藤本敦士
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男子 野球 | ||
銅 | 2004 | 野球 |
藤本 敦士(ふじもと あつし、 1977年10月4日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手である。ポジションは内野手。背番号は9(2001年のみ56)。愛称は「モンキー」「もっさん」「リン」「フジモン」。濱中治からは「阪神の森田剛」とも。甘いフェイスと独特の存在感で、多くの女性ファンの黄色い声援も欲しいままにしている。2004年から新たに加入した、鳥谷敬選手との遊撃手をめぐるポジション争いなどでも注目を浴びた。ただし2005年に藤本が二塁手にコンバートされたことで、現在は双方がスタメン出場する事になる。夫人は元タレント。2005年8月17日に長男が誕生した。ちゃっぴーというロングコートチワワの犬を、飼っている。
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[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
育英高校時代はキャプテンを務め、1995年のセンバツに出場。 一回戦は創価高校に6-2で勝つものの、二回戦の前橋工戦で自らのエラーが原因でチームはサヨナラ負けを喫し、試合後のインタビューに涙を流しながら応答し、これからの“決意”を表明した。
亜細亜大学進学後、一年の春からベンチ入りするなど期待されていた選手だったが、椎間板ヘルニアを患い、やむを得ず大学を1年途中で中退。一時は「スポーツはもう無理」とまで言われたが、その後の懸命なリハビリにより、奇跡的に治癒。
実家の焼き鳥屋に客として訪れた岡田彰布(当時オリックスコーチ)の勧めで甲賀総合科学専門学校に進み、卒業後はデュプロでレギュラーに。 2000年の日本選手権では遊撃手を探しに来ていた阪神の野村克也監督の目の前で岡本真也(当時ヤマハ、現中日)から3安打猛打賞の活躍。元々阪神の獲得リストには入っていなかったが、少年時代から熱狂的ファンであった阪神に、念願かなって同年ドラフト7位で入団した。 プロ入り後、藤本が再び野球の道を開くきっかけを与えた岡田(当時阪神二軍監督)は「まさか、お前がうち(阪神)に来るとはなぁ・・・。」と驚いたらしい。
[編集] 阪神入団後
入団時の背番号は「56」。
2001年の4月に骨折した沖原佳典に代わり一軍登録される。14日に初出場しショートの守備につく。 4月17日にはプロ初打席で初ヒットを放つ。翌18日には、9回2死から初タイムリーを放ちこれが決勝点に。更に19日にも引き続き決勝タイムリーを放ち、その後好走塁でホームイン、ダイビングキャッチなど、「攻」「走」「守」すべてにおいて大活躍し、甲子園の初お立ち台に立つなど、見事にチャンスを掴む。下位指名だったこともあってか当時の野村監督は記者に対して「お前らも打つとは思ってなかったやろ」と意外さを隠さなかった。 この年の12月に背番号が「56」から現在の「9」に変更となる。
2002年には、開幕一軍と共に開幕スタメンショートで出場。開幕戦9回裏を頭脳プレーでゲッツーに仕留め、井川の好投で勝利を収めた。 フレッシュオールスターゲームにも出場、決勝ホームランを放ち、見事MVPに選ばれる。だがなかなか調子が上がらず、この年は一軍と二軍を往復しながらシーズンを終える。この年に赤星憲広と共に虎風荘を退寮。
2003年には、激戦区のショート争いを勝ち抜き、開幕スタメンで8番・ショートとして出場。4月下旬には一時期首位打者に立つなど急成長し「恐怖の8番打者」と言われ、 矢野輝弘と共に恐怖の下位打線として、18年振りのリーグ優勝の原動力となった。規定打席3割達成がかかった最終戦、初打席で三振だったので反対に開き直り、その後2安打を放ち、打率.301となり、3割を達成した。また、同年広島東洋カープから移籍、新加入した兄貴分とも言うべき金本知憲とは、子どものように無邪気なやりとりが多く見られた。
2004年には、オープン戦で.360という打率を残したにもかかわらず開幕スタメンを外れる。だがその後開幕6試合目でスタメンショートに復帰。その後ショートスタメンに返り咲くこととなる。ホームランなど目立った活躍も多く見られた。また、アテネオリンピックにも出場。藤本はオランダ戦で本塁打を放ち、福留孝介と並んでチームで二人だけ全試合フルイニング出場。セカンドレギュラーとして活躍した。
2005年以降は二塁手としてコンバートされ、俊足とそれを生かした広い守備範囲、捕って投げる時の速さには定評がある。ファインプレーを連発することも多い。
2006年は開幕戦スタメンで2番セカンド。猛打賞で好調なスタートを切ったにも拘らず、2戦目の1打席目で自打球を目に受け退場。そこからまたセカンドが併用になるも、今岡の離脱によりセカンドに定着するという形になった。 2007年もレギュラーとして期待がかかっている。
2006年7月23日に行われたサンヨーオールスターゲームの第2戦目(サンマリンスタジアム宮崎)で8回表に勝ち越し2点タイムリーを放ち1打数1安打2打点でMVPを獲得した。 2002年のフレッシュオールスターゲームでもMVPを獲得しており、オールスターMVPダブル受賞となり、これは史上4人目である。 (他にも蓑田浩二、石井浩郎、青木宣親がいる)
2006年日米野球にもファン投票で選ばれ出場。第2戦目の初打席でタイムリー、第4戦目ではチーム初ヒットを放つなど、大舞台に強いところを見せた。
[編集] コンバート騒動
今でこそ二塁手が定着してるが最初は野村監督が遊撃手としてスカウトした為、遊撃手としてのこだわりは人一倍強い。セカンドコンバートについては岡田監督に抗議した。当時はスポーツ新聞が岡田バッシングで盛り上がっていた為、藤本の抗議は絶好の材料となり各紙大いに盛り上げた。結局、2005年の開幕以後、遊撃手鳥谷、二塁手藤本、というポジションが定着して現在に至る。ちなみに同時期に広島カープから移籍してきたシーツをファーストにコンバートした時も、遊撃手として有名なシーツをコンバートするという事でスポーツ新聞を騒がせた。ただ2003年に規定打席で3割を打つもその後は打撃低下。打率はもとより、出塁率や長打率が極端に低く、未だ打撃に課題が残る。また、今期は500本安打の達成も掛かっている。ただし打率低下に関しては無理な打順による打率低下だと思われる(下位打線から2番で赤星のアシストというポジションに変更)。
[編集] エピソード
- 2003年のオールスター第2戦、金本知憲と共に出場した藤本は、その場で金本に「大きい声ではいえない話だが・・・。」と来シーズン、松井稼頭央が阪神に移籍する意思があることを伝えられ、その場にいた松井を紹介される。これは金本のいたずらだったのだが、藤本はやっと掴んだレギュラーの座を奪われると思い(松井のポジションは同じショート)試合の間、ずっと半泣き状態だったという。なお、金本はこの様子にバカ受けしていたが、試合途中あまりに気落ちしている藤本を見てさすがにやりすぎたと少し反省し、いたずらの種明かしをしたらしい。
- 優勝後に行われた祝勝会では、赤星憲広とともに「打倒金本!」の鉢巻を巻いた。
- 飛行機嫌いで有名で、阪神で同じく飛行機嫌いである濱中治や中村豊と共に出来る範囲で陸路で移動する。この3人は陸路組と呼ばれており、プライベートでも親密である。
- 飛行機嫌いになった原因は藤本曰く、社会人時代に通勤ラッシュ時に電車に乗っている時、突然激しい動悸に襲われ途中下車。しばらく休憩して再度乗り込むも症状は治まらず、その後飛行機や満員電車では同じ症状が起きるようになったらしい。それまでは飛行機にも平気で乗れていたようだ。
- 背番号が「56」だった2001年には、その背番号と容姿で同期入団で先にブレイクした赤星憲広によく間違えられていたらしい。
- 生年月日はチームメイトの前田忠節と同じ。
- 何故か東京ヤクルトスワローズのディッキー・ゴンザレスに滅法強い。
- ヒッティングマーチは以前は亀山努のものが流用されていたが、2003年のシーズン中に「かっとばせ」の部分が強調されるスタイルになり、2005年以降から使用されている現在のヒッティングマーチにも引き継がれている。
[編集] 略歴
- 身長・体重:173cm 70kg
- 投打:右投左打
- 出身地:兵庫県明石市
- 血液型:O型
- 球歴・入団経緯:育英高 - 亜大(中退) - 甲賀総合科学専門学校 - デュプロ - 阪神(2001年 - )
- FA取得:なし
- プロ入り年度・ドラフト順位:2000年(7位)
- 英語表記:FUJIMOTO
- 推定年俸:4650万(2006年)
- 守備位置:二塁、遊撃
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 背番号 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 阪神 | 56 | 75 | 186 | 21 | 50 | 11 | 1 | 1 | 17 | 2 | .269 |
2002 | 阪神 | 9 | 63 | 139 | 8 | 29 | 4 | 0 | 1 | 8 | 3 | .209 |
2003 | 阪神 | 9 | 127 | 402 | 51 | 121 | 16 | 7 | 0 | 36 | 9 | .301 |
2004 | 阪神 | 9 | 111 | 385 | 45 | 99 | 12 | 3 | 5 | 33 | 5 | .257 |
2005 | 阪神 | 9 | 119 | 357 | 36 | 89 | 14 | 2 | 1 | 36 | 3 | .249 |
2006 | 阪神 | 9 | 138 | 393 | 35 | 93 | 12 | 1 | 3 | 30 | 3 | .237 |
通算 | 633 | 1862 | 196 | 481 | 69 | 14 | 11 | 160 | 25 | .258 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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80 監督 岡田彰布 | 91 島野育夫 | 84 久保康生 | 76 吉竹春樹 | 71 中西清起 | 87 正田耕三 | 85 広澤克実 | 86 和田豊 | 83 嶋田宗彦 | 81 吉田康夫 | 90 続木敏之 | 78 二軍監督 平田勝男 | 88 立石充男 | 70 星野伸之 | 82 葛西稔 | 73 町田公二郎 | 89 山脇光治 | 72 平塚克洋 | 97 加藤安雄 | 74 伊藤敦規 | 75 遠山奬志 | 79 筒井壮 |
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