牛丼
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牛丼(ぎゅうどん)とは、牛肉のバラ肉や切り落とし肉をコマ切れにして、玉ねぎとともに甘辛く煮込んだ具材を、丼に盛った飯のうえにかけただけの庶民料理。付け合せとして紅ショウガ、七味唐辛子、生卵などを好みに応じて加えることが多い。また、後述のすき焼き丼の名残でしらたきを一緒に煮込むこともある。
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[編集] 歴史
明治時代、文明開化により牛肉を食べる習慣が広まり、大衆向けに考案された牛めしが原型で、牛鍋をどんぶり飯に掛けたものですき焼き丼なども同類。牛鍋の残り物を飯にかけて、犬のエサとして食べさせたという由来から、「カメチャブ」という俗称で呼ばれていた。ちなみに犬のことを「カメ」と呼ぶのは、居留外国人が犬に "come (here) " と呼ぶのを聞いたことによる。「チャブ」については卓袱台を参照。
1970年代後半頃から、東京の牛丼屋吉野家が、ファーストフードのひとつとしてフランチャイズチェーンを展開したことで一般に親しまれるようになり、その後、養老乃瀧、松屋、すき家、神戸らんぷ亭などが牛丼(牛めし)をチェーン展開した(「養老乃瀧」は後に牛丼からは撤退)。1993年当時、ダイエーグループの神戸らんぷ亭が恵比寿に一号店の出店を発表した際、セゾングループの吉野家が即対応し、2軒隣に吉野家恵比寿駅前店を開店したのは有名な話である。
現在の吉野家を源流とするファーストフードの牛丼は牛鍋と違う独自の調味が工夫されているが、後発の神戸らんぷ亭の牛丼はどちらかというと正統な牛鍋風の調味であった。しかし神戸らんぷ亭の味付けは違和感があったためか(少なくとも東京地域では)のちに調味が見直され、一般的な牛丼風味となった。
落語家、八代目林家正蔵の独演会では客に牛丼を出したことから、弟子は噺を覚える前に牛丼の作り方を覚えたというエピソードもある。
一時期吉野家と牛丼屋の展開競争を行っていたあるチェーンでは、非常に安価な価格を設定したため「一般的に食べない動物の肉を使用している」などという都市伝説が語られたが、後に安売り競争から脱落し牛丼の提供は行わなくなった。
吉野家などでの牛丼店では、「つゆだく」「ねぎだく」等、客の好みに合わせた盛りつけを無料でおこなっている。ただし、これは店内のどこにも明示されていないサービスである。
- つゆだくとは、牛丼における盛り付け指定の一種であり、具材の汁(つゆ)を多めに盛り付けた状態のことを指す符丁。 つゆを少なめに盛り付けることは、つゆ抜きと呼ばれる。 また、つゆだくだくという、さらに多めにつゆを盛り付けた状態を指す言葉もある。時に、「つゆだくだくだくだくだく」のように、「だく」を多くして、つゆをとても多くしてもらう人も稀に居る。ただしあまりにつゆが多いと「味噌汁かけご飯」のようになり、「牛丼」とは呼べないようなものになってしまう。
- ねぎだくとは、牛丼における盛り付け指定の一種であり、具材の玉ねぎを多めに盛り付けた状態のこと。だが吉野家においては牛肉の量は減らしてはいけないと指示がされているので、その分肉が減るという事はない。もちろん、ねぎ抜きの注文でその分肉が増量されることもない。
- 「つゆだく」という用語は、華原朋美がミュージックステーション中のタモリとのトークで、吉野家原宿店で「並・玉(生卵のこと)・つゆだく」で食べていると楽しそうに話したことから、広く一般的知名度を獲得し、女性客を増やす契機になった。なお、これに対しタモリは「昼間の牛丼屋で牛皿を肴に一杯やってるオヤジを見ると、渋いと思う」と、さらにマニアックな返しをした。
牛丼チェーンの地域的特性として、四国や南九州には吉野家以外は出店しておらず、その吉野家も店舗数は1桁しかないことがあげられる。とりわけ四国は物流面で特殊事情(本四架橋の高額な通行料)を抱えており、損益分岐点が他地域に比べて高くなっているため、進出に消極的となっている。
[編集] BSEの影響
- 12月24日 - アメリカワシントン州においてBSE(牛海綿状脳症、狂牛病)感染疑惑牛発見の発表があり、同12月26日に日本政府はアメリカ産牛肉の輸入禁止を決定。このことは、安価なアメリカ産牛肉に支えられた牛丼屋チェーンに深刻な影響を与えた。
- 1月1日 - 吉野家、牛丼の特盛りの販売を一時中止。代替メニューの豚丼、イクラシャケ丼、鶏丼等の販売を開始するとともに、朝定食の全日発売を開始。また都内を中心とした一部店舗の深夜休業や年末年始休業を実施。
- 1月18日 - 「なか卯」は牛丼の販売を一部店舗で中止。他の牛丼チェーンは、新メニュー・代替メニューが登場している。しかし、このままでは同年2月頃牛肉在庫がなくなる可能性がある。
- 2月2日 - なか卯の牛丼販売が全面的に中止。主要チェーンでは最初の中止。
- 2月5日 - すき家の牛丼販売が全面的に中止。
- 2月11日 - 吉野家の牛丼販売が、第一号店築地店と出店契約上メニューが変更できない競馬場、競艇場内を除き全面的に中止。
- 2月13日 - 大手では最後まで残った松屋の牛丼販売も中止(2004年3月10日 - 3月31日の期間は一部の店舗で特別販売)、牛丼販売大手4社から牛丼が一旦消えるという異常な事態となった(神戸らんぷ亭・牛丼太郎では販売継続)。
- 9月17日 - すき家でオーストラリア産牛肉を使用し、牛丼販売を再開する。
- 10月 - 松屋で中国産牛肉を使用し、牛めし販売を再開する(後にオーストラリア産に変更)。
- 12月2日 - 吉野家のほぼ全店でオーストラリア産牛肉を使った「牛焼肉丼」を発売。
- 12月7日 - なか卯の全店でアメリカ産、オーストラリア産、メキシコ産などの牛肉を使った「牛カルビ丼」を順次発売。
- 2月11日 - 吉野家で1日だけの牛丼限定復活発売が行われた(全国150万食)。
- 2月15日 - 2月19日 - なか卯で5日間だけの牛丼限定復活発売が行われた(その後、時期は不明であるが(恐らくゼンショー系列入り後?)、オーストラリア産牛肉を使用し、牛丼販売再開)。
- 4月29日 - 5月8日 - 大阪市住之江区・インテックス大阪で開催される「'05食博覧会大阪」の会場限定で、メキシコ産牛肉を使って吉野家の牛丼を販売(1日2000食限定、牛丼弁当並み盛を1杯400円(通常は280円))。
- 12月12日 - アメリカ産とカナダ産牛肉の輸入禁止措置を条件付で解除→ウィキニュース。これを受けて、吉野家は2か月程度で牛丼の販売を再開するという報道がされたが、すき家では安全性の懸念から、当面使用を見送ると表明するなど対応が分かれた。
- 1月18日 - 吉野家はアメリカ産牛肉の禁輸解禁を受けて、ある程度販売する量の牛肉が確保できたとして2月11日から13日に限定して牛丼の復活販売をすることを決定。3月以後も期間を限定して販売する方針であることも示唆。
- 1月20日 - アメリカ産牛肉からBSEの病原体がたまっている危険部位と指摘されており、輸入の際除去が義務付けられている脊柱(せきちゅう)が混入していたことが判明。日本政府は直ちにアメリカ産牛肉を再び全面禁輸にする処置を発令。→ウィキニュースこれを受けて1月21日、吉野家は先述の牛丼復活販売を当面延期すると発表した。→ウィキニュースその後、7月27日に、安全性が確認された施設に限り輸入を再再開することを日本政府が決定。
- 9月18日 - 吉野家が「牛丼復活祭」として、11時から100万食限定(各店舗約1000食)で牛丼の販売を再開。各店舗には開店前から行列ができ、報道各社もこのキャンペーンを一斉に取り上げた。この日の販売は、並盛(380円)と大盛(480円)のみ。キャンペーンの一環として、オレンジと白の2種類(牛丼1食に1枚)の「牛丼復活記念オリジナルてぬぐい」を配布した。その後、「牛丼祭」と銘打ち、10月1日から5日と11月1日から5日に限定的に牛丼を販売。
- 12月1日 - 吉野家は牛丼の販売を、期日限定から、毎日11時から15時までの昼食時間帯限定に拡大。
- 3月1日 - 吉野家は牛丼の販売を、毎日11時から24時までの時間帯限定に拡大。
[編集] 主な牛丼屋
- 吉野家
- 松屋
- すき家(「株式会社ゼンショー」)
- なか卯
- 神戸らんぷ亭
- 牛丼太郎(一切宣伝活動を行わないことで牛丼ファンの間で有名)
- たつや(上記牛丼太郎よりもさらに店舗展開が謎のチェーン店)謎の牛丼屋 たつや
- 吉田家(佐賀県唐津市に実在。はなわのヒット曲「佐賀県」の歌詞にあり、元々フィクションであったが、自身のプロデュースにより本当にオープンさせた。しかし、諸般の都合により2006年9月25日をもって閉店することになった)
- 神田屋
- サンボ(秋葉原の老舗として有名)