多治見駅
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多治見駅(たじみえき)は、岐阜県多治見市にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
相対式1面1線、島式2面4線の計3面5線のホームを持つ地上駅。みどりの窓口がある。
[編集] のりば
- 1番線
- 中央本線(上り本線)名古屋方面
- 2番線
- 中央本線(上り)名古屋方面(折り返し・待避用)
- ※万博輸送関連で留置(滞泊)線としても利用されていた。
- 3番線
- 中央本線(下り本線)瑞浪、中津川、塩尻、松本、長野方面
- 4番線
- 中央本線(上り)名古屋方面(折り返し用)中央本線下り瑞浪、中津川方面・太多線美濃太田方面
- 5番線
- 太多線(下り)美濃太田、岐阜方面
- 1番線と2番線の間に上り副本線を有する。
[編集] 貨物駅
JR貨物の貨物駅は、旅客駅の北側に位置する。東濃地区の鉄道貨物輸送の拠点駅。
- 取扱貨物
- コンテナ貨物 - 12ftコンテナのみを取り扱う。
- 産業廃棄物・特別産業廃棄物の取扱許可を得ている。
- 駅構造
- 1面のコンテナホーム、1本のコンテナ荷役線を有する。
- その他
- 貨物列車は、1日1往復名古屋貨物ターミナル駅との間に設定されている。その先別の貨物列車に継走され、全国に輸送される。
- かつては中津川駅や土岐市駅等東濃地方の主要駅も大半が貨物取扱駅であったが、1980年代に合理化のため当駅に貨物取扱が集約された。
[編集] 駅周辺
- 多治見市役所
- 岐阜県東濃西部総合庁舎
- 多治見税務署
- 多治見郵便局
- 多治見公共職業安定所
- 多治見警察署駅前交番
- 岐阜県立多治見高等学校
- 岐阜県立多治見北高等学校
- 岐阜県立多治見工業高等学校
- 多治見市民病院
- 岐阜県立多治見病院
- 多治見市図書館
- 多治見市文化会館
- 岐阜県現代陶芸美術館
- 臨済宗虎渓山永保寺
- 神言会多治見修道院
- 東濃鉄道本社
- 東濃信用金庫本店
[編集] 接続交通
[編集] 南口
- 高速バス 中央ライナー号
- 路線バス(東濃鉄道バス)
- 1番のりば 旭が丘=小泉線・ホワイトタウン線・市の倉ハイランド線
- 2番のりば 笠原線・下半田川線
- 3番のりば 多治見市内線・駄知線・瑞浪=駄知=多治見線・妻木線・滝呂台線・学園都市線・グランド循環線
- 4番のりば 旭が丘循環線・緑ヶ丘線・久々利線
- ききょうバス(多治見市コミュニティバス)
- タクシー
[編集] 北口
- 路線バス(東濃鉄道バス) - 名鉄緑台線・桜ヶ丘ハイツ線
- タクシー
[編集] 駅構内に設置されているテナント等
- 岐阜県人材チャレンジセンター・ジンチャレ!東濃
- デリケッセン(弁当屋)
- 飲食店多数
[編集] 歴史
- 1900年(明治33年)7月25日 - 国鉄中央本線 名古屋~当駅間開通と同時に開業。旅客及び貨物の取扱を開始。
- 1902年(明治35年)12月21日 - 中央本線 当駅~中津川間が開通。
- 1918年(大正7年)12月28日 - 東濃鉄道(初代。現在の太多線)新多治見駅~可児駅間が開通。
- 1926年(大正15年)9月25日 - 東濃鉄道(初代)が国有化され、太多線となる。同時に新多治見駅を当駅に統合。
- 1928年(昭和3年)7月1日 - 笠原鉄道 新多治見駅~笠原駅間が開通。
- 1937年(昭和12年)6月1日 - 笠原鉄道 新多治見駅~当駅間が開通。
- 1944年(昭和19年)3月20日 - 笠原鉄道が東濃鉄道(2代)笠原線となる。
- 1971年(昭和46年)6月12日 - 東濃鉄道笠原線旅客営業廃止。
- 1978年(昭和53年)11月1日 - 東濃鉄道笠原線廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道及び日本貨物鉄道の駅となる。
[編集] 駅弁
- 多治見の釜めし(アイケイフーズ)
※「黒豆こわい」は販売終了。
[編集] 多治見駅舎整備計画
多治見市は、市が中心となって進めている多治見駅北都市整備計画とともに進めている駅改良工事に関して、基本計画を発表し、市議会全員協議会に議案説明を行った。 それによると駅改良工事はバリアフリー化した橋上駅舎と幅10メートル長さ102メートルの南北自由通路の建設から成り、2007年度から工事を開始、2010年度に完成する予定。
[編集] 隣の駅
- 東海旅客鉄道
- 中央本線
- 太多線
[編集] 関連項目
中央本線(塩尻-名古屋)