出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マグノ・アウベス |
名前 |
本名 |
マグノ・アウベス・デ・アラウージョ |
愛称 |
マグノ |
カタカナ |
マグノ・アウベス |
ラテン文字表記 |
MAGNO ALVES |
基本情報 |
国籍 |
ブラジル |
誕生日 |
1976年1月13日 |
出身地 |
ブラジル |
身長 |
176cm |
体重 |
70kg |
血液型 |
O型 |
選手情報 |
在籍チーム |
ガンバ大阪 |
ポジション |
FW |
背番号 |
9 |
利き足 |
右足 |
代表歴 |
キャップ |
3 |
得点/失点 |
0 |
|
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マグノ・アウベス・デ・アラウージョ(Magno Alves De Araújo 1976年1月13日-)は、ブラジル出身、Jリーグ・ガンバ大阪所属のサッカー選手。ポジションはFW。ブラジル、韓国、日本のクラブを渡り歩き、いかなるスタイルのチームでも能力を発揮。 両足からレーザーのように正確なシュートが撃てる上、得点パターンも豊富。熱心なクリスチャンとして知られる。元同国代表。
[編集] 経歴
1998年より在籍したフルミネンセでは、一時期ロマーリオと2トップを組み注目を集めた。2001年、コンフェデレーションズカップに、ブラジル代表として3試合に出場。2003年、初の海外移籍となる全北現代モータースへと移籍、得点ランキング2位となる27得点を記録。2004年、大分トリニータへ移籍し、11得点を記録。2005年、2年目となり18得点を記録し、チームの中心として貢献した。2006年、2年間所属した大分の財政難もあり、ガンバ大阪に移籍。アジアチャンピオンズリーグにおいて、チームはGL敗退となったが、8得点を記録し得点王。Jリーグにおいても、26得点を挙げ得点王に輝いた。入れ替わりに移籍し、前年の得点王だったアラウージョとプレースタイルは違うものの、ストライカーとして文句なしの活躍を魅せた。
[編集] 人物
大分でとても愛された選手で、頼りにされた選手の一人。降格危機の際、攻撃陣の大黒柱として少ない得点機をものにし、残留の立役者となった。
2004年のオフシーズンの移籍騒動で、サポーターが練習場に残留を求める横断幕を掲げた。感動したマグノは、自宅で妻と去就を相談する際に涙したという。年末、「残留するなら、それはサポーターの為だ」との言葉を残し帰国。 2005年、サポーターの慰留を受け、大分でプレーした。2006年、ガンバ大阪移籍決定後の発表会見には、沢山のサポーターが会場に駆けつけ、別れを惜しんで涙を流し、本人も惜別の涙を流した。大分空港ではさらに多くのサポーターが別れを惜しみ、最後まで彼を称える声援は鳴り止まなかった。
[編集] エピソード
- 2002年リオデジャネイロ州選手権のサンタ・クルス戦では5ゴールを挙げている。
- 2006年にガンバ大阪に移籍した際には、前年得点王のアラウージョと比較されていることに対して「彼は過去のこと」と言い放っている。
- 偶然ではあるが、マグノの姓も「アラウージョ」である。
- 2006年Jリーグ得点王を分け合った浦和レッズのワシントンとは2001年のコンフェデレーションズカップでともにブラジル代表だった(ワシントンからは「速いしうまい」と賞賛されている)。
- 1-3で敗れた2006年Jリーグ第3節大分トリニータ戦で試合後同僚のフェルナンジーニョにつかみ掛かっている。
- 全北現代時代の登録名は「マグノ」。
- 大分ではトリニータのスポンサーでもあるジョイフルのみぞれチキンステーキが大好きだったようで、大分市内のジョイフルに家族で食事に行っているのを何度もサポーターなどに目撃されている。
- チームメイトの播戸竜二は「彼は10点取るまでまったく相手にしてもらえなかった」と言っている。
- 2006月11月26日J1リーグ33節京都パープルサンガ(現・京都サンガFC)戦でリーグ連覇の望みがなくなりかけた後半ロスタイムに、決勝点(ハットトリック)を決め、リーグ連覇への望みを最終節の浦和レッズとの直接対決に繋いだ。冷たい雨の中であまりにも劇的な展開となり、ゴール後から号泣するサポーターが後を絶たなかった。そしてこの試合はガンバサポーターにとって語り草になっている。
[編集] 経歴
- ハトランス(ブラジル)1994年-1995年
- ヴァリーニョス(ブラジル)1995年-1996年
- インデペンデンチ(ブラジル)1996年-1997年
- アラサトゥーバ(ブラジル)1997年
- クリシューマ(ブラジル)1997年-1998年
- フルミネンセ(ブラジル)1998年-2003年
- 全北現代モータース(韓国)2003年
- 大分トリニータ(日本)2004年-2005年
- ガンバ大阪(日本)2006年-
[編集] 個人成績
年度 |
チーム |
リーグ |
背番号 |
リーグ戦 |
カップ戦 |
天皇杯 |
J・J1 |
J2 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
2004年 |
大分 |
J1 |
10 |
29 |
11 |
- |
6 |
1 |
2 |
2 |
2005年 |
大分 |
J1 |
10 |
33 |
18 |
- |
3 |
0 |
2 |
2 |
2006年 |
G大阪 |
J1 |
9 |
31 |
26 |
- |
2 |
0 |
5 |
3 |
2007年 |
G大阪 |
J1 |
9 |
|
|
- |
|
|
|
|
通算 |
93 |
55 |
- |
11 |
1 |
9 |
7 |
- Jリーグ初出場 - 2004年3月13日 J1 1st-1 vs柏レイソル
- Jリーグ初得点 - 2004年3月13日 J1 1st-1 vs柏レイソル
[編集] 受賞歴
[編集] 代表歴
[編集] 外部リンク