国鉄DD50形ディーゼル機関車
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DD50形ディーゼル機関車(でぃーでぃー50がたでぃーぜるきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)のディーゼル機関車の一形式である。
目次 |
[編集] 製造の背景
戦後の1950年頃から米国やドイツにおける非電化幹線のディーゼル化の進行に刺激され、国鉄でも幹線用ディーゼル機関車の研究が進められた。日本では戦前に製造されたディーゼル機関車はいずれも入換用の小型機関車であり、幹線用ディーゼル機関車の製造・使用実績は皆無であった。
その研究の成果として製造された日本初の幹線用ディーゼル機関車がDD50形である。1953年から製造された。
[編集] 構造
エンジンはスイスのスルザー社との技術提携により製造された1,050馬力(1時間定格)のエンジンである。動力伝達方式は幹線用機関車の世界的な標準である電気式を採用した。
運転台が片方にしかなく、常に2両を背中合わせに連結し、重連運転することを前提として製造された。ただし、1両でも列車牽引に使用することは可能であった。運転台側の前面形状は国鉄80系電車とよく似た2枚窓半流線形のいわゆる「湘南型」である。
重連で使用した際の性能は、D52形・C62形蒸気機関車並みとされた。
外部塗装はぶどう色2号に白色の帯であった。のち昭和39年頃に上半が朱色、下半が灰色のツートンカラーで白帯が入った塗装に塗り替えられた。
[編集] 製造
まず1953年に第1次車3両が新三菱重工業三原製作所で製造された。電気部分は三菱電機が製造した。性能上は問題ないことが確認され、1954年に第2次車3両が同じく新三菱三原で製造された。第1次車と第2次車では車体形状が若干異なっており、第2次車では前面排障器が車体と別部品になっている。
量産を見据えた設計であったが、2両重連使用のため製造費が高くなり、軸重が重く、列車暖房装置がないため冬期の旅客列車の牽引には別に暖房車が必要となるなどの問題点があり、これ以後の製造はなされなかった。その後の幹線用ディーゼル機関車としては、出力を上げ単機運転を可能とし、暖房装置を備えたDF50形ディーゼル機関車が開発され、1957年から量産されることとなる。
[編集] 運用
6両とも当初は敦賀機関区に配置され、北陸本線米原~敦賀間で使用された。この区間はトンネルと急勾配が連続しており、蒸気機関車の運転が非常に困難な区間であったことから本形式が使用されたのであった。
製造当初は「日本海」「北陸」などの急行列車にも用いられたが、1957年にDF50形が製造されてからは主に貨物列車に使用されるようになった。その後、北陸本線の電化により富山機関区を経て米原機関区に転属し、デッドセクションのある米原~田村間で直流電気機関車と交流電気機関車の中継に使用されたが、1975年3月10日のダイヤ改正頃より休車が出始め、1977年12月26日付で全車廃車となった。
休車後も長い間米原機関区構内に留置されており、新幹線の車窓からその姿を見ることができた。全車解体され、現存車はない。
なお4号機は1957年頃、DF40が改造工事を受けている間、四国に渡り土讃本線で運用されていた事がある。
[編集] 主要諸元
- 全長:11.8m
- 全幅:
- 全高:
- 運転整備重量:60t
- 機関:三菱重工製8LDA25形(直列8気筒、4サイクル、単動過給式)×1基
- 軸配置:B-B
- 1時間定格出力:1,050PS/850rpm
- 連続定格出力:900PS/800rpm
- 動力伝達方式:電気式
- 主発電機出力:580kW/800rpm
- 主電動機
- 出力:130kW/730rpm×4基
- 歯車比:1:4.56(16:73)
- 最大運転速度:90km/h
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