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家長 昭博 |
名前 |
愛称 |
アキ |
カタカナ |
イエナガ アキヒロ |
ラテン文字表記 |
IENAGA Akihiro |
基本情報 |
国籍 |
日本 |
誕生日 |
1986年6月13日 |
出身地 |
京都府長岡京市(出生地・兵庫県) |
身長 |
172cm |
体重 |
70kg |
血液型 |
A型 |
選手情報 |
在籍チーム |
ガンバ大阪 |
ポジション |
MF |
背番号 |
8 |
利き足 |
左足 |
代表歴 |
キャップ |
1 |
得点/失点 |
0 |
|
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
家長 昭博(いえなが あきひろ、1986年6月13日 - )は、京都府長岡京市出身でガンバ大阪所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(左サイドハーフ、左ウイングバック)、ディフェンダー(左サイドバック)。向陽台高等学校卒業。
[編集] 経歴
地元長岡京市の長岡京サッカースポーツ少年団からガンバ大阪ジュニアユースに入団し、同クラブユースから現在はガンバ大阪トップチーム所属。ユース在籍時から将来を嘱望されていた選手であり、2004年にはJリーグ史上初となる二種登録選手によるデビュー戦初ゴールという快挙を成し遂げた。ガンバ大阪ユースには実質高校2年時までしか所属せず、高校3年時には完全にユースを卒業し、トップチームでプレーをしていた。
現在は2008年北京五輪に向けたU-22代表の中心選手だが、2007年3月24日の国際親善試合ペルー戦で同世代のジェフユナイテッド市原・千葉の水野晃樹らと共に日本A代表(オシムジャパン)に初招集され、そのペルー戦では後半40分から途中出場し、A代表戦初出場を飾った。又、ペルー戦から4日後の2007年3月28日、ホームの国立競技場で行われたU-22北京五輪アジア2次予選のシリア戦では前半16分に、利き足ではない右足からの鮮やかなミドルシュートで先制点をたたき込み、3-0の勝利に貢献した。これが家長自身、記念すべきU-22代表初ゴールでもあった。
ちなみに、現在名古屋グランパスエイト所属の本田圭佑とはガンバ大阪ジュニアユース時代の同期で、左利きと言う部分に加え生年月日も全く同じである。最近特に代表のポジション争いで各メディアにおいてライバル比較される家長と本田だが、実際の所は非常に仲が良い様だ。本田との関係に関してはメディアでも度々語っており、小学校時代に対戦した本田圭佑に刺激を受け、共にプレーしたいと思ったことが、ガンバのジュニアユースを選んだ理由と話している。また、家長にとって本田は、「自分より上手い」と初めて思った選手であったとのこと。
[編集] プレイスタイル
- ユース時代は中盤菱形4-4-2の左SH(トップ下は一学年上の寺田紳一が主に務めていた)、トップに上がってからも左サイドでプレイ。かねてから縦方向へのドリブル突破が得意であったが、2006年度はクロスの精度を上げている。さらにピッチ中央部へ進出し、効果的なプレーをすることも増えている。
- 日本では数少ない縦へのドリブル突破力を有すMFである彼に感嘆する解説者もいる(原博実、宮澤ミシェル等)。
- 2006年シーズン当初はチーム事情により左サイドバックでの起用も多かったが、シーズン終盤ではあまり見られなくなった。
- 当時U-19日本代表の大熊清監督に、ワールドユースの試合の際に「世界に通用した数少ないプレーヤー」と言わしめた。
- 運動量の少なさや守備への怠慢さが課題とされているが、彼のドリブル、パスに魅了される人も少なくない。
- 2007年シーズンからは右サイドの攻撃的なMF、3トップの一角と従来よりよりゴールに近い位置で起用され、その攻撃センスを生かす。
- そのプレイスタイルからアルゼンチン代表・メッシと比較され、「和製メッシ」の異名を取る。
[編集] クラブ歴
- 長岡京SS(1993-1998)
- ガンバ大阪ジュニアユース(1999-2001)
- ガンバ大阪ユース(2002-2004.6)
- ガンバ大阪(2004.6- )
[編集] 個人成績
年度 |
チーム |
リーグ |
背番号 |
リーグ戦 |
カップ戦 |
天皇杯 |
J・J1 |
J2 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
2004年 |
G大阪 |
J1 |
28 |
8 |
1 |
- |
3 |
0 |
0 |
0 |
2005年 |
G大阪 |
J1 |
14 |
24 |
0 |
- |
5 |
1 |
3 |
0 |
2006年 |
G大阪 |
J1 |
14 |
28 |
2 |
- |
2 |
0 |
4 |
2 |
2007年 |
G大阪 |
J1 |
8 |
|
|
- |
|
|
|
|
通算 |
60 |
3 |
- |
10 |
1 |
7 |
2 |
- Jリーグ初出場 - 2004年6月26日 J1リーグ 1st-15 vsアルビレックス新潟
- Jリーグ初得点 - 2004年6月26日 J1リーグ 1st-15 vsアルビレックス新潟
[編集] 代表歴
[編集] エピソード
- 調子のムラが激しく、2006年シーズンの中盤にはベンチにも入れない日が続いた。
- 名前を「家永」と間違えられやすい(実際に2007年元旦に国立競技場で行われた天皇杯決勝の浦和レッズ戦でも選手紹介で「家永昭博」と間違えられた)。2007年4月3日号のサッカーダイジェストの目次でも「家永昭博」と間違えられた。
- 2007年シーズン、フェルナンジーニョから背番号8を引き継いだ。
- サッカーを始めたキッカケは小学校2年生のころ友達に誘われたから。
- 首回りは43cmである。
- 京都出身なので当時の京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)の下部組織に入団する事も出来たが、ガンバの練習場の方が実家から行き易いという事で、ガンバのジュニアユースに入団したらしい。