大阪市交通局50系電車
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50系電車(50けいでんしゃ)は、大阪市交通局で使用されていた高速電気軌道(地下鉄)用通勤形電車。
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[編集] 概要
大阪市営地下鉄初のMM'ユニットを構成する電動車であるとともに、第三軌条車両としても日本初のMM'ユニット車である。当初は5000形として1960年(昭和35年)に登場した。1969年(昭和44年)に30系登場により50系に改称した。
既に登場していた1200形(→200形)を基本としつつも、より近代感を増した設計となった。総勢94ユニット188両が市営地下鉄の路線拡張期に落成したため、第三軌条方式で建設された全路線で運用された。
平成への改元後は、20系(2代目)、新20系の増備、更に30系の転属や30系後期車の冷房改造で廃車が始まり、1994年(平成6年)4月に最後まで残っていた4両編成2本が廃車された。
[編集] 改造
[編集] ATO試験車
7000・8000形7007FにはATO機器が設置され谷町線で試験が実施されていたが、同編成の御堂筋線転属に伴い試験車が50系5070Fに変更され、1969年から1974年(昭和49年)まで千日前線で試験・営業運転が実施された。
同編成は電装品やブレーキ装置を30系と同一品に交換されて運用されていた。
[編集] VIP輸送車
1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)開催を前に、御堂筋線では30系への置き換えが実施されたが、4両編成2本はVIP輸送車として改造された。これは各国からの貴賓が渋滞に巻き込まれないようにと交通局が用意したもので、車内に絨毯を敷きソファーを設置していた。
万博期間中は常に車両基地でいつでも出庫できるよう整備されていたが、実際に使用される機会はなかった。
[編集] 谷町線配置車の4M2T化
谷町線の守口開業に伴い、同線は編成両数を6両にすることになった。当初は30系の新造と50系の組替えで対応したが、車両検修合理化の観点から1C4M制御車を淘汰する目的で200・800・900形を電装解除の上50系に編入することとなった。
これに伴い主電動機の出力強化(90kW→120kW)、それに伴う台車の側梁強化もしくは交換、制動装置の電空併用化等が実施された。
[編集] 中央線配置車の近鉄対応改造
中央線の長田延伸、および近畿日本鉄道東大阪線(現・けいはんな線)直通に備えて、デッドマン装置への非常制動作用(近鉄線内のみで作動。中央線内では主回路オフになる)、抑速ブレーキが装備された。同時に編成も4両から6両に組替えられた。
[編集] その他
当初保安装置は打子式ATSであったが、ATC線区への転用に伴いATC車上装置が設置された。改造の対象となったのは編成の先頭に出る車両に限られ、助士席側の前面窓が小型化された。なお、千日前線で運用される車両については同線がCS-ATC(車内信号式)を採用している都合上、それに対応した運転台に改造された。この時改造されなかった車輌は原型を保っていたが、後に運転台を撤去した車両も登場した。
大阪市交通局では1975年(昭和50年)頃よりラインカラーを車両にも表示するようになったが、本系列は一部に谷町・中央・千日前線共通運用になっている編成があり、その関係で旧標準色(オレンジとクリームのツートンカラー)の車両がしばらく残っていた。その後谷町線の6両編成化等に伴い共通運用が解消されると、アッシュグリーン地にラインカラーが入るようになった。当時の規定で前面のラインカラー表示は、前照灯が腰部にある車両は貫通扉に表示することになっていたが、中央線は高架区間での警戒色を兼ねて、ライト回りにもラインカラーが入っていた。
日本では鉄道車両の車内には荷棚が設置されているのが通例だが、当系列には荷棚がなく、荷棚の位置には広告が設置されていた。
[編集] 保存車
5085号車が森之宮車両管理事務所に保存されているが、非公開である。
大阪市営地下鉄・ニュートラムの車両 |
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現役形式 |
10系・20系・新20系・30系・66系・70系・80系・100A系 |
旧在籍車両 |
100形(初代)・200形(初代)・300形・400形・500形・600形・1000形・1100形・1200形・800形・900形・50系・60系・100系 |
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