木下達生
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木下 達生(きのした たつお、1987年11月28日- )はプロ野球・北海道日本ハムファイターズに所属する投手である。背番号は35。
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[編集] 概要
高校時は愛知県の東邦高校に在籍。3年次の2005年、水野祐希(現東京ヤクルトスワローズ)とバッテリーを組み、春の甲子園では育英高校・若竹竜士(現阪神タイガース)、東海大学相模高校・小泉圭市、羽黒高校・片山マウリシオらと好勝負を演じ、チームをベスト8に導いた。
同年秋、高校生を対象としたドラフト会議で木下は北海道日本ハムに3巡目で指名された。事前に北海道日本ハム側から指名挨拶が無かったことと、木下自身が地元・愛知県の中日ドラゴンズを志望していたことにより入団交渉は難航したが、最終的には北海道日本ハム側の熱意が通じた形となった。
最速140km台後半のストレートの外角へのコントロールが良く、変化球はカーブ、スライダー、それに同郷で同学年のフィギュアスケート選手・安藤美姫にちなんで名付けた「ミキティ・フォーク」を持つ。
2006年夏、松坂大輔が右腕に打球を受けファームで調整をしていた時、幼なじみという小谷野栄一選手が松坂に木下を紹介する。小谷野から「こんな機会はないから、何でも聞け」と言われた為、チェンジアップを教わった。握り方やボールの抜き方を教わり、実際に試してみたがコーチに「今はまだ早い」と止めさせられてしまった。その後はキャッチボールなどの際にこっそり試している。
プロボクサーの亀田興毅に似ていることを売りにしていて、2006年8月6日のプロ初登板した翌日の移動日に報道陣の前でサングラスをかけ、亀田のようなファイティングポーズをとるパフォーマンスを行った。しかしこれを見た高校時代の監督に窘められてからは、このパフォーマンスは行っていない。
木下曰く「色紙よりも、カードの方が『自分だけ特別な物』という感じがする」とサインをする際、カードにすることを好む。 千葉県鎌ヶ谷市にあるファイターズ2軍施設宿舎勇翔寮には週刊ベースボールなどと共にトレーディングカード雑誌スポーツカードマガジンが共同スペースに置かれており、木下はこの雑誌の付録カードを抜き取って持って行ってしまうという一面も持ち合わせている。尚、横山道哉選手に「タイトルを獲らないとキラカードは出ないんだぞ」と自慢されたと明かしている。
[編集] 略歴
[編集] 個人記録
[編集] 背番号
- 35(2006年~)
[編集] 関連項目
1 森本稀哲 | 3 田中賢介 | 4 アンディ・グリーン | 5 フェルナンド・セギノール | 6 田中幸雄 | 7 坪井智哉 | 8 金子誠 | 9 小田智之 | 10 木元邦之 | 11 ダルビッシュ有 | 12 鎌倉健 | 13 須永英輝 | 14 ライアン・グリン | 16 金村曉 | 17 宮本賢 | 19 清水章夫 | 20 糸数敬作 | 21 武田久 | 22 建山義紀 | 23 尾崎匡哉 | 24 陽仲壽 | 25 立石尚行 | 26 糸井嘉男 | 27 江尻慎太郎 | 28 金澤健人 | 29 八木智哉 | 30 高橋信二 | 31 小谷野栄一 | 32 選手兼コーチ 中嶋聡 | 33 橋本義隆 | 34 吉川光夫 | 35 木下達生 | 36 MICHEAL | 37 小山桂司 | 38 武田勝 | 39 川島慶三 | 40 金子洋平 | 41 稲葉篤紀 | 42 ブライアン・スウィーニー | 43 星野八千穂 | 44 山本一徳 | 45 今浪隆博 | 46 植村祐介 | 47 菊地和正 | 48 中村渉 | 49 内山雄介 | 50 市川卓 | 52 紺田敏正 | 53 工藤隆人 | 54 稲田直人 | 55 佐藤吉宏 | 56 駒居鉄平 | 57 飯山裕志 | 58 高口隆行 | 59 金森敬之 | 60 伊藤剛 | 61 押本健彦 | 62 今成亮太 | 63 渡部龍一 | 64 鶴岡慎也 | 65 鵜久森淳志 | 66 ダース・ローマシュ匡
88 監督 トレイ・ヒルマン | 90 白井一幸 | 77 淡口憲治 | 81 佐藤義則 | 74 厚沢和幸 | 82 平野謙 | 83 デーブ・オーウェン | 78 二軍監督 福良淳一 | 80 野村収 | 73 島崎毅 | 79 島田一輝 | 76 大村巌 | 71 山中潔 | 72 水上善雄 | 75 川名慎一 |
北海道日本ハムファイターズ 2005年ドラフト指名選手 |
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大学生・社会人/希望枠:八木智哉 / 3巡目:川島慶三 / 4巡目:武田勝 / 5巡目:小山桂司 / 6巡目:高口隆行 / 7巡目:星野八千穂 高校生/1巡目:陽仲壽 / 3巡目:木下達生 / 4巡目:今成亮太 |