北陸鉄道金沢市内軌道線
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金沢市内軌道線(かなざわしないきどうせん)は、石川県金沢市の市街地区域を結んでいた北陸鉄道の鉄道路線。
金沢市内の交通渋滞常態化解消のため、昭和42年(1967年)2月11日、全線廃線となった。
目次 |
[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):12.9km(最盛期)
- 軌間:1067mm
- 複線区間: 六枚町~金沢駅前~白銀町、鳴和~東金沢駅前 以外
- 金沢駅前単線区間はループ状で時計回りのみ。
- 電化区間: 全線(直流600V)
[編集] 運行形態
鳴和~東金沢駅前間廃止時点(最盛期)は6系統あった。 また、一時期は松金線への乗り入れを行っていた。
各系統は以下のとおり。
運行系統 | 延長 | 区間 | 主要電停 | 特記事項 |
---|---|---|---|---|
1 | 3.8km | 金沢駅前~小立野 | 武蔵ヶ辻, 橋場町, 兼六園下 | 金沢駅前で折り返し2系統へ |
2 | 4.2km | 金沢駅前~寺町 | 武蔵ヶ辻, 香林坊, 野町広小路 | 金沢駅前で折り返し1系統へ |
3 | 3.8km | 野町駅前~小立野 | 野町広小路, 香林坊, 兼六園下 | 野町駅前で折り返し4系統へ |
4 | 5.2km | 野町駅前~鳴和 | 野町広小路, 香林坊, 武蔵ヶ辻 | 野町駅前で折り返し3系統へ |
5 | 6.7km | 東金沢駅前~寺町 | 兼六園下, 香林坊, 野町広小路 | なし |
6 | 3.2km | 金沢駅前~兼六園下 | 武蔵ヶ辻, 香林坊 | 朝ラッシュ時のみ運行 |
5系統は20時までの運転で、以降は4系統が東金沢駅前まで延長されていた。 上記以外に金石線の中橋駅から乗り継いで市内へ向かう乗客の便宜を図るため、六枚町から金沢駅前を経由せずに白銀町方向へ折り返す臨時系統があった。
[編集] 歴史
- 1919年2月2日 金沢電気軌道が金沢駅前~橋場町~兼六園下を開業。
- 1919年7月13日 兼六園下~香林坊~犀川大橋、武蔵ヶ辻~香林坊、兼六園下~小立野開業。
- 1920年11月20日 犀川大橋~野町(後の野町駅前)開業。
- 1921年7月10日 野町広小路~寺町開業。
- 1922年7月13日 浅野川大橋~小坂神社前開業。
- 1922年12月14日 橋場町~浅野川大橋開業。
- 1941年8月1日 北陸合同電気(現在の北陸電力)設立にあわせて金沢電気軌道を合併。
- 1942年3月26日 北陸合同電気が保有路線を北陸鉄道に譲渡。
- 1945年5月17日 白銀町~六枚町~金沢駅前、小坂神社前~鳴和開業。
- 1945年12月1日 鳴和~東金沢駅前開業。
- 1949年7月20日 車庫火災で車両11両が焼失。
- 1949年11月22日 初のボギー車2000形が運行を開始。
- 1965年6月24日 尻垂坂(現在の兼六坂・兼六園下~出羽町間)で300形の暴走脱線事故。
- 1966年2月28日 東金沢駅前~鳴和廃止。
- 1966年12月26日 鳴和~橋場町廃止。
- 1967年2月11日 全線廃止。
[編集] 駅一覧
白銀町は往路のみ、六枚町は復路のみ停車。それぞれ廃止時の名称。
- 運行系統1
- 金沢駅前 - 白銀町(六枚町) - 安江町 - 武蔵ヶ辻 - 尾張町 - 橋場町 - 味噌蔵町 - 兼六園下 - 出羽町 - 下石引町 - 小立野
- 運行系統2
- 金沢駅前 - 白銀町(六枚町) - 安江町 - 武蔵ヶ辻 - 堤町 - 南町 - 尾山神社前 - 香林坊 - 片町 - 犀川大橋 - 野町広小路 - 大桜 - 寺町3丁目 - 寺町2丁目 - 寺町
- 運行系統3
- 野町駅前 - 野町4丁目 - 野町広小路 - 犀川大橋 - 片町 - 香林坊 - 県庁前 - 兼六園下 - 出羽町 - 下石引町 - 小立野
- 運行系統4
- 野町駅前 - 野町4丁目 - 野町広小路 - 犀川大橋 - 片町 - 香林坊 - 尾山神社前 - 南町 - 堤町 - 武蔵ヶ辻 - 尾張町 - 橋場町 - 浅野川大橋 - 森下町 - 高道町 - 小坂神社前 - 春日町 - 鳴和
- 運行系統5
- 東金沢駅前 - 大樋口 - 鳴和 - 春日町 - 小坂神社前 - 高道町 - 森下町 - 浅野川大橋 - 橋場町 - 味噌蔵町 - 兼六園下 - 県庁前 - 香林坊 - 片町 - 犀川大橋 - 野町広小路 - 大桜 - 寺町3丁目 - 寺町2丁目 - 寺町
- 運行系統6
- 金沢駅前 - 白銀町(六枚町) - 安江町 - 武蔵ヶ辻 - 堤町 - 南町 - 尾山神社前 - 香林坊 - 県庁前 - 兼六園下
[編集] 接続路線
- 金沢駅前:国鉄北陸本線(金沢駅)、北陸鉄道浅野川線(北鉄金沢駅)、北陸鉄道金石線(中橋駅)
- 六枚町:北陸鉄道金石線(中橋駅)
- 東金沢駅前:国鉄北陸本線(東金沢駅)
- 野町駅前:北陸鉄道石川線(野町駅)、北陸鉄道松金線(野町駅(1944年まで))
[編集] 車両
- モハ30形・60形・80形
市内線開業時からの木造単車で30~49、60~69、80~99の合計50両が1921年までに登場し、車体の色は当初は赤色だったが早い時期に青緑色に改められて「青電車」として親しまれた。1932年に10両、1942年に5両が半鋼製のモハ300形に改造され、1944年には3両が呉市電に譲渡されていた。1949年の車庫火災で7両が焼失、1953年には5両がモハ310形に改造され、1964年までに全て廃車されている。
- モハ200形
1931年に登場した半鋼製単車で、1949年の車庫火災で1両が焼失し、残りの4両は全線廃止を前にした1965年と1966年に廃車されている。
- モハ300形
モハ30・60・80形の台車と機器を流用して200形と同形の半鋼製車体に乗せ換えたもので、1932年に10両、1942年に5両が登場した。1965年にブレーキ故障による脱線事故を起こしてから単車の使用が制限されたために次々と廃車され、1967年の全線廃止まで残ったのは4両だけだった。
- モハ150形・160形・170形
終戦後の混乱期に急増した輸送需要に対処するため1947年に名古屋市電から譲り受けた木造単車で、合計10両が登場したが1949年に3両が車庫火災で焼失し、残ったものも1951年までに姿を消している。
1949年に登場した金沢市内線初のボギー車で、道幅が狭くカーブが多い金沢の街に合わせて車体の前後が絞られている。1967年の市内線廃止後は10両揃って名鉄岐阜市内線へ移り、モ550型となって活躍していたが、1997年までに全て姿を消している。
- モハ2100形
1950年から翌年にかけて12両が登場し、集電装置がパンタグラフ化されて扉の配置も左右で非対称となった。全線廃止後は1両が名鉄岐阜市内線のモ531となったが現存しない。
- モハ310形
1953年に木造車の車体を半鋼製に改造したもので、5両が登場したが揺れが激しいことなどで評判が悪く、1964年から翌年にかけて姿を消している。
- モハ2050形
1953年に金石線のモハ1101を市内線に転用したもので、武蔵中央電鉄の出身だが、運行休止を経て合併前の金石電気鉄道が1942年に譲り受けていた。市内線廃止後は福井鉄道へ譲渡されてモハ501となり、福井市内の軌道区間の運転に使用されていたが、2年後の1969年に廃車になっている。
1956年の2201,2202を皮切りに2203~2205が1957年、2206が1958年に登場しており、2206の車体はそれまでの半鋼製から全鋼製になり、モハ2300形への橋渡し的な存在となっている。市内線廃止後は6両とも名鉄岐阜市内線へ移籍してモ560形となり、1988年に福井鉄道へ再譲渡されたモ562を除いて姿を消している。
1961年3月に登場した市内線最後の新製車両で、間接制御、電磁・空気併用ブレーキ、弾性車輪、オイルダンパ付台車など新機軸が採り入れられている。市内線全廃後は豊橋鉄道に譲渡され、2000年3月の引退後は鉄道総合技術研究所に引き取られて試験車として利用されている。
- モハ2060形
1963年に廃止された琴平参宮電鉄からデハ81と83を譲り受け、狭い道幅に適合させるために車体を切り詰めるなど原型をとどめない大改造が行われて翌年お目見えした。市内線廃止後はモハ2051とともに福井鉄道へ譲渡されてモハ511, 512となっていたが、同じく1969年に廃車されている。
[編集] 関連項目
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