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アラン・プロスト - Wikipedia

アラン・プロスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アラン・プロスト
F1での経歴
国籍 フランス
活動年数 1980 - 1991 , 1993
所属チーム マクラーレン, ルノー,
フェラーリ, ウィリアムズ
出走回数 199
タイトル 4 (1985,1986,1989,1993)
優勝回数 51
通算獲得ポイント 798.5
表彰台(3位以内)回数 106
ポールポジション 33
ファステストラップ 41
F1デビュー戦 1980年アルゼンチンGP
初勝利 1981年フランスGP
最終勝利 1993年ドイツGP
最終戦 1993年オーストラリアGP
[編集]

アラン・プロストAlain Marie Pascal Prost, 1955年2月24日 - )は、「プロフェッサー(教授)」の異名をとるフランスの元F1ドライバーで、F1史上最も成功したドライバーの1人である。

目次

[編集] 人物

グランプリ51勝は、2001年ミハエル・シューマッハに破られるまでの最多勝記録であった。また、通算4度のチャンピオンを獲得している。フランス人初の、また現在で唯一のF1世界選手権王者である。

キャリアの円熟期から後半にかけては、スムーズな追い抜きと安定したドライビングを行い、レース戦略や展開把握が理論的で沈着冷静であり、また名前の「プロ」とかけて「プロフェッサー」と異名をとった。

レース人生で自腹を切ったのは、「初めて参戦するレースに必要なカートを買った時だけだ」というのが自慢。だが、このカートこそ、「もう代わりが買えない」ということで、安定したドライビングをする原点になったとの説がある。

レース以外では、サッカーがうまかったともいわれる。曲がった鼻(そのために少々ぼそぼそとした鼻声)は小学生の時、試合中に接触が元で怪我をしてしまった結果だという。本人もインタビューで「子どもの頃はサッカー選手になりたかった」と述べている。

自転車の愛好家であり、ツール・ド・フランスの1ステージを走る市民参加レース「エタップ・デュ・ツール」や、フランスの自転車ロードレーサー、リシャール・ヴィランクの引退レース等を走っている。

[編集] 経歴

[編集] F1以前

1973年、フランス及びヨーロッパのジュニアカート選手権で優勝。1976年よりフォーミュラ・ルノーに参戦し翌年にチャンピオン獲得。1978年1979年にはフランス及びヨーロッパF3に参戦しチャンピオンを獲得。

[編集] F1デビュー

1980年からマクラーレンでF1デビューを果たす。当時、マクラーレンは充分な競争力を持ったチームではなかったが、デビュー戦のアルゼンチンGPにて、6位入賞。その後入賞を何度か経験する。

ルノーRE40(1983年)
ルノーRE40(1983年)

マクラーレンの車体は当時信頼性不足に悩まされ、デビュー当初のプロストが恐怖と感じる程の事故を数回経験。ルノーチームからのオファーがあったが、マクラーレンとの契約を複数年締結していた為に翌1981年のルノーへ移るにあたって、少々トラブルが起こった。

[編集] ルノー時代

1981年シーズンはルノーチームに移籍し、フランスGPで初優勝。翌1982年には開幕2連勝を果たすなど、どちらの年もタイトル争いに加わるが、信頼性不足やチームメイトのルネ・アルヌーとの関係も影響し、今一歩で逃すこととなった。この年のフランス・グランプリで、タイトルの可能性のあったプロストを先行させるようチームオーダーが出ていたが、アルヌーはこれを無視して優勝してしまう。

更にルノー在籍最後の年となった1983年には、最終戦までポイントをリードしていたものの、ネルソン・ピケに逆転でチャンピオンを奪われてしまう。雨のレースで2度の大事故を経験し(1982年ドイツGP予選でのディディエ・ピローニとの接触事故等)、雨のレースにトラウマ的な弱さを見せはじめるのもルノー時代からである。

これに加えて、メディアを味方に付ける事を学んだという(一説によれば、タイトルを獲れない事や先輩だったアルヌーを敬わない事を理由にバッシングされた為に、母国フランスのメディアを批判し、スイスへの転居を余儀なくされた経験からとの事)。

[編集] 1984年の0.5ポイント差

1984年にマクラーレンに復帰、チームメイトのニキ・ラウダと選手権争いで接戦を繰り広げるが、ラウダより2つも多く勝ち星を挙げながらわずか0.5ポイント差でチャンピオンを逃す。特に優勝したこの年のモナコGPでは、雨天短縮レースのため獲得ポイントが半分になっており、そのことが大きく影響したと言われた(レース短縮によりプロストは1位・9ポイントの半分である4.5ポイントしか獲得出来なかった)。

前述の通り雨を苦手(と言うより、極端に慎重な走りになる)としているため、レースが続行していれば優勝出来たかは疑問と言う意見もあり、最大で30秒以上あった2位アイルトン・セナとの差が、赤旗中止となったレース最終周には7秒差にまで迫られ、その後ろからはステファン・ベロフが、セナを上回る猛烈なペースで追い上げていた。

しかし、プロストよりも早かったのはセナとベロフだけで、セナは火傷とマシントラブルを抱えており、ベロフは後に水タンク事件で年間ポイント剥奪されている為、仮にレースが規定周回数まで行われていれば、最悪でも2位で6ポイントは獲得していただろうという意見もある。

[編集] 二年連続王座

マクラーレン時代(1985年)
マクラーレン時代(1985年)

2年連続惜しいところでチャンピオンを逃した経験から、この頃よりプロストは「プロフェッサー」と呼ばれる由縁の、リスクを冒して一発の速さを見せつけることより、どちらかというと確実性を尊重するステディなレース運びになったと言われる。

これにより1985年、プロストはミケーレ・アルボレートを破り初のチャンピオンとなる。シーズン2勝目を挙げランキングトップとなった後急失速したアルボレートに対し、プロストは後半戦も着実にポイントを重ねたことが、再逆転へと繋がることになった。

1986年にはナイジェル・マンセルやピケ、セナとの激しいチャンピオン争いを制するが、この年は最終戦で6ポイント差をひっくり返しての劇的逆転王座だった。2年連続王座は1959年・1960年のジャック・ブラバム以来26年ぶり。

[編集] 最多記録更新

1987年は苦戦を強いられることになり、年間3勝でランキングは4位。しかし、ポルトガルGPでのシーズン3勝目は、自身通産28度目の勝利となり、ジャッキー・スチュワートの持つ最多優勝記録を破るものとなった。

[編集] セナとの確執

[編集] 1988年

1988年、セナがホンダエンジンと共にマクラーレンに移籍してくる。チームはホンダV6ターボに合わせて開発したニューマシンMP4/4を投入。開幕からの11連勝をはじめ、セナ・プロコンビで16戦15勝を挙げるなどシーズンを通じて他チームを圧倒。「マクラーレン退屈症候群」なる言葉まで生まれた。

しかしその裏側では、セナとの人間関係が問題となりつつあった。当初は良好な関係を築いていた2人だが、ポルトガルグランプリでの『幅寄せ事件』(セナがプロストに対し1周目最後のメインストレートで、意図的にアウト側からイン側へ危険な幅寄せを行ったと言われる)を期に関係は悪化し、以降内部にはやや不穏な空気が見られるようになる。この年7勝を挙げるものの、8勝したセナの前に王座を逃す。

この途中、1988年のフランス大統領選挙では、選挙運動中のフランソワ・ミッテランの車を運転したと話題になったこともあった。

[編集] 1989年

セナとの確執は、翌1989年第2戦サンマリノグランプリにおける『紳士協定事件』により完全に表面化(オープニングラップの1コーナー以降では追越をしない、という約束をしていたが、反故にされた。プロストはタンブレロ、セナはトサを主張、後にセナ一応謝罪)。そのグランプリで怒ったプロストは3位までの入賞者に義務づけられている記者会見をボイコットして自家用ヘリで帰ってしまったため、後日罰金を科せられている。

この年の日本GPにおいては、最終コーナー前のシケインでイン側から追い抜こうとしたセナをプロストがブロックして接触、両者リタイアと言う最悪の事態を招いた。この直後リタイアしたプロストはコントロールセンターに駆け寄り、接触の原因はセナの無謀な追い越しであると非難。トップでチェッカーを受けたセナは、レース後の再裁定でコース復帰時のシケイン不通過で失格(その後、押し掛けに失格の理由が変更される)となり、その結果プロストが3度目の王座についた。 しかしこのレースでプロストはスタートで明らかにフライングをしており、 またこの接触ではセナの無謀な追い越しがピックアップされるが接触直前に プロストのオンボード映像ではシケインをショートカットする勢いでステアリングをイン側に切っているため接触の原因は セナのオーバーテイクを上手く利用して同士討ちに追い込もうとしたプロストにあるのではという声が挙がっている。 また、当時のFIAの会長がフランス人贔屓でありセナとは犬猿の仲であった事で 有名なジャンマリー・バレストルだったためこの結果に公平性があるのか一部疑問の声が挙がっている。


セナとの人間関係やホンダへの不信感もあり、1990年にチャンピオンとしてカーナンバー"1"を手土産にフェラーリに移籍する。

[編集] フェラーリ時代

カーナンバー"1"と共にやってきたフェラーリでは、移籍早々にまたしてもセナとチャンピオン争いを繰り広げることとなる。ニューマシン641で迎えた開幕戦アメリカGPは散々な結果だったものの、続くブラジルGPでセナの中嶋への接触もあり早くも移籍後初勝利を果たすと、メキシコGPでは13位スタートながら驚異的な速さで逆転、優勝しその後3連勝などこのシーズン5勝。

だがセナの9ポイントリードで迎えた第15戦日本GPで、セナにスタート直後にぶつけられリタイア(第一コーナーに侵入する際に、イン側のセナとアウト側のプロストが接触)、チャンピオンを逃すこととなった。2年連続の両者接触によるチャンプ決定という結果は、非常に後味の悪い印象を与えた。

[編集] 報道

1年後、セナは1990年の鈴鹿での接触は自分が故意にやったと発言したことで、更に物議を醸すことになる。セナは前年(1989年)の接触をプロストの故意によるものと捕らえ、1990年の接触はその仕返しだという意識だったとされるが、本人の口からそこまで語られたことはなく、真の意図は不明である。

関係者の間では「1989年のシケインでの接触の原因は意見が分かれるが、1990年のスタート直後の接触はセナの故意」という意見が大勢を占めていた。

この時期は日本でF1ブームが巻き起こっており、「速くてまじめなセナ、そのセナをいじめる悪賢いプロスト」といったイメージがテレビ放送などで喧伝されていたため、プロストとセナの争いもセナを同情的に見るファンが多かった。プロストが「ホンダはセナに自分よりいいエンジンを渡している」と発言したことなども「プロストは汚い手を使っている」と見なされたりした。

しかしチーム内でよりよい立場を得ようと画策するのもレースの勝負のうちであり、外部から批判されるようなことではないという意見もある。セナはレース中に故意にライバルに接触するなど、非常に重大で悪質な行為も見られたにもかかわらず、日本の一般ファンにはあまり問題視されなかった。これをもって、当時の日本のF1ブームでテレビ局や広告代理店による情報操作がいかに激しかったかの証左、と見る向きもある。

1989年のタイトル争いについて付け加えれば、セナは最終戦のオーストラリアグランプリ(豪雨のためプロストは棄権)でマーティン・ブランドルに追突してリタイアを喫しており、鈴鹿での接触・失格騒動如何に関わらずこの自滅により王座の可能性は完全に閉ざされた。にも関わらず、日本では「プロストがぶつかったことでセナのタイトル獲得が阻まれた」という報道が後年も執拗になされていた。

時代を下ること、93年開幕。復帰したプロスト(後述)は相互の了解の下、フジテレビとコース上にてインタビューを受ける。レポーター川井一仁の英語の質問にプロストは何気なくフランス語で返答した。これが翌日から日本のファンから「傲慢だ」と非難の対象となってしまう。後に今宮純らが「元からそうなる予定であった」と発言して沈静化するが、そこまでプロストは日本においては「敵役」にされていた。

しかし、一時期の熱狂的なブームが沈静化しつつあり、ファンが冷静にF1そのものを見て評価する土壌が育ってきたこと、他を圧する強力なマシンを得、またチームメイトも新人であったために、かつてセナとの争いで見せたような駆け引きを見せることも必要なかったこともあって、1993年シーズンでは純粋にドライバーとしてのプロストを評価する機運が日本でも生まれていた。引退表明して迎えた日本GPでは、鈴鹿サーキットにプロストを応援する多くの旗や横断幕(フランス語で書かれたものもあった)が飾られ、「日本はセナの国」と思っていたプロストもこれらをを見て感動したという。

[編集] フェラーリ離脱

フェラーリ時代(1991年)
フェラーリ時代(1991年)

1991年はチームがレギュレーション改正に対応したマシン製作に失敗したことから大低迷のシーズンとなってしまった。チームは前年のマシン641/2をレギュレーションに合わせて642として作り直した。テストでは絶好調で、開幕戦から投入したが、ベストハンドリングマシンとの呼び声高かった641/2のリア部分がウイング幅縮小、ディフューザー縮小などでダウンフォース不足となったため、もともと重かったエンジン(馬力もいまひとつだった)などと相まって持ち味のハンドリングのよさを殺されてしまい、戦闘力を大幅に欠いた。

慌てたチームはフランスGPよりアップデートマシンの643を投入したが根本的な解決にはならず、地元のフランスGPでマンセルと争った以外、全く優勝争いに絡むことが出来なかった。

更に度重なるチーム批判でチェザーレ・フィオリオ監督以下チーム首脳との仲は険悪になり、モナコ後にはフィオリオを解雇に追い込むが、その後も首脳陣との関係は悪化。「今のフェラーリは赤いカミオン(大型トラック)だ」と発言したことで、最終戦を待たずして離脱した。

終わってみれば、「デビューイヤー以来11年ぶりのシーズン未勝利」という不本意な成績であった。サンマリノGPでは、苦手な大雨だったとはいえフォーメーションラップの最中にスピン・コースアウトし、そのまま復帰できず棄権するという3度のチャンピオンらしからぬ失態を曝している。

[編集] 休養、復帰

1992年シーズンにはオールフランスチームの夢をかけて、開幕前にリジェチームのマシンのテストを実施するなどの動きを見せたが、パフォーマンス等に納得するものがなく、結局1年間の休養を表明。地元フランスのテレビ局で解説者として過ごした。

翌1993年、当時最強のウィリアムズ・ルノーのシートを獲得して満を持しての復帰。しかし、宿敵のセナがホンダエンジンを失い、ウィリアムズと比べると見劣りするマクラーレン・フォードのマシンで予想以上の健闘を見せた事や、同僚のデイモン・ヒルの成長や当時若手だったミハエル・シューマッハに押される事もあり、決して楽な展開ではなく、プロストにとって現役最後の勝利となったドイツGPも、ヒルが終盤でタイヤバーストによりリタイヤしたことで1位に繰り上がったものであった。

[編集] 引退

そんな中、所属するウィリアムズに翌年からセナが移籍することが確実になった事や、自らのモチベーションの低下を悟った事などから、ポルトガルGP開催中に引退を発表し、このレースで2位に入賞して4回目の世界チャンピオンの座を獲得。このレースでは、チェッカーを受けた後にコース上にやって来たファンから貰ったフランス国旗を掲げて走行した。

チャンピオンを決めた後は、その後の日本GPと最終戦オーストラリアGPではセナの完勝を許すも(共に2位)、そのオーストラリアGPでの表彰台にて遂にセナと和解。表彰台で握手をする姿は、長き確執の歴史を知る関係者およびファンにとっては一つの時代の終幕を物語る光景となった(実は表彰台に向かう前のパルクフェルメ内でロン・デニスを含めた3人で握手をしており、表彰台上での握手はもちろんファンへのアピールのため)。

翌年1994年サンマリノGPでは解説をつとめ、フリー走行中のセナに無線でインタビューするなどに至るが、そのセナはこのレースで不帰の人となってしまう皮肉な結果となった。セナの死後にプロスト復帰説が流れた事もあったが、プロストは『それは絶対にない』と否定した。

[編集] F1ドライバー引退後

ドライバー引退後、しばらくはルノーやマクラーレンのアドバイザーとして働いていた。この頃、プロストはルノー親善大使として、彼が出演したルノー・ルーテシアのテレビCMが日本でも放映されていた。

すれ違いできないような細い道を対向してきた女性ドライバーのために、プロストが自分のルーテシアを猛スピードでバックさせて道を譲るという内容のCMだったが、そのドライビングはさすが世界チャンピオンと呼べる見事なもので、プロストの運転の上手さを再認識させられたと一部のプロの間では大変な評判だった。

ルノーとの契約を1995年に打ち切り、当時低迷していたマクラーレンをテストドライブしたことで、現役復帰かと騒がれるが、結局復帰はせずテクニカル・アドバイザーとしてチームに加入。1996年の新車MP4/11のシェイクダウン・テストを担当するなと、若いレギュラードライバーたち(ミカ・ハッキネンデビッド・クルサード)を陰で支えた。

プロスト・グランプリ時代(2000年)
プロスト・グランプリ時代(2000年)

1997年リジェを買収しF1チームのオーナーとなり、プロスト・グランプリと改名しグランプリに参戦した。翌1998年にはプジョーと手を組んでオールフレンチチームの実現を目指したが成績は振るわず、2002年初めにチームは破産。輝かしい経歴に傷をつける結果となり、「一流のドライバーが、一流のオーナーになれるとは限らない」実例に挙げられてしまうことにもなった。

この頃、Number誌によるインタビューの「ドライバーとしてのプロストは、チーム監督としてのプロストから見てどうか、今になって欠点はあるか」の問いに、「ない。彼はすばらしいドライバーだ、すぐにでも雇いたい」と言っている。

F1ドライバーでプロスト・グランプリにも所属していた中野信治はそのチーム監督としてのプロストの姿勢を批判していた。

[編集] F1撤退後

2003年からはフランスの氷上レース、アンドロス・トロフィーにオペル・アストラで参戦。2004年はフランストヨタの支援を得て、トヨタ・カローラで参戦している。

2005年、プレゼンターとしてフランスGPを訪問。久々にF1の舞台に姿を現し、優勝したルノーのフェルナンド・アロンソにトロフィーを手渡した。アロンソはこの年、プロストが果たせなかったルノーでのワールドチャンピオンになった。

[編集] ドライビングスタイルの変化

日本では、「プロフェッサー」というあだ名から「速さより確実さのドライバー」というイメージが強い。しかし、若手時代は速さを前面に押し出したスタイルであり、アクセル全開・ブレーキ全開の瞬発型ドライバーであった。

[編集] プロフェッサー

1984年にニキ・ラウダとチームメイトになった頃から、スムーズな加減速と追い抜きを武器に確実な結果を残す戦略へと変化。これによりファステストラップを多く獲得するようになり、綿密で計画的なレース運びもあり「プロフェッサー」と呼ばれるほどになった。

全盛時のプロストはライバルの動向も含めてレース全体を考慮に入れ、安全マージンをしっかり取り、必要であれば最速クラスのスピードを披露していた。1987年の日本GP・鈴鹿では、序盤のタイヤバーストで一旦は最後尾(26位)まで順位が落ちながら、猛追して7位まで挽回。このレース中でプロストが記録したベストタイムは、優勝したフェラーリゲルハルト・ベルガーよりも1.7秒速いものだった。

これらから、ジャッキー・スチュワートエマーソン・フィッティパルディニキ・ラウダなどと似たタイプであり、玄人好みのドライバーとも言われる。関係者の間では「セナは強烈に速いが、マシンに負担をかけず確実に走る腕はプロストの方が上ではないか」という声もあった。

アンダーステアのセッティングを好み、ステアリングの切れ角を大きく取らないことでタイヤを傷めない走りを身につけていた。1993年のチームメイト、デイモン・ヒルは、同じセッティングで走っていたプロストのハンドル操作が極めて少ないことをデータから知り、プロストの走法を学ぶようになったと言われている。また、この年の暮れにパリで開かれたチャリティ・カート大会で、他のドライバーが派手なドリフトでコーナーを曲がっているのにプロストは一切テールスライドをしないスムースな走りを披露し、それを見たセナが、「どうしてあの走りであのタイムが出るんだ!」と驚愕した。かつてのチームメイト、ケケ・ロズベルグの解説によれば、傍目にはスムースに見えるプロストのコーナリングは、ブレーキをかけないまま曲がっていき、曲がりながらロック寸前までブレーキをかけ一気に転回し、そこから全開で加速するという独特なもので、ロズベルグ自身も真似しようとしたがどうしても出来なかったという。

タイヤを労わって走る能力はライバルの追随を許さないものがあり、例年タイヤに厳しい猛暑のブラジル・グランプリで、1987年、88年ともにライバルよりも1回少ないタイヤ交換で優勝している。また、1989年の同グランプリでは、クラッチトラブルから予定されていた2回目のタイヤ交換が出来ず、序盤に交換したタイヤで最後まで走り切り、2位を獲得した。


[編集] 日本での報道

確実性のある走りから付いた異名として知られる「プロフェッサー」だが、日本では「速さに確実性を兼ね備えた走り」という意味ではなく、「速さよりも確実性を取る走り」という使われ方がなされる傾向があった。日本におけるブーム以前からF1報道に携わっているジャーナリストが「プロストは冷静沈着なだけではなく攻めの走りも凄い。あのプロフェッサーという例えはおかしい」と憤慨していたこともある。

一般ファンはセナのような勇猛果敢なドライバーを好むが、F1レースは年間タイトル獲得が最大の目標であり、この点でプロストがF1史上でも抜きん出た存在の一人なのは、多くのファンが熟知するところである。一年の休養を挟んで4度の世界タイトルを獲得している偉大なドライバーであり、プロストが基本的には非常に速いドライバーであることは留意すべき、との指摘も多い。事実、地元フランスグランプリや、フランス語圏であるカナダグランプリでは、晩年に至るまで縁石に思い切り乗り上げてタイムを刻む溌剌とした走りを披露していた。

プロストとセナの走りは対極であるかのように言われることがあるが、プロストは「チームメイトがセットアップしたマシンでそのまま走れたのはセナとラウダだけだった」と発言しており、マシンの最大の性能を引き出すセッティングは両者同じであったことが窺える。

[編集] プロストは雨が嫌い?

雨は極端に苦手としているとされる。1982年のドイツグランプリで、視界が極端に悪い霧雨の予選中、スローダウンした前車をパッシングしたところ、その更に後ろからアタック中だったディディエ・ピローニがこれを視認できず、ピローニ車の前輪がプロスト車の後輪に乗り上げ空中へ飛び出し、プロスト車を飛び越えて前方の路面に叩きつけられるという大事故が起きた。

プロストに過失は一切ないものの、この事故によりピローニは両足を複雑骨折しレース生命を絶たれる。同国の先輩のこの事故に絡み、救助の過程でピローニの負傷を見たことが雨の路面に対する恐怖心を生んだのではないかという説が有力である。また、スムーズなドライビングが実はリスクマージンが狭いだとか、単に器用でないなどいろいろな言われ方をするが理由は本人以外知りえない。

雨の路面を嫌う余り、雨の降り始めに真っ先に雨用のレインタイヤへ交換してしまうため、すぐに天候が回復してレースを失うことも多かった。また、89年のオーストラリアでは、あまりもの雨だということで、出走を取りやめるよう、他のドライバーに働きかけにも行っている。この直前が例の鈴鹿の一件でもあり、このレースのおかげで「雨の中嶋、幻の表彰台」があったので、日本のファンの中には、印象が深く、また、プロストの雨嫌いと姑息さを混同する向きもあった。(「F1総集編'89」でもそうと捉えられかねないシーンがある)

この「プロストは雨が嫌い」という話は日本のマニアの間で面白おかしく語られることが多いが、雨はどんな名手にとっても難物であり、ワンミスでリタイヤにもつながりかねない。シーズン全体を見通してレースを組み立てるプロストにしてみれば、雨で無理をしないのは当然のことなのだという考え方もできる。「雨であまり好成績を出していない」ことと「雨が嫌い、雨が苦手」ということは必ずしも同じではなく、雨に強いとされたアイルトン・セナも「雨は嫌い」と発言している。

これはプロスト最大のライバルとして、雨にもかまわず勇猛な走りを見せるアイルトン・セナが存在したことから、ことさら強調されているきらいがあるという説もある。「セナは雨が得意、プロストは苦手」といった単純なキャラクター付けは、レースを見慣れていない層にも分かりやすく、レース展開への興味を喚起しやすいためであり、'80年代末に日本でF1ブームが巻き起こった際、ブームを先導したテレビ局や代理店が、こういったキャラクター付けを熱心に行っていたのも一因とされる。

[編集] エピソード

  • 出走回数の199は最も多く流布している数字であるが、予選を通過し決勝に進出したレースは201であり、ここから「豪雨のため出走を拒否した」89年オーストラリアGPと「フォーメーションラップ中のスピン」でリタイアした91年サンマリノGPを引いた数字である。現在はマシントラブル等でフォーメーションラップに出られなかったり、フォーメーションラップ中にストップした場合でも、出走回数としてカウントすることが記録史家の間では一般的である。このため、史家の中にはプロストの出走回数を200あるいは201と記録するものもいる。
  • 1982年のフランス・グランプリでアルヌーに優勝をさらわれたプロスト。レース後自宅へ帰る途中にガソリンスタンドに立ち寄ると、店員が彼をアルヌーと勘違いして勝利を祝福し、「あの何とかプロストって奴にもいい薬になりますね」とウィンクした。クレジット・カードで支払いをしようと思っていた彼は、現金で支払うことで真相が露呈するのを避けた。
  • フランスの高速道路でねずみ捕りにひっかかったプロストは、追いかけてきたパトカーに制止された。警察官はまじまじと彼を見て言った。「お前は自分をアラン・プロストだとでも思っているのか?」
  • その日本グランプリの後、東京で立ち寄った吉野家牛丼を気に入ってしまい、「オレンジ色の看板のレストランでライスの上にビーフの乗ったものを食べた。生卵がまた良かった」などと発言した。
  • 1993年を限りに引退を表明していたが、シーズンオフにマクラーレンの要請に応える形でプジョー・エンジンを搭載したMP4/9をテストドライブした。このことにルノー首脳陣は激怒し、後にプロスト自身がチームを所有した際にエンジン供給を拒否したと言われている。
  • プロストがテレビ解説を務めていた1994年ドイツ・グランプリで、リジェの2台が表彰台を獲得したが、リジェのマネージャーは、フェラーリ時代に反目したチェザーレ・フィオリオだった。マイクのスイッチが入っていないと思っていたプロストは「あのクソ野郎、ついてやがるぜ」と呟き、全国に生放送された。

[編集] F1での年度別成績

所属チーム 獲得ポイント ランキング 決勝最高位・回数 表彰台回数 *予選最高位・回数
1980年 マクラーレン 5 15位 5位・1回 1回 7位・2回
1981年 ルノー 43 5位 1位・3回 6回 1位・2回
1982年 34 4位 1位・2回 4回 1位・5回
1983年 57 2位 1位・4回 7回 1位・3回
1984年 マクラーレン 71.5 2位 1位・7回 9回 1位・3回
1985年 73 1位 1位・5回 11回 1位・2回
1986年 72 1位 1位・4回 11回 1位・1回
1987年 46 4位 1位・3回 7回 2位・3回
1988年 87 2位 1位・7回 14回 1位・2回
1989年 76 1位 1位・4回 11回 1位・2回
1990年 フェラーリ 71 2位 1位・5回 9回 2位・5回
1991年 34 5位 2位・3回 5回 2位・3回
1993年 ウィリアムズ 99 1位 1位・7回 12回 1位・13回

*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリッド

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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