ホンダ・NSX
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NSX(エヌエスエックス)とは、本田技研工業のスポーツクーペ型乗用車。
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[編集] 概要
ホンダの第2期F1参戦を機に「世界に通用するHONDAの顔を持ちたい」との願いから開発された車であり、1989年に発表され、翌1990年から2005年までの15年間の長きにわたってフルモデルチェンジを行うことなく製造及び販売がなされた。価格は販売当初は1グレードのみの800万円(AT仕様は60万円高)。その後、徐々に値上がりしていったのと、新しいグレードが設定されたことで、900万-1300万円台となっていた。販売した15年間、いずれもスポーツカーとしては日本車最高額を誇った。また、欧米でも「フェラーリ並みのスタイル・性能でありながら、格安で信頼性が高い」と人気を集めた。
当時、他の自動車に類を見ない世界初のオールアルミニウム合金製ボディーを採用した。エンジンは、V型6気筒 DOHC VTEC 自然吸気 3,000ccでありながら、MT仕様では国産車自主規制値の上限である280psを達成している(AT仕様では265psにデチューンされている)。エンジンを運転席後方に搭載する駆動方式のミッドシップエンジン・リアドライブ(MR)を採用している。その特殊性から、生産の工程は大規模工場などの無人ロボットを使った流れ作業によらず、ほとんどを手作業で行っていた。
このような性質から、日本車で唯一のスーパーカーとも評され、国内の同じ280psクラスのスポーツカーのライバル車とは一線を画していた。
海外では、ホンダブランドの他、ホンダの高級車専門販売チャンネル、アキュラ・ブランドからも日本名と同じ「NSX」の名前で販売。元々は北米アキュラ向けの戦略車として開発され、日本でなくアメリカで開催のモーターショー、シカゴ・オートショーでプロトタイプが発表されたり、日本よりも北米市場で一早く販売開始がなされていた。また、当初の生産枠分も北米向けが大半だった(その後の増産枠分はほとんど日本市場向け)。生産終了まで半分以上が北米市場向けに造られていて根強い人気を持っていた。
欧米で2006年から始まる燃費・排ガス環境規制への対応が難しいため、欧州向けは2005年9月末、北米向け・日本国内は同年12月末をもって生産終了となった。なお、後継モデルは開発中で近々発表されるとのことである。
[編集] モデル別解説
[編集] 初代I型 E-NA1(1990年 - 1996年)
1990年に登場。エンジンはV6 DOHC VTEC 3,000cc C30Aを搭載している。外観はリトラクタブル・ヘッドライトを採用するなどスタイリッシュに仕立てた。また、通常仕様のクーペから快適装備を外して軽量化を図ったピュアスポーツグレードの「タイプR」も1992年にラインアップされたが後に一旦廃止された。
1995年にマイナーチェンジし、ドライブ・バイ・ワイヤやAT仕様車にFマチック(ステアリングコラムのスイッチによるマニュアルシフト)が追加された。また、オープントップ (いわゆるタルガトップ)仕様の「タイプT」が追加された。
[編集] 初代II型 GH-NA2(MT)/GH-NA1(AT)(1997年 - 2000年)
1997年に形式変更を伴うマイナーチェンジで平成12年排出ガス規制に適合。MT仕様のみのスポーツグレードの「タイプS」、従来のタイプRに相当する「タイプS-Zero」がラインアップに追加された。外観上は大きな変更は無いが、MT仕様車のエンジンがV6 DOHC VTEC 3,200cc C32B(280ps)に変更されたのと同時に、トランスミッションは6速MTとなった。
1999年にはエンジンが低公害化され、平成12年基準排出ガス50%低減の「優-低排出ガス」車に認定された。
[編集] 初代III型 LA-NA2(MT)/LA-NA1(AT)(2001年 - 2005年)
2001年には外観を中心にビッグマイナーチェンジが施行され、ヘッドライトをリトラクタブル式から異形の固定式に変更した(その理由は、衝突安全性を高めるため)。このマイナーチェンジから半年後に「タイプR」が復活した(そのため、「タイプS-Zero」は廃止)。また、2003年の小変更ではCDチェンジャー(タイプRを除く)及びイモビライザー(全車)が標準装備化されるとともに平成17年排出ガス規制に適合し、形式記号がLA-NA#からABA-NA#に変更されている。
2005年2月22日、「NSX type R GT」発表。3月22日までの1か月間限定でSUPER GT参加のホモロゲーション取得用に5台限定で販売した。その価格は5000万円であった。ベースの「タイプR」に、カーボン製エアロバンパーなどの空力パーツを装着し全長全幅を拡大。エンジンC32B・ミッション6MT・ダブルウィッシュボーン式サスペンション等の基本性能は変更なし。型式ABA-NA2、280ps/31.0kgm。
[編集] 車名の由来
ホンダの新しいスポーツカー、ニュー(New)・スポーツ(Sport)の未知数(X)の意。1989年のプロトタイプ・モデル発表からしばらくは、NS-Xと、SとXの間にハイフンが入っていたが、1990年の販売開始時にはハイフンが取れて現在の名称となった。
なお、後継となるモデルにNSXの名前がそのまま残るかは未定である。
[編集] 開発経緯
発売から6年半前の1984年、本田技術研究所がホンダ車のトレンドであるFF(フロントエンジン・フロントドライブ)以外の駆動方式の基礎研究を進めていくうち、MR(ミッドシップエンジン・リアドライブ)駆動方式を開発したことから始まる。それを当時のアメリカ市場からのニーズや参戦しているF1と量産市販車をつなぐ存在に応える形でのスポーツカー開発へ転化された。開発責任者は、先述のMR駆動方式を開発研究していた上原繁が担当。操縦安定性を専門に研究していた上原氏の意志でハンドリングに拘ったスポーツカーを目指すことになり、軽量なオールアルミボディーの採用など、NSXのアイデンティティーとなる革新的な技術が開発・採用されるに至った。
開発に当たっては欧州のスポーツカーなどが比較対象になったが特にフェラーリのV8モデル、F328を越える走行性能を目指し開発された。当時個体性能差が大きかったフェラーリF328を何台もデータ取りの為に購入した。
開発段階からアイルトン・セナや中嶋悟など、当時ホンダがF1にエンジン供給していたチームのF1ドライバーが走行テストに参加。開発中の車両をテストした彼らからボディー剛性の低さを指摘された為、過酷なコースレイアウトで有名なドイツのニュルブルクリンク・サーキット等で長距離高速走行テストを繰り返し実施した。その結果、当時世界初のオールアルミ製軽量高剛性ボディーが完成した。
搭載するエンジンは開発中に様々な案がだされ、当初は軽量スポーツカーのパッケージング案として4気筒2000ccが提案された。しかし、社内事情やアメリカ市場を見据えたリサーチなどで頓挫し、開発最終段階ではホンダ・レジェンドのエンジンをベースにV型6気筒3000ccのSOHC4バルブとなる。だが、市販化までの間にインテグラ用に開発中だった新機構搭載のエンジン、DOHC VTECが完成。これまでレーシングカー等でしか出せなかった自然吸気エンジンでリッター100馬力という高出力を市販車で達成した点などがユーザーや自動車評論家などに高い評価を受けた。これを受け、急遽エンジンをDOHC VTEC化するよう指示が出されたが、開発者の上原繁氏曰く「SOHC版エンジンもかなり良かった」との事。DOHC化によりシリンダーヘッドが大きくなる事からホイールベースの延長を余儀なくされたが、エンジンを傾斜させ搭載することにより約60mm延長のところを最小限の30mm延長で済ませる事ができた。
NSXはホンダ初の大排気量スポーツカーであり、ミッドシップカーにもかかわらず、1990年の販売当初からその完成度は仮想敵にしたフェラーリと肩を並べるほどの評価を受けた。その為、当時フェラーリ自ら生産や開発の体制を見直したほどだった。唯我独尊であるフェラーリに唯一影響を与えた車として現在も評価されている。
[編集] 販売
発表時、バブル景気の真っ只中であった日本では注文が殺到した。当初は注文から納車まで6年待ちとも言われるほどの人気だったものの、「約半年で納車できるように」とホンダ側が配慮し、販売開始後は年産12,000台という量産体制に入った。しかしその直後にバブルが崩壊。キャンセルが相次ぎ、以降は「見かけるだけでプレミアな車」のイメージが定着してしまった。クルマ好きにはバブルの特徴的な出来事として語り継がれている。
その後、不況とスポーツカー人気低下から販売数は減少を続け、2005年の生産中止発表直前にはNSXの月間生産数はわずか10台ほど(国内向けはその半分程度)まで落ち込んでいた。それでも完全受注生産であり、手作業で製造されることから納車には2ヶ月~3ヶ月半を要していた。同年7月の生産中止発表以降は駆け込み需要で注文が殺到し、わずか一週間ほどで生産予定枠の注文数を満たしたことから、早々に販売受付を打ち切った。
[編集] 生産
1990年のNSX生産開始に合わせてNSXを生産するためだけの専用生産工場を栃木県塩谷郡高根沢町にホンダ栃木製作所高根沢工場として建設し、以来そこで生産されていたが、2004年4月にホンダの完成車一貫生産構想に基づき、高根沢工場での生産を中止し、三重県鈴鹿市にあるホンダ鈴鹿製作所の少量車種専用ライン、TDライン(Takumi Dreamライン)へ生産を移管した。2005年の生産終了に伴ってNSXの生産ラインは閉じられた。しかし、TDラインではNSXと並行して造られていたS2000の生産が継続されている。
経年車に対して、NSXを生産工場に戻してそこの設備や人員を使って新車時の性能や質感を蘇らせるサービスプランが設けられており、リフレッシュ・プランと呼ばれている。メーカー自らが行うものとしては、日本車では唯一のものであり、世界的に見ても極めてまれである。アルミボディの経年劣化が非常に少ないことと相まって、「中古車でも新車並に復活できる」ことから、中古車価格がなかなか下がらない一因ともなっている。なお、生産終了後もこのサービスプランは継続されている。
[編集] ライバル車種と排ガス規制
NSXが販売を開始した1990年の前後は、国産各メーカーから日本国内の自主規制値の最高値である280馬力の高性能な2ドアスポーツカーが次々と発売された。それらと価格帯は倍も違えど、用途とスペックはほぼ同等であったためにライバル視された。直線加速性能はターボエンジンを搭載したスープラやスカイラインGT-Rに及ばなかったが、高速旋回性能はこれらの中では随一であった。
2002年夏、同じ280馬力を誇ったライバル車種は日本の平成12年排ガス規制をクリア出来ず次々と生産中止に追い込まれていった。ライバル車種に厳しい逆風が吹く中、NSXは1999年にエンジンをLEV化し排ガス規制値をクリアしていたため今日まで生産が可能だったが、基本設計からは15年以上の長期間が経過しており、2006年に欧米で始まる最新の燃費・排ガス環境規制にNSX専用エンジンを対応させると多大な改修費用が掛かってしまうことなどから2005年限りで生産を終了するに至った。現在後継のモデルを開発しているライバル各社と同様に、ホンダも後継モデルを開発中である。NSXも四輪スポーツモデルの頂点の座を次期モデルに託す形となった。後継モデルは4名乗車が可能ということで駆動方式がFRに変更される模様。
[編集] レース活動
もともとはレース参戦用のホモロゲーションを考慮した車両ではなかったため、1990年の発表当初はレース活動には全く使用されず、エンジンのみが改造され1991年より2年間アメリカの「IMSA」に参戦し、キャメルGTPライトクラスにおいてドライバーズ、マニュファクチャラーズの両タイトルを2年連続で獲得している。
1992年のNSX-R投入以後からそれをベース車両として徐々に国内外でレース活動を行うようになる。1993年から2年間ドイツ国内レースの「ADAC GT CUP」(「DTM」よりも改造範囲が限定された市販車により近いカテゴリー)に投入してBMWやポルシェらと戦って優勝もするが、日本国外のローカルレースのために日本国内ではそれほど話題にはならなかった。しかし、その車両を改良し1994年から3年間にわたって「ル・マン24時間レース」に参戦した際は、日本人レーシングドライバーも多数登用されたこともあって国内においても話題となった。なお、1994年は全車完走、そして1995年にはGT2クラス優勝、1996年にはGT2クラス3位などめざましい戦績を上げている。
1996年からは市販車レース国内最高峰の「全日本GT選手権」に参戦開始。2000年にはGT500クラスで、2004年にはGT300クラスで、年度チャンピオンを獲得している。2005年からのレースの名称が「SUPER GT」に変更以後も参戦を続けている。近年はミッドシップ車に対しての不利なレギュレーションに悩まされて色好い結果は残せていなかったが、最近はコンスタントに優勝を飾るなどして復調の兆しが見える。また、改造範囲が限定された市販車により近い「スーパー耐久」にも参戦している。海外においてはニュルブルクリンクで行われた「ニュルブルクリンク24時間レース」に2003年から毎年参戦している。
NSX自体の生産及び販売は2005年で終了されたものの、2007年度も引き続きSUPER GTにNSXで参戦する予定であるが、後継モデルが登場し次第後継モデルにバトンタッチされる予定である。
[編集] カスタマイズ
- ボディ…SUPER-GTのイメージが強いため、GTマシンレプリカのエアロパーツをまとうパターンがハードな場合は多い。ノーマルの概観を保つユーザーも多く、好みが分かれるところだ。また、後期型の固定式ライトにフェイスリフトする改造も人気が高い。しかし、ライト一組25万円ととても高価なため、中古パーツを使うのが一般的。
- エンジン…ホンダの真骨頂であるN/Aを貫き官能的な高回転を求めるパターンと、他の280psスポーツと同等の性能を手に入れるためターボ化・ツインターボ化しトルクを太くするパターンに分かれる。N/Aの場合スロットルからマフラーまで、全ての給排気系に手を入れるだけで300馬力を超えるパワーを手に入れられるため、逆にこれ以上のチューニングは必要ないとまで言われる事も。ターボ化の場合インタークーラーの設置スペースがエンジンルーム内に無い為、トランクにインタークーラーを設置するしかなく、トランクが使用不能になることは覚悟しておきたい。
- 注意点…現在手に入れやすいNSXは殆どが1型だが、ABSに問題があり、長い間ABSを利かせると突然ABSが作動不能になりロックする事がある。早めにNA2用のABSユニットと変換ハーネスを入手しグレードアップしたい場所である。その他スピーカーが壊れている、クラッチの不調、パワーウィンドウの不調などが良くあるポイントなので入手時にはチェックを忘れない事。
[編集] 世界に1台だけのパトカー
NSXのパトカーが世界に1台だけ日本の栃木県警察高速道路交通警察隊に存在する。現在配備されている車両は2代目(1999年導入、第2期モデル)である。ちなみに初代は1992年に導入されたが、事故により廃車となっている。2台とも本田技研工業から寄贈された車両で、主に警察関係の式典や啓蒙活動の場で活躍している。
[編集] 受賞
- 1990年のNSXボディ構造が、社団法人自動車技術会の「日本の自動車技術180選」の「車体」部門で「剛性解析により理想的な高剛性設計とした」として選出されている。