應武篤良
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應武 篤良(おうたけ あつよし、1958年5月12日~ )は、アマチュア野球選手(捕手、右投げ右打ち)・監督。現・早稲田大学野球部監督。
[編集] 経歴
広島県広島市中区出身。1976年、崇徳高校3年の時、春の甲子園大会で全国制覇。この年崇徳は、應武(近鉄3位)、エース・黒田真二(日本ハム1位拒否、のちヤクルト)、遊撃手・山崎隆造(広島1位)、外野手・小川達明(広島5位)と同じ高校で1位二人を含む4人のドラフト指名が当時は珍しく話題を呼んだ。應武は指名を拒否して早大に進学。大学卒業後の1981年には新日鐵広畑に入社。卓越したリードで社会人野球界でも評判の名捕手となり、1988年のソウルオリンピック野球日本代表ほか、日本代表選出経験は多数(ちなみにソウルオリンピックで捕手として選出された選手は應武と古田敦也の2人のみ)。
翌1989年に現役を引退。1994年には新日鐵君津の監督に就任。「短所を修正するより長所を伸ばす」指導で、新日鐵君津監督就任中には日笠雅人(中日)、松中信彦(福岡ダイエー)、森慎二(西武)、古屋剛(西武)、野田浩輔(西武)、渡辺俊介(千葉ロッテ)と6人の選手をプロへ送り出し、チームも都市対抗野球の常連となったことから、「君津中興の祖」と呼ばれた。
2000年シーズンをもって監督を勇退。新日鐵の社業に専念しつつ、2001年の第34回IBAFワールドカップ日本代表では打撃コーチに就任するほか、高校野球の解説など、常に野球と隣り合わせの日々が続いた。
2004年秋季リーグ戦から母校早大の助監督に就任、前任の野村徹の指導を受け2005年、早大野球部第17代監督に就任。就任早々六大学春のリーグ戦で優勝を果たし、大学選手権でもベスト8入りを果たす。2006年秋季に2度目の優勝。また、武内晋一(東京ヤクルト)、越智大祐(読売)の2選手をさっそくプロに送り出し、選手育成の手腕を見せている。2006年も宮本賢、山本一徳が日本ハムから指名され、2007年は斎藤佑樹らの入学・入部が決まり、さっそく年明けから斎藤の北京五輪選出を巡り、星野仙一同五輪監督との確執がマスコミを賑わした。「ケンカ應武」ともあだ名され無骨ぶりを発揮している。大学野球監督がこれ程マスコミに登場するのは初めてのケースと思われる。
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