1903年に創立。リーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに籍を置く。スペインにおいては、レアル・マドリード、FCバルセロナにつぐ第三のクラブとして認知されている屈指の名門クラブである。
永遠のライバルクラブであるレアル・マドリードとの対戦はマドリードダービーと呼ばれ、リーガ・エスパニョーラでも屈指の好カードである。
アトレティコという名称がつくチームは世界にも複数あるが、一般的にアトレティコと言えばこのアトレティコ・マドリードのことを指す。現スペイン代表監督ルイス・アラゴネス曰く、「スペイン3位、ヨーロッパで9位のチームである」とのこと。
目次 |
[編集] 歴史
クラブの起源は、バスクの名門クラブ、アスレティック・ビルバオがマドリードに設置した姉妹チームに遡る。現在はその関係は切れてはいるが、チームカラーがビルバオと同じ系統であるのはそのためである。同じマドリードを本拠とするライバルのレアル・マドリードが主に富裕層の支持を受けるクラブであったのに対し、アトレティコは主に労働者階級の支持を受けて発展してきたクラブである。そういった経緯もあって、現在でもアトレティコはスペインでも有数の熱狂的なサポーターに支えられたチームである。
現在のクラブ名になったのは1947年。この頃から徐々にチームは勢いを増していく。特に、後にインテルにグランデ・インテルと称される黄金期を齎すことになるアルゼンチン人の名将エレニオ・エレーラが就任してからは、モロッコ人ベン・バレクらを擁するチームが国内リーグを連覇。エレラが去って以降もチームは勢いを増し、60年代にかけて黄金期を現出する。惜しむらくは、同時期にアルフレッド・ディ・ステファノのレアル・マドリー、ラディスラオ・クバラのバルセロナという余りに強大な敵が国内に存在したことから国内でのタイトルを積み上げられず、結果欧州レベルでの実績を挙げることができなかった点であろう。1959年にはチャンピオンズカップの準決勝まで駒を進めているが、立ちはだかったのは仇敵レアル・マドリーであった。結局、黄金時代のアトレティコが得た国際タイトルといえば、1962年のUEFAカップウィナーズカップ優勝のみに止まっており、その実力に比してあまりに寂しい結果に終わっている。
1974年にはUEFAチャンピオンズカップで決勝戦に進出。バイエルン・ミュンヘンを相手に0-0のまま延長戦に持ち込み、114分のルイス・アラゴネスのゴールで先制を果たすと、このまま延長戦終了間際までリードを保つ。しかし誰もがアトレティコのビッグイヤー獲得を確信した試合終了30秒前、シュヴァルツェンベルクに30メートル以上のミドルシュートを叩き込まれ、欧州No.1の座を目前に土壇場で同点に追いつかれてしまう。結局2日後の再試合では敗れ、準優勝に終わってしまった。しかし、その後出場を辞退したバイエルンにかわって出場したインターコンチネンタルカップ(あるいはトヨタカップ、現在はFIFAクラブワールドカップに統合)では、アルゼンチンのインデペンディエンテを降し、見事世界一の座に輝いた。なおスペインにおいて、インターコンチネンタルカップを獲得しているクラブは、レアル・マドリードとこのアトレティコだけである。
1987年には事業家のヘスス・ヒルが会長に就任。ヒルは潤沢な資金をアトレティコに投下し強化を推進する一方で、下部組織を解散(結果、そこに所属していたラウル・ゴンサレスは最大のライバルであるレアル・マドリードへと移籍し、後にマドリードのスター選手となる)させたり、また勝てなければ即監督の首を切り、ギロチン・ヒルと揶揄されるなど独裁的な人物としてつとに有名であった。このヒル会長は、アトレティコに数多くの栄光と挫折を味わわせることになる。
1995-1996シーズンには、スペイン史上初めてリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイの二冠を達成、これはヒル会長の敢行した大型補強の成果といえる。他方、1999-2000シーズンにはカルロス・アギレラやジミー・フロイド・ハッセルバインク等の数々の有名選手を擁しながら、不振を極め、2部降格の憂き目に遭っているがこの不振も会長による独裁の結果、若手育成や継続的補強ができなかったことに起因するものとされる。しかし2部に落ちた時も、ソシオの数は増え続けたり、テレビの放送の数がほとんど減らず、経済的打撃をほとんど受けなかった。さらに、この前年プリメーラ・ディビシオンで得点王を獲得したサルバ・バジェスタが加入するなど、アトレティコがスペインにおいていかに特別なクラブであるかを如実に物語るエピソードも数多い。
1年での1部復帰も叶わず、名将ルイス・アラゴネス(現スペイン代表監督)を招聘し、新星フェルナンド・トーレスの台頭等もあって、ようやく2002-2003シーズンに1部復帰を果たした。
2003年にはヘスス・ヒルが会長から退任したが、低迷を続けるアトレティコが上昇のきっかけをつかむことはできなかった。
不振が続く中、2005-2006シーズンには南米随一の名将と言われるカルロス・ビアンチが監督に就任し、クラブはマルティン・ペトロフ、マキシ・ロドリゲス、マテヤ・ケジュマン、ルシアーノ・ガジェッティ等ワールドクラスのプレーヤーの補強を次々敢行。優勝候補の一角にも挙げられたが、予想に反しチームは低迷。前半戦終了を待たずしてビアンチは解任された。その後、下部組織からぺぺ・ムルシアが監督に就任。その後は14年ぶりの6連勝を果たすなど一時調子を上げたが、マキシ・ロドリゲスが代表召集中に怪我をしてから再び失速、最終的には10位でシーズンを終えている。
現在は06-07シーズンに向け、メキシコ代表やオサスナで実績を挙げた名将ハビエル・アギーレを招聘。更にもはや恒例となった大型補強をし、チームの再建を図っている。
ちなみにアトレティコは、1930年代後半から1940年代前半には軍隊のチームとなり、アトレティコ・アビアシオンという名称だった時期がある。9回の優勝のうち2回はその名称の時に獲得したものである。現在、その名称はアトレティコの下部組織の名前として残っている。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- リーグ : 9回
- スペインスーパーカップ : 1回
[編集] 国際タイトル
- UEFAカップウィナーズカップ : 1回
[編集] 過去の成績
- 1985-1986 プリメーラ・ディビシオン 5位 コパ・デル・レイ
- 1986-1987 プリメーラ・ディビシオン 7位 コパ・デル・レイ 準優勝
- 1987-1988 プリメーラ・ディビシオン 3位 コパ・デル・レイ
- 1988-1989 プリメーラ・ディビシオン 4位 コパ・デル・レイ
- 1989-1990 プリメーラ・ディビシオン 4位 コパ・デル・レイ
- 1990-1991 プリメーラ・ディビシオン 2位 コパ・デル・レイ 優勝
- 1991-1992 プリメーラ・ディビシオン 3位 コパ・デル・レイ 優勝
- 1992-1993 プリメーラ・ディビシオン 6位 コパ・デル・レイ
- 1993-1994 プリメーラ・ディビシオン 12位 コパ・デル・レイ
- 1994-1995 プリメーラ・ディビシオン 14位 コパ・デル・レイ
- 1995-1996 プリメーラ・ディビシオン 1位 コパ・デル・レイ 優勝
- 1996-1997 プリメーラ・ディビシオン 5位 コパ・デル・レイ
- 1997-1998 プリメーラ・ディビシオン 7位 コパ・デル・レイ
- 1998-1999 プリメーラ・ディビシオン 13位 コパ・デル・レイ 準優勝
- 1999-2000 プリメーラ・ディビシオン 19位 コパ・デル・レイ 準優勝
- 2000-2001 セグンダ・ディビシオン 4位 コパ・デル・レイ 準決勝敗退
- 2001-2002 セグンダ・ディビシオン 1位 コパ・デル・レイ 1回戦敗退
- 2002-2003 プリメーラ・ディビシオン 12位 コパ・デル・レイ 準々決勝敗退
- 2003-2004 プリメーラ・ディビシオン 7位 コパ・デル・レイ 準々決勝敗退
- 2004-2005 プリメーラ・ディビシオン 11位 コパ・デル・レイ 準決勝敗退
- 2005-2006 プリメーラ・ディビシオン 10位 コパ・デル・レイ 5回戦敗退
- 2006-2007 プリメーラ・ディビシオン
[編集] 現所属メンバー
Pos. | 背番号 | 国籍 | 選手名(日本語表記) | 選手名(原語表記) | 前所属チーム | 備考 | |
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監督 | ![]() |
ハビエル・アギーレ | Javier Aguirre Onaindía | オサスナ | |||
GK | 1 | ![]() |
イバン・クエジャル | Iván Cuéllar Sacristán | アトレティコ・マドリーB | ||
13 | ![]() |
イスマエル・ゴメス・ファルコン | Ismael Gómez Falcón | アトレティコ・マドリーB | |||
25 | ![]() |
レオ・フランコ | Leonardo Neoren Franco | マジョルカ | |||
DF | 2 | ![]() |
ゲオルギオス・セイタリディス | Georgios Seitaridis | ディナモ・モスクワ | ||
3 | ![]() |
アントニオ・ロペス | Antonio López Guerrero | オサスナ | 第2主将 | ||
4 | ![]() |
マリアーノ・ペルニーア | Mariano Andrés Pernía | ヘタフェ | |||
12 | ![]() |
ファビアーノ・エレル | Fabiano Eller dos Santos | インテルナシオナル | |||
14 | ![]() |
ゼ・カストロ | José Eduardo Rosa Vale Castro "Zé Castro" | アカデミカ・コインブラ | |||
18 | ![]() |
フアン・バレーラ | Juan Valera Espín | ムルシア | |||
21 | ![]() |
ルイス・ペレア | Luis Amaranto Perea | ボカ・ジュニオルズ | |||
22 | ![]() |
パブロ・イバニェス | Pablo Ibañez Tébar | アルバセテ | |||
MF | 5 | ![]() |
ペテル・リュクサン | Peter Bernard Luccin | セルタ・デ・ビーゴ | ||
6 | ![]() |
コスティーニャ | Francisco José da Costa, "Costinha" | ディナモ・モスクワ | |||
7 | ![]() |
ルシアーノ・ガジェッティ | Luciano Martín Galletti | レアル・サラゴサ | |||
8 | ![]() |
ガビ | Gabriel Fernández Arenas | ヘタフェ | |||
11 | ![]() |
マキシ・ロドリゲス | Maximiliano Rubén Rodríguez | エスパニョール | |||
15 | ![]() |
フラド | José Manuel Jurado Marín | レアル・マドリード | |||
17 | ![]() |
マルティン・ペトロフ | Martin Petrov | ヴォルフスブルク | |||
19 | ![]() |
ミゲル | Miguel Ángel de las Cuevas Barberá | エルクレス | |||
20 | ![]() |
マニシェ | Nuno Ricardo Oliveira Ribeiro, "Maniche" | ディナモ・モスクワ | |||
FW | 9 | ![]() |
フェルナンド・トーレス | Fernando José Torres Sanz | アトレティコ・マドリーB | 主将 | |
10 | ![]() |
セルヒオ・アグエロ | Sergio Leonel Agüero | インデペンディエンテ | |||
23 | ![]() |
ミスタ | Miguel Ángel Ferrer Martínez, "Mista" | バレンシア |
[編集] 歴代会長
- エンリケ・アジェンデ: 1903
- エドゥアルド・デ・アチャ: 1903-1907
- リカルド・デ・ゴンドラ: 1907-1909
- ラモン・デ・カルデナス: 1909-1912
- フリアン・ルエテ: 1912-1919
- アルバロ・デ・アギラル: 1919-1920
- フリアン・ルエテ: 1920-1923
- フアン・デ・エステファニア: 1923-1926
- ルシアーノ・ウルギホ: 1926-1931
- ラファエル・ゴンサーレス: 1931-1935
- ホセ・ルイス・デル・バジェ: 1935-1936
- ホセ・マリア・フェルナンデス: 1936-1939
- フランシスコ・ビベス: 1939
- ルイス・ナバロ: 1939-1941
- マヌエル・ガジェゴ: 1941–1945
- フアン・トウソーン: 1946-1947
- セサレオ・ガリンデス: 1947-1952
- マルケス・デ・ラ・フロリダ: 1952-1955
- フアン・スエボス: 1955
- ハビエル・バロッソ: 1955-1964
- ビセンテ・カルデロン: 1964-1980
- リカルド・イレサーバル: 1980
- アルフォンソ・カベサ: 1980-1982
- アントニオ・デル・オヨ: 1982
- アグスティン・コトルエロ: 1982
- ビセンテ・カルデロン: 1982-1986
- フランシスコ・カステド: 1986-1987
- ヘスス・ヒル: 1987-2003
- エンリケ・セレソ: 2003-
[編集] 歴代監督
- エレニオ・エレーラ 1950-1951
- セサール・ルイス・メノッティ 1987-1988
- ホセ・マリア・マクレギ
- ロン・アトキンソン
- コリン・アッディソン
- ハビエル・クレメンテ
- ホアキン・ペイロ
- イセリン・サントス・オベヘーロ
- ルイス・アラゴネス 1991-1992、
- オマール・パストリーサ
- エクトル・エレディーア
- ジャイル・ペレイラ
- エミリオ・クルス
- ホセ・ルイス・ロメーロ
- フランシスコ・マツラナ
- アルフィオ・バシーレ
- ラドミール・アンティッチ 1995-1998、1999
- アリゴ・サッキ 1998
- クラウディオ・ラニエリ 1999
- フェルナンド・サンブラーノ
- マルコス・アロンソ
- カルロス・ガルシア・カンタレホ
- ルイス・アラゴネス 2001-2003
- グレゴリオ・マンサーノ2003-2004
- セサル・フェランド(スペイン)2004-2005
- カルロス・ビアンチ(アルゼンチン) 2005-2006 途中解任
- ペペ・ムルシア(スペイン) 2006-2006 途中就任
- ハビエル・アギーレ (メキシコ) 2006-
[編集] 歴代所属選手
[編集] GK
[編集] DF
- セルソ・アジャラ(パラグアイ)
- カルロス・アギレラ(スペイン)
- パブロ・イバニェス(スペイン)2004-
- ガルシア・カルボ(スペイン)
- ホアン・カプデビラ(スペイン) 1999-2000
- カルロス・ガマーラ(パラグアイ)
- ファブリシオ・コロッチーニ(アルゼンチン)
- コスミン・コントラ(ルーマニア)
- サンティ・デニア(スペイン)
- ミケーレ・セレーナ(イタリア)
- ホセ・アントニオ・チャモ(アルゼンチン) 1998-1999
- ゴンサロ・デ・ロス・サントス(ウルグアイ) 2003-2004
- ステファノ・トリージ(イタリア)
- セルジ・バルフアン(スペイン) 2002-2005
- ルイス・ペレア(スペイン)2004
- マティアス・レキ(アルゼンチン)
- アントニオ・ロペス(スペイン)2004
- フアン・ベラスコ(スペイン)2004
- マリアーノ・ペルニーア(スペイン) 2006-
- ゼ・カストロ 2006-
[編集] MF
- デメトリオ・アルベルティーニ(イタリア) 2002-2003
- アリエル・イバガサ(アルゼンチン)2003-
- ベルント・シュスター(ドイツ)1990-1993
- ウーゴ・レアル(ポルトガル)
- エメルソン・モイセス・コスタ(ブラジル) 2002-2003
- ホセ・ルイス・カミネロ(スペイン)
- ルイス・ガルシア(スペイン) 2002-2003
- イェスパー・グレンケア(デンマーク)2005
- ディエゴ・シメオネ(アルゼンチン)
- ジョバン・スタンコビッチ(セルビア・モンテネグロ)
- サンティアゴ・ソラーリ(アルゼンチン) 1998-2000
- ドナト・ガマ・ダ・シルバ(スペイン) 1988-1993
- ゾラン・ニエグス(セルビア・モンテネグロ)
- アルバロ・ノボ(スペイン)
- ルーベン・バラハ(スペイン)
- フアン・カルロス・バレロン(スペイン) 1998-2000
- ジュニーニョ・パウリスタ(ブラジル)
- ミリンコ・パンティッチ(セルビア・モンテネグロ)
- クイントン・フォーチュン(南アフリカ)
- パウロ・フットレ(ポルトガル) 1987-1992、1997-1998
- ラデク・ベイブル(チェコ)
- キキ・ムサンパ(オランダ) 2003-2005
- ホセ・モビージャ(スペイン)
- ウラジミール・ユーゴビッチ(セルビア・モンテネグロ) 1995-1997
- ペテル・リュクサン(フランス)2004-
- ルシアーノ・ガジェッティ(アルゼンチン)2005-
- ゴンサーロ・コルサ(スペイン)
- エウセビオ・サクリスタン・メナ
[編集] FW
- キコ(スペイン)
- ハビエル・アリスメンディ(スペイン)
- ファン・エスナイデル(アルゼンチン)
- マテヤ・ケジュマン(セルビア) 2005-2006
- フェルナンド・コレア(ウルグアイ)
- フリオ・サリナス(スペイン) 1986-1988
- フェルナンド・トーレス(スペイン)
- ジミー・フロイド・ハッセルバインク(オランダ)
- サルバ・バジェスタ(スペイン)
- クリスティアン・ヴィエリ(イタリア)
- マルティン・ペトロフ(ブルガリア) 2005-
- ホセ・マリ(スペイン)
- ハビ・モレーノ(スペイン)
- ジョルディ・ラルディン(スペイン)
- ヴェリコ・パウノヴィッチ(セルビア)
- マヌ・デル・モラル(スペイン)
- フェルナンド・マルケス(スペイン)
- マキシ・ロドリゲス(アルゼンチン) 2005-
- サンティアゴ・エスケーロ(スペイン)
- セルヒオ・アグエロ(アルゼンチン)2006-
[編集] スタジアム移転問題
アトレティコは慢性的な財政難に悩まされており、2004年にはホームスタジアムを売却するという話が持ち上がった。アトレティコの現在のホームスタジアムであるビセンテ・カルデロンは、その下を高速道路が通過するという特異な構造を有するものであり、その拡張のためスタジアムの撤去を望んでいたマドリード州自治政府との利害関係が一致した結果であるとのことである。
しかしスタジアム売却後にアトレティコのホームスタジアムとなる予定のラ・ペイネタは、現在の場所から遠い、しかもレアル・マドリードの勢力の強い地域にあるスタジアムであり、また陸上グラウンドも併設されたものであることから、サポーターの不興を激しく買った。
この計画は、2012年マドリード五輪の招致に伴うラ・ペイネタの拡張計画を前提とするものであったため、五輪招致の頓挫によりその先行きは不透明になったが、計画自体は生きており、現在でもサポーターの反対運動が続いている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
リーガ・エスパニョーラ プリメーラ・ディビシオン |
---|
2006-2007 |
アトレティコ・マドリード | エスパニョール | オサスナ | サラゴサ | セビージャ | セルタ・デ・ビーゴ | デポルティーボ・ラ・コルーニャ | バルセロナ | バレンシア | ビジャレアル | ヒムナスティク | ビルバオ | ヘタフェ | ベティス | マヨルカ | ラシン・サンタンデール | レアル・ソシエダ | レアル・マドリード | レクレアティーボ | レバンテ | |