平城天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平城天皇(へいぜいてんのう、へいじょうてんのう、宝亀5年(774年)8月15日 - 弘仁15年7月7日(824年8月5日))は第51代の天皇(在位806年-809年)。小殿(おて)親王、後に安殿親王(あてのみこ)。奈良帝(ならのみかど)とも呼ぶ。国風諡号は日本根子天推国高彦尊(やまとねこあめおしくにたかひこのみこと)。
目次 |
[編集] 系譜
桓武天皇の長男。母藤原乙牟漏(藤原良継の娘)は桓武天皇の皇后。皇太子とした嵯峨天皇は同母弟。子に阿保親王、高岳親王、巨勢親王、ほか内親王四人がある。阿保親王の第五子が在原業平で、平城天皇には孫にあたる。
[編集] 略歴
785年(延暦4年)、叔父の早良親王に代わり立太子。806年(大同元年)5月に即位した。即位当初は政治に意欲的に取り組み、官司の統廃合や中・下級官人の待遇改善など政治・経済の立て直しを行った。しかし、809年(大同4年)4月、病気のため神野親王(嵯峨天皇)に譲位、嵯峨天皇は平城天皇の子の高岳親王を皇太子に立てた。同年12月、平城上皇は旧都である平城京に移り住んだ。
皇太子時代より、妃の母である藤原薬子を寵愛して醜聞を招く。薬子やその兄の藤原仲成の介入により、810年(大同5年)、平安京より遷都すべからずとの桓武天皇の勅を破って平安京にいる貴族たちに平城京への遷都の詔を出し、政権の掌握を図った。しかし、嵯峨天皇側に機先を制され、9月10日、嵯峨天皇が薬子の官位を剥奪。これに応じて11日に挙兵し、薬子と共に東国に入ろうとしたが、遮られて翌日平城京に戻った。直ちに剃髮して仏門に入り、薬子は服毒自殺した。高岳親王は皇太子を廃され、大伴親王(後の淳和天皇)が立てられた。これを薬子の変と呼ぶ。 なお「薬子の変」の際、妃の朝原内親王と大宅内親王は平城上皇に同行せず、 弘仁3年(812年)の5月、揃って妃の位を辞した。
その後も上皇(当時は法皇の称号はなかった)は平城京に滞在していたが、「太上天皇」の称号はそのままとされ、嵯峨天皇の朝覲行幸も受けている。大宰権帥に遷された阿保親王、廃太子・高岳親王の2人の皇子にも四品親王の身位を許されるなど、相応の待遇は保障されていたようである(後に嵯峨天皇が退位しようとした時に、藤原冬嗣が退位後の天皇に平城上皇と同じ待遇を与えれば、費用がかさんで財政が危機に瀕するとして退位に反対する意見を述べている事からでも裏付けられよう)。
諡は平城京に因むものである。墓所は宮内庁により平城京のすぐ北の楊梅陵(やまもものみささぎ)が指定されている。楊梅陵(市庭古墳)は全国最大の円墳と考えられてきたが、1962-32年の発掘調査により前方部が平城京築造の際取り壊されていたのが判明したため、同古墳を平城天皇の墓とするのは無理がある。
なお、古文献においては、城の偏を略して「平成天皇」と表記したものがある。これについて、将来、今上天皇に「平成天皇」の追号を贈ることになった時に、歴史研究上混乱を招くとする主張が一部にある。[要出典]
[編集] 后妃
- ?~794 贈皇后:藤原帯子 - 藤原百川女
- 779~817 妃:朝原内親王 - 桓武天皇皇女
- ?~849 妃:大宅内親王 - 桓武天皇皇女
- ?~? 妃:甘南美内親王 - 桓武天皇皇女
- ?~810 尚侍:藤原薬子 - 藤原種継女
- ?~? 東宮妃:(名前未詳)-藤原縄主、藤原薬子夫妻の女
- 772~812 宮人:伊勢継子 - 伊勢老人女
- ?~? 宮人:葛井藤子 - 葛井道依女
- ?~? 宮人:紀魚員 - 紀木津魚女
[編集] 息子女
- 792~842 阿保親王(在原行平・業平父)
- 799~865 高岳親王(嵯峨天皇皇太子)
- ?~882 巨勢親王
- ?~842 上毛野内親王
- ?~846 石上内親王
- ?~863 大原内親王(斎宮)
- ?~835 叡奴内親王
|
|
|
歴代天皇一覧 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※赤字は女性天皇 |