ドラえもん (日本テレビ版テレビアニメ)
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ドラえもんは、藤子・F・不二雄の漫画作品『ドラえもん』を原作とする、テレビアニメである。本項では1973年に放映された日本テレビ版テレビアニメについて記述する。
ドラえもん | |
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ジャンル | ギャグ漫画 SF漫画 |
テレビアニメ : ドラえもん(日本テレビ版) | |
監督 | 上梨満雄(チーフディレクター) |
アニメーション制作 | 日本テレビ動画 |
製作 | 日本テレビ 日本テレビ動画 |
放送局 | 日本テレビ系列 |
放送期間 | 1973年4月1日 - 9月30日 |
話数 | 52話/26回(15分2話完結) |
目次 |
概要
一般的に「旧ドラ」と呼ばれる。メインスタッフには旧虫プロダクション出身のメンバーが集い、アニメ制作は日本テレビ動画の東京本社、そして同社の新潟スタジオと幾つかのグロス請けスタジオがローテーションを組んで制作がスタート。1973年4月1日にパイロット版を流用し再構成した「出た!! ドラえもんの巻」を第一話として放映がなされた。「初代」ドラえもんの声は富田耕生。現在のシリーズとはイメージがやや異なる印象を持たれるが、当初スタッフは、ドラえもんというキャラクターに「世話好きなおじさん」というイメージを抱いていた。動物役も多く演じていた富田は初めから決めていたという。
現在放送中の第2作に比べて、色指定のコントラストが穏やかであった。これは、当時のアニメが一度35mmネガフィルムで撮影し、その後、16mmポジフィルムに転写してテレシネスコープで放映するという物だったのに対し、本作は、直接16mmフィルムで撮影していたことにも起因する。
日曜夜7時からの30分番組というゴールデンタイムの放送であったが、当時の裏番組に、視聴率が高かった「アップダウンクイズ」(毎日放送制作、テレビ朝日系列)や「マジンガーZ」(フジテレビ系列)。そして三波伸介の「減点パパコーナー」が人気だった「お笑いオンステージ」(NHK)、子供向けSFドラマ「へんしん!ポンポコ玉」(TBS制作、朝日放送系列)等に押され、視聴率の確保に苦戦を強いられていた。
2クール目に入ると、連載が「小学五年生」「小学六年生」にも開始されたこともあり、高学年にも視聴に耐えうるよう、原作では余り登場しなかったアヒル型ロボット『ガチャ子』をレギュラー入りさせるなどスラップスティック要素を強調した。またドラえもんの声優も2クール目に入ると「イメージが違う」という声も上がり、2代目となる野沢雅子に交代するなど、大胆なテコ入れを図った。その甲斐もあり、夏頃には僅かではあるが徐々に視聴率も上がっていた。収益自体も黒字で、1年延長の予定があったという。
突然の中断
しかし、2クール終了間際に制作会社の社長が突然辞任。理由は本作の黒字経営で、過去に経営していた東京テレビ動画時代の赤字を補填出来るまでに至った時点で、アニメ事業に興味を無くしてしまったためだという。経営を引き継いだ同社会長は経営に無関心な人物で、「もう止めよう」の一言で会社は消滅、同年9月30日の「さようならドラえもんの巻」を最終話とし、半年で終了となった。 最終回ではドラえもんは未来に帰り、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わる。過去に3本描かれたドラえもん最終回のうち、2番目に発表された話のアニメ化だが、このエピソードは単行本未収録である。なお最終回が3本あるのは学年各誌に連載していたためである。なお学年誌は、「読者が進級する毎年3月号が最終回で、新読者が読み始める4月号が第1話」という約束事があり、3本の「ドラえもんの最終回」もこの法則に則って描かれた物語であるため、実際には連載は終了していない。
放送終了後
残された本作の元スタッフ達は、グロス請け先の支払い金を充てるため、会社の備品など売れるものは全て売り払い、社屋引き払いのため本作に関する資料やセル画のほとんどを止むを得ず廃棄処分したという。当時のスタッフが個人的に所有しているごく一部のもの以外、現存しない事が明らかにされている。 再放送はテレビ朝日系での放映が始まる1979年までの5年余りの間に、地方局などで比較的多くされていた。 なお、本作フィルムは放送終了後、日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されたりしていた。しかし管理期間終了後、散逸してしまったという。
旧から新へ
「旧ドラ」の最終回の際、当時の製作スタッフは、将来続編の製作を期待し、深い気持ちを込めてラストのアイキャッチを「次回もお楽しみに」(前週までは「来週もお楽しみに」だった)として旧ドラを終了させた。残されたスタッフは債権処理などに追われたが、ついに日本テレビ動画が再建される事は無かった。
一方、原作漫画では、先述の学年誌掲載の関係から、第1話とされる話について、『ドラえもんがやってきた』といったようなサブタイトルが通例となっていた。シンエイ動画版のアニメ第1話はこれを避け、両者の間で受け渡しがあったかのような構図になっている。
原作者サイドは、大ヒット番組となったシンエイ動画版放送開始以降、本作に関する一切の記述等を最低限のものを残して露出させない方針を示したため、現在では再放送はもとより、特番などでも紹介されることは皆無である。 オフィシャル側が、大山のぶ代らを初代声優陣としているのはそのためであるといえよう。 この様な封印措置と、制作会社の消滅という事象が重なり、先述の通り、現在はネガはもとよりポジフィルム保管先も不明で、今後公的に視聴出来る可能性は極めて低い。
評価
本作は作者自身が否定的であったと言われている。その原因のひとつとして、テレビ第1作の制作時期は既に原作連載が3年目を回っており、方向性が固まりつつある時代であったに関わらず、視聴率低迷に対するテコ入れがドタバタ路線を殊更に強化していったことである。それは初期原作でギャグ要素を強調していた『ガチャ子』(但し、原作よりも可愛らしいキャラクターデザインに修正されている)のレギュラー入り、「ガキ大将=悪」という初期作風の典型的な図式に沿って描かれていたジャイアンの悪童ぶりなどが挙げられる。
また藤子プロ・小学館が監修発刊したムック本『ドラえ本3』(2000年1月·小学館刊)には写真入りで旧ドラが僅かに解説されているが、そこには「原作のイメージと違っていて半年で終了した幻の番組」と掲載されており、現在の権利保有元による旧ドラの否定的な評価が短いながらも初めて公にされている。
ファンの間では意見が二分される。一方は、先述の原作者サイドに同意的な意見。もう一方は、本作に擁護的な意見である。後者における主張としては、
- 原作連載3年目と言っても、まだ学年誌掲載で、作風が現在に固まりつつある頃ではあったが、完全には安定していなかった時期の企画である事(現在に於ける作風が安定するのはコロコロコミック創刊・同誌における定期掲載化後である)。
- 当時は原作単行本がまだ出版されておらず、知名度もまだ低かった。そのタイアップとして原作単行本を虫プロ商事から出す予定があったが、放送末期頃に倒産してしまい発売出来なくなった。そして原作のストックも連載3年目とはいえ、月刊連載ではやや足りずアニメオリジナルエピソードが必要だった事。
- 本作のほとんどが二人で一人の「藤子不二雄」としての時代の作品であるため、藤子Fサイドの意見だけで断じていいものか(コンビ解消の際に各々に著作権が帰属した作品であっても、それ以前はもう一方が一部を作画した、あるいは作画・ネームに協力した、またストーリーを考案・作成した作品は少なくない)。
- シンエイ動画版開始以前は、地方ローカルを中心に高いリピート率を持っていた。
また、当時のアニメスタッフ側の制作姿勢そのものは、音声まで入った完成フィルムを惜しげもなく全面リテイクするなど、クオリティの向上には常に真摯に取り組んでいたという。 そして本作の元スタッフである真佐美ジュン(本作の制作主任を担当した「下崎闊」の別名)は、放送終了後も作者は好意的であった事を述べている。後に大山のぶ代が、作者から本作の再アニメ化に対し「嫁に出し傷ついて帰って来た娘を再び世に出すのは嫌だ」と、難色を示す発言をしていたと語っている。このことから、本作の出来に対して不満があったのではなく、不意の放映中断が作者のアニメ業界に対する不信感を抱かせていたとも推測出来る。
豆知識
- フジテレビのバラエティ番組「トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~」内でドラえもんに関するトリビアの補足の中で「野沢雅子がドラえもんの声優をやっていた」と紹介された際、日本テレビ版を知らない視聴者からテレビ朝日に問い合わせが来たという逸話もある。この時、ドラえもんが日本テレビで放送されたことを初めて知った者も多い。但しこの時、「初代は野沢雅子」と誤った内容で放送されてしまった。#キャストにもあるように、初代は富田耕生で、野沢は2代目。
- 日本テレビ版でジャイアンを演じ、シンエイ版でスネ夫を演じた肝付兼太は本作を白黒作品として記憶している様で、公演などで本作の話題が出ると、来客からしばしば指摘される姿が見受けられる。
- ラッシュフィルム及び本編フィルムのうち数本は、先述の元スタッフが個人的に保管しており、現在これらはファンクラブの集いなどで上映されているので、ファン集会に参加することで視聴することが可能である。また、2005年秋頃からネット上で出回り始めたオープニング映像は、このフィルムを保持していた元スタッフが、パスワード制のホームページで公開していたものが無断で転載(YouTube等)され、流出したものである。
- フィルムの編集作業は、奇しくも当時の藤子スタジオと同じビルの、スタジオ・ゼロで行われていたという。
- 日本テレビ版の声優がテレビ朝日版(1979年~2005年)では別の人物の声優を担当している例がある。
スタッフ
※ ここでのスタッフ情報は本作の元スタッフによる記述に拠るものである。一部の書籍やサイトでは間違った記載がなされているという。
- チーフディレクター:上梨満雄
- 担当演出:岡迫和之、腰繁男
- 脚本:山崎晴哉、鈴木良武、井上知士、吉原幸栄、馬嶋満、園屁蔵士、他
- 絵コンテ:生頼昭憲、奥田誠二、棚橋一徳、矢沢則夫、村田四郎、岡迫和之、石黒昇、腰繁男
- 作画監督:鈴木満、村田四郎、宇田川一彦、生頼昭憲、白川忠志 他
- 美術監督:鈴木森繁、川本征平
- 撮影監督:菅谷信行
- 音響演出:近森啓祐
- 効果:片岡陽三、小川勝男
- 編集:西出栄子
- 音楽:越部信義
- 選曲:宮下滋
- 調整:田中英行
- 企画:藤井賢祐(日本テレビ)、佐々木一雄
- プロデューサー:佐々木一雄
- 制作主任:下崎闊
- 制作事務:増田一恵
- 文芸:徳丸正夫
- 録音:番町スタジオ
- 現像:東洋現像所
- 製作:日本テレビ動画
キャスト
- ドラえもん:富田耕生(1~13話)→野沢雅子(14話以降)
- 野比のび太:太田淑子
- しずか:恵比寿まさ子
- ジャイアン:肝付兼太
- スネ夫:八代駿
- のび太のママ:小原乃梨子
- のび太のパパ:村越伊知郎
- スネ夫のママ:高橋和枝
- ガチャ子:堀絢子
- セワシ:山本圭子
- 我成(がなり)先生:加藤修→雨森雅司
- ボタコ:野沢雅子
- デブ子:つかせのりこ
- ジャマ子:吉田理保子
ゲスト出演声優(全員役不明)
- 大竹宏
- 兼本新吾
- 田中亮一
- 野村道子
- 水鳥鉄夫
- 山下啓介
- 岡本敏明
- 槐柳二
- 辻村真人
- はせさん治
- 峰恵研
- 山田俊司
- 神谷明
- 北川国彦
- 中西妙子
- 松金よね子
- 八奈見乗児
- 山丘陽人
- 加茂嘉久
- 田村錦人
- 永井一郎
- 丸山裕子
- 矢田耕司
- 渡辺典子
主題歌
オープニングテーマ
- ドラえもん
- 歌:内藤はるみ、劇団NLT
- 作詩:藤子不二雄
- 作曲・編曲:越部信義
エンディングテーマ
- ドラえもんルンバ
- 「ドラえもんのルンバ」という表記も存在する
- 歌:内藤はるみ
- 作詩:横山陽一
- 作曲・編曲:越部信義
- 外部の作詞によるエンディング。ラテン風のアップテンポな曲であるが、オープニング以上に作品世界観を奇妙に表現している。
挿入歌
- あいしゅうのドラえもん
- 歌:富田耕生
- ドラえもん いん できしいらんど
- 歌:コロムビアゆりかご会、劇団NLT
- 主題歌はコロムビアミュージックエンタテインメントより発売中の、『続テレビまんが主題歌のあゆみ』、『昭和キッズTVシングルズ Vol.8』などに収録されているのみである。挿入歌は未CD化曲。
外部リンク
- 旧ドラえもん
- 「ドラちゃんのおへや」内「アニメ旧ドラえもん大研究」
- 真佐美 ジュン ※当時本作に関わっていた元スタッフのサイト。情報を得るには要パスワード申請
- 藤子少年ランド ※当時のドラえもんに関する新聞の宣伝などの資料を公開
- 記憶のかさブタ ※本作についての考察など。真佐美ジュンへのインタビュー記事もあり
前後番組の変遷
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