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ステファン・ヨハンソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ステファン・ヨハンソン
F1での経歴
国籍 スウェーデン
活動年数 1983 - 1989 , 1991
所属チーム スピリット, ティレル,
トールマン, フェラーリ,
マクラーレン, リジェ,
オニクス, AGS, アロウズ
出走回数 79
タイトル 0
優勝回数 0
通算獲得ポイント 88
表彰台(3位以内)回数 12
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1983年イギリスGP
初勝利
最終勝利
最終戦 1991年カナダGP
[編集]

ステファン・ヨハンソンStefan Nils Edwin Johansson, 1956年9月8日 - )は、スウェーデン人の元F1ドライバー。1997年ル・マン24時間レースの優勝者。

目次

[編集] プロフィール

[編集] スウェーデンからロンドンへ

11歳からレーシングカート開始、ケケ・ロズベルグとはこの時期からの知り合い。1975年からフォーミュラ・フォードで四輪レース開始、1976年からF3に乗り始め、1977年に初の国際格式レースへの参加となったモナコグランプリ前座のF3で4位の結果を残す。1978年1979年イギリスF3へ参戦するが、資金面では夕食をチョコレートで我慢してガソリンを買い、車中で寝袋に入って寝泊まりというような非常に苦しい時期を過ごす。79年途中から、イギリスF3で表彰台に立てるようになり初優勝も記録、マールボロからのパーソナルスポンサードを受け始めるなど状況が好転し始める。マールボロとは、所属チーム内のスポンサー事情による中断はあれど1990年代以降も続く良好な関係となった。

1980年春、突如F1のシャドウチームから声が掛かり、開幕から2戦(アルゼンチンブラジル)にエントリーしたが、シャドウF1活動末期の全くポテンシャルの無い状態で、この時は何れも予選不通過に終わる。この年の主な参戦カテゴリーはイギリスF3であり、そこではこの年のチャンピオンを獲得。この年の所属チームは後にF1マクラーレンチームを運営する事になる、ロン・デニス率いる「プロジェクト4」であった。

[編集] ホンダとの交錯

1981年からヨーロッパF2選手権へステップアップ、トールマンチームから参戦し2勝、ランキング4位。翌1982年はホンダエンジン搭載のスピリットチームから引き続きヨーロッパF2参戦。シーズンを通した安定感は無かったが予選では13戦中5回のポールポジション獲得、リタイヤも多いがハマれば優勝するドライバーとの評価。チームメイトはティエリー・ブーツェンで、翌年ホンダエンジンと共にスピリットチームがF1へとデビューする際、そのテストとレースドライバーにどちらが選ばれるのかが注目された。結局ヨハンソンが選ばれブーツェンは違う形でF1へたどり着く事になるが、後々までこの二人はライバルと呼ばれる事が多かった。 1983年ホンダがスピリットチームと共に第2期F1活動を開始。チームと共にヨハンソンもF1の決勝レースへ正式記録上のデビューを果たすが、ホンダにとってスピリットチームはあくまでテスト担当の役割であり、勝つ為のチームとしてホンダがその年の最終戦からウィリアムズと組むようになると、チームはエンジンを失い、ヨハンソンもシートを失った。ヨハンソンは翌84年のウィリアムズ・ホンダのNo2のシートに座る事を望んでいたがそれはジャック・ラフィーの物となった。

F1シートは確保できなかったが1984年は非常に多忙な年となった。3月にはアメリカIMSA・セブリング12時間レースでポルシェ935をドライブし優勝を収める。そして日本からオファーがあり、ヨコハマタイヤADVANチーム(運営はノバ・エンジニアリング/森脇基恭チーフメカとコンビを組む)と契約、主戦場を日本へと移し当時日本のトップカテゴリーであった全日本F2選手権にフルエントリー、またもホンダエンジン搭載マシンをドライブする事になり、中嶋悟星野一義高橋国光と戦った。中嶋とは最終戦までチャンピオン争いを展開しランキング2位(3勝)となった。その一方、F1の中盤戦に差し掛かる頃に、正ドライバーだったマーティン・ブランドルが骨折して困っていたケン・ティレルから代役のオファーがかかり、日本でF2に参戦しつつティレルからF1にも参戦、更にはポルシェ956を駆りグループC耐久選手権/WECにも参戦しており、ヨーロッパと日本を度々往復する多忙な身となる。しかしティレルチームが「水タンク事件」(ティレルの頁を参照)の余波でこの年のシーズン全体からの失格・出場停止処分となり、またもやF1シートを失うも、イタリアGPからはジョニー・チェコットの骨折で代役が必要になったトールマンのシートを獲得、いきなり4位入賞を果たし、トールマンチームとは翌1985年から二年間のNo.1ドライバー契約も交わす事となった。

[編集] 急転フェラーリ入り

こうして1985年シーズンを迎えたが、開幕直前になってもトールマンチームがどのタイヤメーカーとも契約出来ない事態になり、チーム自体が参戦を一時断念。またもシートを失いかけるが、ヨハンソンの能力を買っていたケン・ティレルがここでまたも手を差し伸べ、開幕戦はシュテファン・ベロフと共にティレル・フォードで参戦。その直後にフェラーリがルネ・アルヌーを解雇すると、ヨハンソンはイタリアのフェラーリ本拠地・モデナに呼ばれエンツォ・フェラーリと直々に話をする事になり、次戦からフェラーリへと移籍する事になった。一躍F1トップチームに加入する事が現実となる。翌1986年まで2年間在籍し正にF1ドライバーとして完全開花するかに思われた。しかしトップチームに所属しながら勝ちに恵まれず、2年間で2回の2位を含む6回の表彰台と活躍見せるのが精一杯だった。だが日本のレースファンにとっても、半年前まで日本でF2に乗っていた男がフェラーリF1に乗っているのはなかなか衝撃的な出来事であった。

[編集] プロストのNo.2

1987年にはマクラーレンチームへ移籍、アラン・プロストのNo.2として1年間在籍。しかしここでも勝てず、またプロストに遅れをとり続けたこともあり2回の2位を含む5回の表彰台獲得するに留まる。それでもプロストとも非常に仲良くなれた(これはヨハンソンがプロストの脅威とならなかったからと言う見方も)ものの、チームとして苦戦の年で、翌年へ向けてチームは強力なホンダエンジンを獲得、そのホンダからのプッシュもあり翌年のシートはアイルトン・セナに奪われてしまった。セナがマクラーレンに来る話が表面化してからは、ヨハンソンの来期ウィリアムズ移籍の噂も根強かったが、実際にウィリアムズのシートを射止めたのはリカルド・パトレーゼであった。なお、ロン・デニスはヨハンソンの能力自体はF3時代からの付き合いでもあり認めていた。そして翌年以降リジェやオニクス、AGSなどのテールエンダーのチームに追いやられ、1991年シーズンを最後にF1を引退したと言う訳である。余談だが1991年の春に当時のマクラーレン・ホンダのテストドライブも担当した。
  ヨハンソンは、チームメイトとなった事でプロストのドライバーとしての能力に非常に感銘を受けたようで、雑誌レーシングオンのインタビューにて「プロストは凄いよ、どの部分がどう凄いのか聞かれても困る。全部凄いんだから」と答えている。これは推測になるが、これまでは強気の発言も多かった彼だが、プロストを間近で1年間見た事により自身の考え方に何らかの変化があった様子がドライビングにも見受けられ、以前のような猛烈なタイムアタック等、リスクを侵してまではやらなくなった。またフェラーリ、マクラーレンに在籍した事でF3時代のような経済的に苦しい思いもしなくて済むようになってモナコ住人となり、F1でワールドチャンピオンを獲る事を目指す、という事に関してのモチベーションにもこの頃をピークに、徐々にドライビングにも荒削りで攻撃的な「彼らしい」とされていた部分が影を潜めるようになっていた事は否めない。

[編集] F1流浪の民

1988年はフランスのリジェチームに移籍。チームメイトは皮肉にもかつてフェラーリのシートを「奪う」形になったアルヌーであった。この年のリジェのマシンに戦闘力は全く無く、「元フェラーリコンビ」二人共しばしば予選落ちを喫するなど精彩を欠き、ここを境にヨハンソンはF1では十分な体制のチーム・マシンを得る事は無くなり、F1関係者からも能力は認めるもののF1優勝経験が無い割にギャラが高いと言う意見もあるなど「下り坂」を転げていく事となる。

1989年は、F3000からF1へステップアップしてきた新規参入チーム、オニクスへ移籍。ポルトガルGPでは予備予選組としては驚異的な3位表彰台を獲得したが、この年は予備予選さえ通過できれば予選・決勝とも中堅としてまずまずの速さを持ったチームだったものの、その予備予選を通過するのが狭き門であり、たびたび予選不通過があった。 翌1990年にチームオーナーがスイス人グループに変わり、開幕2戦で予選落ちを喫すると、チームはスイス人グレガー・フォイテクをF1に乗せるためにヨハンソンとの契約を解除、シートを失う。

1991年開幕直前にフランスの小規模チームであるAGSのシートを得るが開幕2レース予選落ちでシートを失い、第5戦からアレックス・カフィ怪我の代役でアロウズ(フットワーク)のシートを得てチーム同様、トップチームへの脱皮を図るも4戦中3戦で予選落ちするという期待はずれに終わり、同時にF1引退を表明した。

F3~F2時代は一発の速さが魅力だがレース振りの荒いドライバーと評されたが、
F1にステップアップ後は逆にレースでの安定感はあるものの、予選で一発の速さに欠ける場面が見受けられるようになった。エンツォ・フェラーリもこの予選順位が悪い点が不満だったとされ、ヨハンソンに替えてゲルハルト・ベルガーを獲得する一因になったとされている。また人柄が気さくな好漢である事からパドックの人気者ではあったが、その反面、F1でやっていく上でのアクの強さ、勝利を追求するエゴイスティックな部分が無かった事が災いし、惜しいところで優勝を逃す事数回、結局優勝を経験できずF1では大成できなかった。

[編集] そのほかの経歴

マカオグランプリF3には1984年(2位)、1988年(8位)に出場している。マカオではF3だけでなくツーリングカーによるギアレースにも出場している。

その他1988年にはトヨタと日本国内のグループCカー(JSPC)でのレース契約を結び、アパレルブランド「taka-Q」カラーのマシンをドライブした。トヨタとの契約は日本国内で開催されるレースに関してのみで、ヨーロッパ開催のグループCカー(WSPC)では同年、1988年の終盤戦にザウバーメルセデスをドライブして優勝もしている。
F1以後は、1992年途中からアメリカのインディ/CARTシリーズに約5年のあいだ参戦し、1996年を最後にフォーミュラカーからは引退したが、1997年にミケーレ・アルボレート、トム・クリステンセンと共にル・マン24時間耐久レースで優勝等、スポーツカーの世界で活躍し、実力の片鱗を見せた。
このル・マン24時間には1983年以後の大半の年に参戦(フェラーリ、マクラーレンと契約時はF1以外のレースは契約上不可)、ポルシェアウディ、1991年と1992年にはマツダスピードからも参戦、上位完走している。
日本でのレースにも多数参戦経験があり、全日本F2には82年スポットで、84年はフルエントリー(前述)、その他にも富士インターテック、WECジャパンなど日本で行われた国際レースの常連であり、日本人F1ドライバー中嶋悟が誕生するまでの数年、ヨハンソンは日本のレースとF1との距離をはかる物差し的な存在として日本のレースファンから注目されていた。1985年のオートテクニック誌にはコラム(日記)が連載されていた。1988年にはファッション誌「POPEYE」の表紙をスーツ姿で飾り、1988年から92年までヨコハマタイヤのイメージキャラクターとして雑誌広告・テレビCMにも出演していた。

絵画やデザインへの関心が高く、1992年に自らデザインも担当する時計ブランド「HⅢ」を立ち上げた。当時本人が「一番最初に僕の時計を買ってくれたお客さんはマリオ・アンドレッティなんだよ!」と喜んで語っていたエピソードがある。

1990年代後半からアメリカ・インディアナポリスを拠点に自らレーシングチームを組織し、インディ・ライツ選手権で若手にシートを与えて育成を始めたり、自らのドライブでALMSやルマン24時間レースに、かつてF1に同時期参戦し親交のあったジョニー・ハーバートJ.J.レートをパートナーに参戦するなどレースへの熱い情熱を持つ。
現在は2005年より開催されている元F1ドライバーが参戦するグランプリマスターズにも参戦。

[編集] カーナンバー(F1)

  • 17(1980年第1.2戦)
  • 40(1983年第9~14戦)
  • 3(1984年第10~13戦)
  • 19(1984年第14戦)
  • 20(1984年第15.16戦)
  • 4(1985年第1戦)
  • 28(1985年第2戦~1986年)
  • 2(1987年)
  • 26(1988年)
  • 36(1989年)
  • 35(1990年第1.2戦)
  • 18(1991年第1.2戦)
  • 10(1991年第5~8戦)

[編集] 関連項目

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