大阪府立春日丘高等学校
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大阪府立春日丘高等学校 | |
過去の名称 | 三島女子技芸学校 茨木高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
設立年月日 | 1911年1月24日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒567-0031 |
大阪府茨木市春日2-1-2 | |
電話番号 | 072-623-2061 |
FAX番号 | 072-623-0761 |
外部リンク | 公式サイト |
大阪府立春日丘高等学校(おおさかふりつかすがおかこうとうがっこう)は、大阪府茨木市にある高等学校。明治44年(1911年)、三島女子技芸学校として設立され、大阪府立茨木高等女学校等の変遷を経て、現在に至る。全日制と定時制を設置。略称「かすこう」。近隣には茨木警察署がある。
なお、愛知県春日井市に同一表記の春日丘高等学校があるが、こちらの学校の読み方は「はるひがおかこうとうがっこう」である。
目次 |
[編集] 概要
大阪府の第二学区のなかでも進学校として知られ、大阪府教育委員会が平成13年(2001年)に指定した「次代をリードする人材育成研究開発重点校」(エル・ハイスクール)の17校に入っている。2005年度卒業生は、ここ10年来で国公立進学数が最も多かった。
美しい藤棚があったことから学校のイメージは藤の花を使うことが多い。近隣の高校のなかでも盛り上がりぶりで有名な学校祭(体育祭・文化祭)は「藤蔭祭」という。また同窓会は「藤蔭会」と称する。
昭和13年(1938年)に建てられた旧本館校舎は時計塔のブロンズの鐘、玄関ホールの撫子の花のかたちの丸窓など美しい意匠で親しまれたが、平成10年(1998年)に新本館が完成し、平成15年(2003年)体育館やほとんどの校舎とともに取り壊された。
春日丘高校は自由な校風で知られる。1970年代、自治会活動が盛んで制服廃止運動が起こったために、1974年以来春日丘高校生はずっと私服通学である。このような雰囲気からか、多くの芸能人・有名人を輩出し、「大阪の堀越学園」とも呼ばれている。
また野球では昭和57年(1982年)に大阪府地方予選でPL学園や近大付など私立の強豪校を倒し、夏の甲子園に大阪府代表に公立高校ながら出場している。(当時の神前監督は「やればできるぞ 甲子園」という著書を出した。)他の部活動では創部50年以上の歴史を持つ音楽部が有名。関西でその年に最も活躍した合唱団に贈られる長井賞を平成15年に、「ミュージカルやオペラに挑戦し、市民に愛される活動を続けている」との理由で受賞した。部員数は常時100名以上を数え、長年にわたり大阪府下最大の混声合唱団として、高校の部活動のスケールを遥かに超えた存在感を発揮し続けている。
[編集] 沿革
- 1911年(明治44年) 1月24日 大阪府三島郡茨木町外8ケ村学校組合立三島女子技芸学校設置
- 1913年(大正2年) 5月 1日 茨木町外8ケ村学校組合立三島実科高等女学校設置
- 1917年(大正6年) 5月 9日 郡立に変更、大阪府三島郡立三島実科高等女学校と改称
- 1918年(大正7年) 4月23日 組織変更により大阪府三島郡立三島高等女学校と改称
- 1920年(大正9年) 1月 1日 郡立のまま、大阪府三島高等女学校と改称
- 1921年(大正10年) 4月 4日 府立に変更し大阪府立三島高等女学校と改称
- 1928年(昭和3年) 4月 5日 大阪府立茨木高等女学校と改称
- 1934年(昭和9年) 9月21日 室戸台風の風害のため本館他倒壊、教師1名、給仕1名殉職、生徒4名死亡
- 1937年(昭和12年)12月 3日 鉄筋コンクリート3階建の校舎(旧本館)竣工
- (日時不明)太平洋戦争末期、旧本館が米軍の艦載機による機銃掃射の攻撃を受ける(映像は外部リンクで)
- 1948年(昭和23年) 4月 1日 学制改革により新制高等学校となり、大阪府立春日丘高等学校に改称。三島野高校(現・茨木高校)と男女生徒交流(互いに生徒交換)。
- 1948年(昭和23年) 9月 1日、茨木女子農業学校を併合、農業科に(1967年廃止)。定時制も付設し総合高等学校となる。中心校(普通科・商業科・農業科)及び定時制4分校(吹田、豊川、清渓、忍頂寺)を置く
- 1949年(昭和24年) 4月 1日 定時制山田分校設置
- 1952年(昭和27年) 4月 1日 定時制吹田分校、吹田高校定時制課程になる
- 1965年(昭和40年) 4月 1日 家政科を設置(1983年廃止)。
- 1965年(昭和40年) 4月 1日 清渓・忍頂寺両分校を茨木市泉原に移転統合、大阪府立春日丘高等学校泉原分校とし、全日制普通科を設置
- 1968年(昭和43年) 7月31日 豊川分校及び泉原分校定時制課程を廃止
- 1994年(平成 6年) 3月31日 泉原分校廃止
- 1998年(平成10年)12月 1日 新本館竣工、新校舎への移行が開始される
- 2003年(平成15年) 1月31日 旧本館ほか撤去
- 2006年(平成18年) 4月 1日 ハンドボールコート下に大阪府営地下駐車場完成(名称:オークピット)。同時期に部室棟完成。
[編集] 教育目標
- 人間を尊重し、個性を育てる。
- 自由と平和をめざし、自らの責任を果たす人間を育てる。
- 大らかな学風のもとで、自主・自律の精神に富んだ人間を育てる。
- 地域社会と国際社会の双方に開かれた学校をつくり、地球的視野から、主体的に行動できる人間を育てる。
[編集] 出身者
- 池谷元伺 - 大阪大学名誉教授。「大地震の前兆 こんな現象が危ない」の著者。量子地球物理学研究室教授時代から、「地震の前、なぜ動物は騒ぐのか」等の著書を出し話題になっていた。
- ゼンジー北京 - マジシャン、コメディアン。
- 杉原輝雄 - プロゴルファー。春日丘高校は中退。
- 筒井康隆 - 作家。演劇部部長、高校時代は女生徒が強く悪夢だったと語る。
- 喜多条忠 - 作詞家。「神田川」などで知られる。
- 嘉門達夫 - ミュージシャン。在学中に笑福亭鶴光に入門。
- 槇原敬之 - ミュージシャン。軽音楽部部長。
- 杉原徹 - シンガソングライター・ラジオパーソナリティー。
- 福島実智子 - (旧姓名・長谷川智子)射撃選手。ソウル五輪・スポーツピストル銀メダリスト。
- ヤノベケンジ - 現代美術家。近所の大阪万博の廃墟の記憶を今も創作の原動力とする。
- 桂吉弥 - 落語家。神戸大学の落研出身。師匠は桂吉朝、大師匠は三代目桂米朝。
- 井上直久 - 画家。映画「耳をすませば」の背景に使われた空想世界「イバラード」(モデルは茨木市)を描く。卒業生であり、また美術教師としても同校に在籍していた。
- おーなり由子 - 絵と文の作家。81~91漫画家として活躍。
- 田宮実 - 東京六大学野球首位打者、早大選手、当時の六大学史上最高打率を記録。
- ムトウカツオ - ランドスケープ・アーキテクト。作品に、銀閣寺庭園内<space J'>。
- 澤木啓祐 - 順天堂大学スポーツ健康科学部長・陸上競技部長・日本陸連強化委員長。春日丘高校がインターハイにおいて全国制覇を成し遂げた際の原動力。彼は高校時代、陸上競技のスターであっただけでなく、3年間無遅刻無欠席を貫き通した。そのため、澤木啓祐という名前は「克己心」の代名詞として今も語り継がれ、春日丘高校生の範たる存在となっている。
- 佐藤誠 - NHK大阪放送局エグゼクティブアナウンサー。
- 西野義和 - 朝日放送元アナウンサー。現在は経営部門に所属。
- 村西利恵 - 関西テレビアナウンサー(関西学院大学卒業)
- 堀田篤 - 関西テレビアナウンサー(早稲田大学卒業)
- 池田光穂 -大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター 教授(鹿児島大学卒業 )
[編集] 校章
漢字の「春」をデザインした中に「高」の字。 男女共学前はひし形の中になでしこの花、そのなかに「茨」と書かれたデザインであった。
[編集] 校歌
作詞・細川真 作曲・山田耕筰