国鉄DD12形ディーゼル機関車
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DD12形ディーゼル機関車(でぃーでぃー12がたでぃーぜるきかんしゃ)は、かつて日本国有鉄道が保有したディーゼル機関車。
アメリカ軍の保有する機関車の払い下げを受けた、電気式のものである。
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[編集] 登場の背景
太平洋戦争の終戦後、日本にアメリカ合衆国を筆頭とする連合軍が進駐する事になったが、彼らは日本の鉄道は戦争末期の空襲などの影響で運行不能の壊滅状態になっていると予想し、日本国内における軍事輸送を行うためには、自前で機関車や貨車を調達しておいた方が良いと考えた。
そのため、アメリカの産業用鉄道などで使用されていた標準軌用の機関車を、狭軌用に改造したUS ARMY8500と呼ばれる機関車を製造し、フィリピン経由で輸入を行うことにした。
しかし、現地を見て曲がりなりにも日本国内における鉄道が稼動しているのを確認したため、車両の輸入は本形式を8両輸入しただけで終わり、輸送の基本方針は国鉄・私鉄が保有している状態の良い車両を徴収し、それによって行う事となった。
[編集] 構造
中央部に運転室を配し、運転室の前後にエンジンを1基ずつ置いた凸型車体である。この車体形状はのちに日本国内で製造されたDD11形、DD13形、DD51形などにも受け継がれていくことになるが、本形式はボンネットが高く、排気口高さが低いのが特徴である。
電気式で、電気装置と車体はゼネラル・エレクトリック製、エンジンはキャタピラトラック製の180PSエンジン2基を搭載する。軸配置はB-B型。外部色は茶色に塗られていたが、後にディーゼル機関車標準色に塗り替えられた。
[編集] 運用
持ち込み後、東横浜駅、鷹取駅、呉駅で進駐軍用貨車の入換に使用された。日本国との平和条約がサンフランシスコで結ばれたのちもそのまま使用されていた。1956年、米軍はこれら8両の機関車を国鉄に5両、名古屋鉄道に2両、八幡製鉄に1両をそれぞれ払い下げる事にした。当時、まだ日本のディーゼル機関車製造技術は確立しておらず、性能の悪いものが多かったため、主に在日米軍向けの輸送を蒸気機関車から置き換えるべく、このような事を行ったとされる。この時、国鉄ではDD12形、名鉄ではDED8500形と形式名が定められている。
国鉄においては払い下げ後、当初は東京機関区に4両、広島第二機関区に1両配置、その後、新鶴見機関区に3両、久里浜機関区に2両配属された。1958年にDD13形が導入されたこともあり、それとの絡みで出力の劣るDD12形は余り活用されたとはいえなかった。2120形などとともに、東京近辺における貨物列車で1972年まで使用され、1974年に全車廃車となった。
一方、名鉄では導入の効果は大きく、故障が多い国産の機関車に代わって築港線などで使用された。名古屋臨海鉄道の開業に伴い使用を終え、1966年にフィリピンに売却されている。
八幡製鉄ではD402と名乗り、八幡-戸畑間の製鉄所専用鉄道で緩急車代用として使用されていたことが確認されている。
[編集] 主要諸元
- 全長:10668mm
- 全幅:2767mm
- 全高:3585mm
- 重量:47t
- 軸配置:B-B
- 主機:D17000(180PS/1000rpm) 2基
- 主電動機:70kW/400rpm 4基
- 最大運転速度:56km/h
日本国有鉄道のディーゼル機関車 |
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