ウィキペディア日本語版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィキペディア日本語版(ウィキペディアにほんごばん)は、ウィキメディア財団が運営する多言語百科事典プロジェクト「ウィキペディア」の日本語版である。
英語版、ドイツ語版、フランス語、ポーランド語版に次いで5番目に大きなウィキペディアであり、2007年3月現在、約34万件の記事が存在している。
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[編集] 歴史
Wikipedia:発表にも足跡が残されています。
[編集] 発足当時
英語版をベースに始まったウィキペディアが多言語化に乗り出したのは2001年の5月頃である。当時の発表、Wikipedia:Announcements May 2001(英語)、および2005年5月20日に Wikipedia-l に流れたメール [Wikipedia-l] happy birthday :-) によれば、2001年5月20日に日本語版を含む13の非英語版サイトが発足した[1] [2]。
発足当初のURLには http://ja.wikipedia.com/ と http://nihongo.wikipedia.com/ が使われていた形跡がある。
当初のメインページは irasshaimase! で始まる全文ローマ字だった[3]。残されている履歴情報から、3月から4月にかけて既に数度の編集を経ていることがわかる[4]。このため、英語版内部などで開発された可能性も考えられる。
最初の項目は Nihongo No Funimekusu と題されたもので、日本語の音素(英: Phonemics → Funimekusu)が仮名と必ずしも一対一対応の関係にないことを示した記事だが、これもローマ字で書かれていた。投稿者は RoseParks(英語版の初期メンバーの一人)で、投稿時期は4月初め頃の間、つまりサイトがテスト段階にあった頃と思われる。(この項目のミラーが[5]に保存されている。履歴情報は、[6]で見ることができる。)
12月下旬時点での総ページ数は、2ページに留まった。
[編集] 日本語化
2002年9月1日にソフトウェアの変更があり、旧バージョンからファイルの移動が始まる。この時期のファイルは現在の日本語版の履歴からも遡れる。国の一覧・エスペラントの最古版[7][8]などから見て取れるように、日本語のネイティブスピーカーではない利用者の投稿による項目も多かった。主な分野は日本文化・言語・世界地理・プログラミング関連。
同月の内にインターフェースの日本語訳が始まり、年末の時点でWikipedia:編集の仕方(正確にはその前身にあたるWikipedia:How does one edit a page)やGNU FDLが訳された。
12月中旬の時点で登録ユーザー数は10人程度、総項目数は10件程度であった。
[編集] 参加者の急激な増加
2003年初頭、インターネットの大きな日本語サイトで相次いでウィキペディアが取り上げられた。これにより数次の急激な利用者増が起こり、ウィキペディア日本語版は、他の言語のウィキペディアにもなかった急激な成長を見せることとなる。
[編集] Wired News 日本語版での掲載
2003年1月31日、Wired News 日本語版でウィキペディアについての記事が掲載された[9]。これはウィキペディアが日本語メディアで紹介された最初の例であると思われる。
これを境に多数の参加者を迎え、Wikipedia:名前空間・Wikipedia:ウィキペディアへようこそ・Wikipedia:基本方針とガイドラインなどプロジェクト関連の文書が本格的に翻訳または作成された。
漫画家・都道府県など、項目数が増えた。証券取引などをめぐる本格的な項目も出現した。
[編集] スラッシュドット現象
2003年2月12日にウィキペディア日本語版は1000ページを突破した。奇しくも英語版が2年前の同じ日に1000ページ突破を達成している。
1000ページ突破を受け、スラッシュドットジャパンにウィキペディア日本語版が紹介された[10]。これにより、この数日後参加者は倍増することとなり、日本においてもウィキペディアでスラッシュドット現象が小さくも発生した。
この結果、様々な分野の項目が増加した。主なものとして、物理学・生物学・情報工学・文学・音楽・ゲーム・漫画・タレント関連などが挙げられる。
[編集] さらなる成長
ウィキペディアは数度のサーバ故障によるサイトダウンを経験している。2003年4月5日18時08分から4月6日17時37分(いずれも日本時間)の間、ウィキペディアのサーバが故障し、書き込みがなかった。サーバダウンは後に、2003年12月・2004年6月、および2005年2月にも起こっている。
しかし大勢においては、このような事故はウィキペディアの拡大には影響を及ぼしていない。10000項目を超えるころから、ウィキペディア日本語版はほぼ同じペースの成長率で項目を増大させていき、数ある小さなプロジェクトのひとつから、ウィキペディアプロジェクト有数の規模を誇る代表的なプロジェクトへと発展していく。
[編集] 大規模DBクラッシュ
2003年12月、ウィキペディアを提供していた三台のサーバが故障した。このため数日全言語及び各種姉妹プロジェクトを含めて停止していた。ユーザの一部は寄付を行ってサーバ購入費用を提供した。
2004年6月7日未明、ウィキペディアなどのデータベースサーバーが故障し、翌日12時前まで全言語及び各種姉妹プロジェクトを含めて停止していた。このクラッシュの直前のごく一部の編集だけが失われた状態で復活している。
2005年2月22日の日本時間7時15分、データセンターの内部で停電が起こり、全言語版が停止した。当日中に読み出し専用状態に回復したものの、書き込みが可能となったのは翌23日の日本時間7時25分頃だった。
[編集] 成長の軌跡
2003年6月15日にウィキペディア日本語版の項目数は10000を突破した。1000項目から10000項目までの増加に要した日数は4ヶ月と3日間であり、これは英語版よりも早いペースであった。
2004年5月26日2時21分頃には項目数が50000を突破した(Wikipedia:50000項目達成)。
また9月29日11時3分(日本時間)頃には項目数が75000を突破した(Wikipedia:75000項目達成・Wikipedia:プレスリリース/75000項目達成)。
ある時期から、Yahoo! News などからのリンクによる利用者が急増し、日本語版の特定の項目が多く参照される現象がしばしば観測されるようになる。これは英語を使用する開発者などからは、yahoo spike (ヤフーによる急激な利用者増加)などともいわれた。
2004年末、ウィキペディア日本語版の登録者は、1万5千弱に達した。利用者は前年比600%を超えるなどと報道された。
2005年2月11日17時52分(日本時間)頃には項目数10万を突破し(Wikipedia:10万項目達成 Wikipedia:プレスリリース/10万項目達成)、一定のペースを保ち項目数の増加を続けている。
[編集] 外部からの反応・評価
[編集] 2003年 - 2004年
ウィキペディア日本語版に対する評価や注目は、他の言語の同規模のウィキペディアと比べると、好意的な反応もあるが必ずしも高いとはいえない。[要出典]
2004年9月には、日本広告主協会からWeb クリエーション・アウォード特別賞を贈呈された。これは本来個人を対象とする賞であったため、日本語版の初期に活動していたフランス人利用者、ギヨーム・ブランシャー(利用者名Aoineko)が代表で賞を受け取った。
[編集] 2005年 - 2006年
日本語版が15万項目のマイルストーンを超える前後から、「Web 2.0」の一翼としてウィキペディアが取材・紹介されることが増えた。特に、gooが「goo辞書」の一環に「ウィキペディア検索」を組み込んだころから「Web 2.0」という文脈以外の「検索手段」としても認知が広がった。2006年8月に朝日新聞1-2面の特集コラムで詳しく紹介されたことも、ウィキペディアの名前を一般に広めることとなった。また、ウィキペディアをSEOに利用することを推奨する記事がインプレスのINTERNET Watchに掲載されたが、後に削除された。
ただし、知名度が上がるにつれて宣伝目的の投稿やいたずらなどの好ましくないとされる行為も増えている。個人や団体に対する誹謗中傷が投稿されることもあり、項目本人・当該団体から訂正の申し入れが、該当ページのノートやWikipedia:連絡先にたびたび寄せられるようにもなった。また、申し入れをせず黙って自分で消そうとしてトラブルになるケースも見られる。例として、西和彦は、自らについてデタラメな記述をされたとして、ウィキペディア批判の急先鋒と化し、「2ちゃんねるもウィキペディアも同じようなもの」と発言[1]。またコラムの内容を批判された古森義久も自分のブログで、「“まとも派”を攻撃する左翼のフォーラム」「おかしな人がおかしな記事に書き換えている」とまで酷評している。作家、コメンテーターの北芝健も、ウィキペディアに書かれていた偽情報のために経歴詐称疑惑を受けたと不満を述べている。脳科学者茂木健一郎も、自分の記事に関連して、他人の意見を引用する形で、ウィキペディアを批判している[2]。
[編集] 2007年 - 2008年
こうしてウィキペディアも社会に市民権を得てきており、またネット社会の得失も一般に認知されるようになった。所詮ネットは信憑性のないただの噂だという捉え方と、自由表現の中に真実があるという意見とが揺れ動いている。一定の時間経過が更に洗練された形に変えていくことが期待されている。
[編集] メディアウィキのアップグレード
ウィキペディア日本語版を支えるソフトウェア、メディアウィキ (MediaWiki) は、ウィキペディア寄稿者のボランティアにより開発されており、これまでに数回のアップグレードを行っている。
2004年5月28日22時38分頃、ウィキペディア日本語版のメディアウィキがバージョン1.3にアップグレードされ、それに伴い新しい外装(スキン)「MonoBook」が追加された。またデフォルトのスキン設定がそれまでの「標準」から「MonoBook」に変更された。このアップデートは5月28日から5月29日にかけて全言語版で行われた。
メディアウィキ1.3には、項目を分類するカテゴリ機能が付与されていた。これは最初英語版などに導入され、日本語版ではすぐには導入されなかったが、2004年6月25日10時頃(日本時間)、日本語版でも使用可能となった。
2004年12月に、メディアウィキ1.4がウィキメディア・プロジェクトに導入されはじめた。これにより削除された特定の版を復帰する機能や、画像表示のためのマークアップの簡略化などの機能が提供されるようになった。
[編集] ウィキペディア日本語版の現在
サイトの規模は、記事数でみれば最も大きな英語版の5分の1程度である。分野によっては非常に細かな内容まで記されている分野もあるが、逆にまったく未執筆の分野も多い。また、書籍としての百科事典の概念にどれだけ忠実であるべきか、新しいウェブ上の百科事典の可能性をどのように追求するべきか、などについても多様な意見が出ている。 量でこそ一般の百科事典を上回るが、学者らにより執筆される書籍の百科事典と比較して内容の権威・信用性・現状適合性に疑問を抱く者もいる。 しかし”内容無保証”、“常に執筆中・完結未定”はウィキペディアの宿命である。 一部には「主要項目を網羅・充実させよう」という動きがあるものの、まだ本格化していない。
また日本語版の特徴として、ログインしない利用者による編集が多いことがあげられる。若干の変動があるものの、編集回数の約40%がログインしない利用者によるものである。他の言語版での15%から20%に比べると、著しく多いという意見もある。
ウィキペディア日本語版は、他言語版のウィキペディアと比べて成長が早いものの、必ずしも肯定的にのみ評価されているわけではない。
誰でも書けることにより、充実させる当ても無く作られた内容の乏しい項目が多くある。
誰でも編集に関われるが故に、各々の宗教的・政治的主張の宣伝に用いようとする例もある。逆に芸能人・著名人の本名や不祥事について“プライバシー侵害”や “名誉毀損”の惧れがある内容まで書こうとする執筆者も多く、外部World Wide Web上では既に明らかになっている事を理由に執筆を主張するユーザーと百科事典的でない、あるいは法的リスクが高いと執筆に反対するユーザーの間の論争を背景とした編集合戦が多発している。こうした編集合戦が原因で記事の保護にまで発展する項目も数多くある。
またいわゆるサブカルチャー、おたく関連(主として、漫画、アニメ(特にOVA)、コンピュータゲームに関するもの)の分野の執筆者、編集に参加する者が多く、それ等に関連するものの説明が頗る付きで(どこか必要以上に)詳しい記事があるのも、日本語版Wikipediaの大きな特徴でもある。
[編集] 2ちゃんねるとの関係
また、ウィキペディア日本語版発足よりも以前に既に日本のネット社会に普及していた匿名掲示板「2ちゃんねる」の影響も日本語版の特徴の一つである。「2ちゃんねる」の利用者(俗に2ちゃんねらー)の一部の人間により、同掲示板内でしか通用しない話題や用語、板名等といった項目が多数作成されている。また、戦前・戦中の歴史関連(特に近現代史)に関する記事が思想的に偏った内容に編集されたり、荒らしや煽りの原因となっている。これらを問題視した利用者により削除依頼が出される事も少なくないが、編集合戦のような状況になったり、削除された後に時間をおいて再投稿されたりといったいたちごっこに発展する例もある。
そのような状況が甚だしい場合は、該当記事が白紙保護処置(項目見出しだけを作り、書けないようにロック)される。また、2ちゃんねるでウィキペディアへの書き込みを促すスレタイトルが作られ、中にはウィキペディアでの荒らしを助長するものもある。
[編集] オープンプロキシ/署名問題
オープンプロキシを使わない、ノートへの発言にはIDまたはIPアドレスで署名をする、といったことがマナーとされている。が、この点は、基本的に「名無しさん」という形での匿名投稿が基本文化である2ちゃんねるとの乖離が大きいため、IP署名をしない、IPを隠すためオープンプロキシを使用する、自分の主張に反する記述を変えたいが為に捨てアカウントで一回だけログイン・編集し以後は放置するといったことが度々ある。
[編集] 脚注
- ^ http://www.j-cast.com/2006/11/30004064.html
- ^ http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/01/post_1d34.html
[編集] 関連項目
- 日本のインターネット
- Wikipedia:日本語版の統計
- Wikipedia:ロゴ - 日本語版ロゴの経緯など。
- Wikipedia:メインページの改訂 - メインページの遷移など。
- Wikipedia:バナー
- ウィキペディア完全活用ガイド
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