政教分離原則
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政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)とは、国家権力と宗教‐厳格に言えば「教会(宗派)」との分離を指す‐とは相互に分離されるべきであり、国家権力が宗教団体を援助・助長、又は圧迫してはならないとする原則をいう。政教分離原則をして、世俗主義ということもある。政教分離とは逆に、国家が特定の宗教を援助・助長するなどの密接な関係にある場合は政教一致(せいきょういっち)と言う。各国において、国教制度、宗教と政治勢力との歴史的経緯から政教分離の程度には濃淡が見られる。
日本国憲法においては、第20条(信教の自由)においてこの原則が規定されている。自由権としての信教の自由を保障するための制度的保障として理解される。すなわち、国が、特定の宗教を優遇したり弾圧したりすることによって、「信教の自由」を侵す事を禁止しているものと理解される。
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[編集] 歴史
詳しくは政教分離の歴史を参照。
[編集] 古代
キリスト教の出現以前の古代においては、政教分離という概念はなかった。宗教は社会の一般的な構成要素の一つであると考えられていた。
君主制の下では、統治者は通常、宗教的にも最高位の指導者であり、時には神性を有するものと理解されていた。共和政体では、聖職者は政治家と同様に選ばれていた。宗教的な権威者が行政府の最高の地位に就いている例は、他国に支配されていた時代のユダヤ人の神権政治による自治においてみられた。
古代ローマ皇帝は神の子であると考えられ、聖職上の最高位を占めていた。ところが、キリスト教徒は、皇帝の政治的権威は認めたものの、国教に賛同することや皇帝の神性については認めなかった。このため、キリスト教徒は国家に敵するものと考えられ、キリスト教の信仰は死刑の対象となった(マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝時代における神学者ユスティノスの例など)。
これは313年にローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世とリキニウス(東方正帝)がミラノ勅令を発布してキリスト教を他の宗教とともに公認するまでの間、幾多のキリスト教徒への迫害へとつながった。380年に、テオドシウス1世の勅令により、ローマ帝国は正式にキリスト教を国教とするに至った。
イエスの教えそのものが、政教分離の根拠の一つになっていると指摘される(マルコによる福音書12:17など「ローマ皇帝のものはローマ皇帝に、神のものは神に返しなさい」)。
[編集] 中世
中世の西欧社会では、政教分離は神授された王権に基づき統治する君主と、神のこの世における権威を行使すると主張する教皇との間で問題となった。国家の究極的なコントロールに関しての分立は残り、権力抗争やリーダーシップの不在など、西欧の歴史における重要な出来事の原因となっている。
東ローマ帝国(ビザンティン帝国)では、皇帝は教会に対して優越する権力を有し、教会の最高位の代表者であるコンスタンチノープル総主教をコントロールしており、東方正教は国教とされていた。オスマン帝国がコンスタンチノープル(現イスタンブル)を征服した際に当時のローマ皇帝は殺害されたが、征服したイスラム教国たるオスマン帝国の支配者スルターンメフメト2世は、東方正教会の最高位をGennadius II Scholariusに与えるなど、東方正教会の最高位の聖職者を任命するローマ皇帝の権威は、スルターンが引き続き行使したと考えられている。
[編集] 現代
現代各国の政教分離は、国によって程度が異なっている。国家への宗教の影響を認めないよう厳しい政教分離を規定する国もあれば、イラン等の国では宗教と国家は強く結びついている。アメリカや日本では政教分離を憲法で定めているが、同時多発テロ以降のアメリカでは宗教右派の勢力が台頭し政治的に無視できない圧力が生じている。また日本でも、過去に公明党と創価学会の関係が問題だとあげるケースがあったが、宗教的信念をもった人間や団体が特定の政党を支持することは違憲ではなく、国家権力が特定の宗教団体を弾圧、援助することは政教分離原則に反するという形で議論は収束している。
[編集] 各国における政教分離の態様
- 憲法上における政教分離規定
- 1901年にイギリスから事実上の独立を果たした以降、信教の自由は保障され、国教を有することは違法とされた(オーストラリア憲法第116条)。政教分離の程度については、程度の異なるいくつかの裁判例があり、宗教系の学校に対する助成について争われたことがある(オーストラリア最高裁は助成を認める。)。一般には、アメリカ合衆国などの比較すると政教分離に関する厳格性は低く、オーストラリア議会は、開会にあたり任意出席ながらも祈祷の時間が設けられている。
[編集] 宗教的な少数派
「無宗教」もしくは「宗教的中立」の立場以外に、宗教的な少数派がどう意見を主張するか、ということが、政教分離原則の実質的な議論となることがある。ただし政教分離のもととなるのがseparation of church and stateであることからもわかるように「政治と宗教」の分離のための原則というより「政治と教会(特定の宗派という意味)」を意味し、明確な金銭的なやり取りが行われない限り問題がないとする立場もある(根拠?)。
フランスでのイスラム教徒のスカーフ着用禁止など、政教分離原則の適用が多数派による少数派への圧力として作用してしまうこともある。この場合は、多数派が非イスラム教徒である、という点に注意すれば、政教分離原則の本来の姿とは異なることは明白であろう。ただし、フランスの場合学校は全ての宗教から中立であろうとする結果として行われた処置だろうという見方をする人たちもいる。この件についてはル・モンド誌がヨーロッパ各国の反応を掲載した記事があり日本語訳も入手可能である。またフランスはライシテ(laïcité, 宗教からの独立)の原則を遵守しつつカルト的団体に対処するためセクトという概念を持って犯罪性の部分のみに対処するという方向性を打ち出した。これを建前だけ立派で、実質は少数派と異文化への弾圧とする人達と、逆に犯罪被害に対する良質かつ控えめな対処として賞賛する人たちに別れ議論を巻き起こした。フランス政府の行政資料(日本語訳もある)を根拠に犯罪対策が中心に行われ異文化排斥の側面は弱いと見る人もいる。また研究者達の間では異文化排斥の側面が極めて弱いとの意見が主流だと語る専門家もいる。
[編集] 各国の事例
「宗教的に中立」であることを示すのが、個人や団体にとって困難であるのは事実であろう。どのような文化でも多かれ少なかれ、宗教的要素は持っているからである。だがそれぞれの宗教の違いはもちろん、同一宗教でも、個々の流派によって立場や価値観は大きく異なる。また、無神論的立場を取る人、宗教的価値観は尊重しても特定の宗教を支持しない立場の人もおり、これらの立場も尊重されるべきである。「自分だけは正しい」という主張は、不毛な水掛け論であり、無理な正当化でしかない。
国教がある国の場合でも、たとえばイギリスの場合、英国国教会の洗礼を受けた信徒はイギリス全人口の3分の2でしかなく、教会に行く人は1割以下という。もちろん、残りの人々の宗教の自由が剥奪されているわけではない。また新聞やメディアではもちろん、娯楽でもキリスト教、王室をネタにすることをはばからないモンティ・パイソンを生んだ、批判精神の旺盛な国であることも忘れてはならない。
[編集] 日本での政教分離問題
日本においても政教分離という言葉がしばしば使われるが、日本の憲法・法律には政教分離という文言を直接用いた条文は存在しない。政教分離の根拠としては、一般に日本国憲法第20条が挙げられる。
- 1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
- いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
- 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
- 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
[編集] 靖国神社参拝との関係
日本の政治家による靖国神社への参拝は、この政教分離原則に反すると主張する人々もいる。しかし同条に”信教の自由は、何人に対してもこれを保障する”と明記されていることから、現在の日本国内に於いては国民はもちろんのこと、政治家の思想や信教を制限することは不可能な状況にある。しかし一部の人々は、政治家は国の機関であり、同条3項の国の機関による宗教的活動に該当すると主張、政治家が靖国神社に参拝することは憲法違反であるという説を採る。また、政治家が参拝することが、間接的な靖国神社への特権となるという説を採る人々も存在する。
また、韓国や中国など、日本の政治家による靖国神社参拝が、日本における軍国主義復活の象徴であると非難する国や団体も存在する(靖国神社問題参照)。
[編集] 憲法改正の動きとの関係
憲法改正論議では自民党によって政教分離の緩和が検討されている。この場合国家神道のような国教が復活する可能性は存在する。しかし仮に同条項の改正議論が行われたとしても、日本人の宗教が多様であることから、実際の議論には紆余曲折が予想される。
[編集] 歴史的経緯
日本国憲法が政教分離を定めたのは、アメリカ占領軍の政策によるところが大であり、太平洋戦争以前における日本でのいわゆる国家神道の影響力を否定することが企図されたものと理解されている。それでもなお、現在の日本でも他の国と同様に、特定の宗教、神道・仏教が文化の形成に深くかかわっている事実が指摘されている。
[編集] 公明党と創価学会
1970年以来、日本の国会においては、創価学会が支援する公明党との関係については幾度となく問題にされている。内閣法制局からは「宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない」旨の答弁がされている。
[編集] 目的効果基準
裁判所は、津地鎮祭訴訟以降、いわゆる「目的・効果基準」に従って国の宗教的活動の違憲性を判断してきた。この判断基準は、その「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になる」か否かをもって、憲法20条3項にいう「宗教的活動」に抵触するかどうかを判断するものである。
箕面忠魂碑訴訟ではこの目的・効果基準に従って、忠魂碑の移転に関わる費用等を市が負担した行為が合憲とされた。また、愛媛玉串料訴訟では、同基準に従い、県知事が公費から靖国神社に玉串料を奉納した行為が違憲とされた。
目的・効果基準はアメリカのレモンテストに由来する(後述)。
[編集] アメリカ合衆国での政教分離問題
アメリカでは裁判の際に聖書に手を置き、事実を述べるように誓う。キリスト教右派が宗教基盤の共和党のブッシュ大統領はクリスマスの際「Merry Christmas!」ではなく「Happy Holidays!」と他宗教に配慮して演説したことが、キリスト教右派に批判された。宗教的な少数派からは異論が出されて激しい議論となる場合もある。たとえばアメリカでは、公立学校での「忠誠の誓い」に関して、神に言及することについては、2001年にサンフランシスコ連邦控訴裁から「政教分離原則の基礎をなす国教禁止条項(憲法修正第1条)を侵す」という判決が出ている。
アメリカでは、クリスマスだけを公的行事とするのではなく、ユダヤ教のハヌカーやクワンザ(アフリカ系アメリカ人の祭典)も公的行事として認めようとする動きもある。これは特定の宗教の関与を禁止するよりも、むしろ複数の宗教の関与を認めるという解決策といえる。
また、アメリカでは、キリスト保守派により、進化論以外にインテリジェント・デザイナーにより人類等が創造されたというインテリジェント・デザイン説も教育せよという運動があり、カンザス州教育委員会ではこれが認められた。これに対抗して、空飛ぶスパゲッティ怪物(FSM)により人類等が創造されたという説(空飛ぶスパゲッティ・モンスター教)も同様に成り立つという主張がなされた。
[編集] アメリカ法における政教分離
アメリカ合衆国憲法修正第1条は、連邦政府が国教の樹立に繋がる法律や、信教の自由を禁止する法律を制定することを禁じている。この規定は同じく修正第14条により、州政府に対しても同様に適用されるものと理解される。
かかる規定は、文字通りの国教の樹立のみを禁ずるものではなく、一定限度を超える政府機関と宗教との結びつきを禁ずるものと判例により解釈されている。したがって、修正第1条は「教会と国の分離」を規定する条項とも呼ばれている。
アメリカ連邦最高裁判所は、いくつかの判決を経た上で1971年にLemon v. Kurtzman事件において、修正第1条との関係で合憲とされるためには、
- 政府の行為は適法で世俗的な目的をもつものでなければならない。
- 政府の行為はその主たる効果が宗教を助長または抑制するものであってはならない。
- 政府の行為は政府と宗教との「過度の関わり合い」をもたらすものであってはならない。
の3要件を充足することが必要と判断した。この基準は、当事者の名前をとってレモンテストと呼ばれている。