東瀬戸経済圏
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東瀬戸経済圏(ひがしせとけいざいけん)とは、瀬戸内海を挟んで接する旧吉備国と旧讃岐国、すなわち、岡山県南部・広島県東南部・香川県に広がる経済地域のこと。岡山県北部の美作地方(旧美作国)を含めることも多い。
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[編集] 呼称
「東瀬戸経済圏」は、複数の県にまたがって存在するため、各県庁はあまり用いない名称・定義である。しかし、内閣府、経済産業省を始めとする国の機関、倉敷市・高松市[1]などの市町村、広域的な経済も対象とする山陽新聞[2]、全国地方銀行協会[3]、岡山経済研究所などの報道機関やシンクタンク等等、多くの機関で用いられている。
東瀬戸経済圏は、「東瀬戸圏」、構成主要都市圏の名前をとって「岡山・倉敷・備後・高松都市圏」、令制国の名称などを用いた「備讃瀬戸広域都市圏」などとも呼ばれる。この地域は完全に連担した都市圏(コナーベーション)とまではまだなっていないため、「都市圏」との呼称よりも、農業地域を含む「広域都市圏」や、経済的一体性をもった地域を示す「経済圏」との呼称が実態をよく示している。そのため、ここでは「東瀬戸経済圏」を用いる。
[編集] 概要
- 東瀬戸経済圏内にある主要都市圏
- 岡山都市圏(岡山県:岡山市・倉敷市・玉野市・備前市など)
- 福山都市圏(広島県:福山市・尾道市・府中市、岡山県:笠岡市・井原市)
- 高松都市圏(香川県:高松市・坂出市など)
- 津山都市圏(岡山県:津山市など。東瀬戸経済圏に含めない場合もある)
以前から、岡山県と香川県は県域放送を相互に共有する地域であったが、1988年の瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道および本四備讃線・瀬戸大橋線)開通に合わせ、国道2号・岡山バイパス、山陽自動車道などが相次いで整備・供用開始され、これらの3つの都市圏はさらに相互に交流・影響しあうようになった。1999年、しまなみ海道が開通すると、愛媛県の今治都市圏もこの経済圏に近くなった。
また、JR岡山・福山駅間には快速サンライナーが、JR岡山・高松駅間には快速マリンライナーが、それぞれ30分ヘッドで運行されており、東瀬戸経済圏における旅客輸送上大きな役割を果たしている。
このような中国地方と四国地方にまたがる経済圏の成立と、さらにこの経済圏を山陰地方の中心都市の米子市から太平洋岸の高知市まで南北に貫く高速道路網(米子自動車道・岡山自動車道・瀬戸大橋・高松自動車道・高知自動車道)によって、東瀬戸経済圏は、中国四国地方のあらゆる方向への高速陸上交通の要衝となっている。そのため、「中国・四国地方」という枠組みでは特に岡山市が結節点となって、「中四国支店」という名称で支店・支社・流通拠点が岡山に置かれる例が見られるようになった。東瀬戸経済圏は、中四国で広島都市圏および広島経済圏と対峙する形となっている。
[編集] 東瀬戸経済圏の変化
1998年に明石海峡大橋が開通すると、四国と近畿圏との間のヒト・モノの流れに変化が生じた。2002年に高松自動車道が神戸淡路鳴門自動車道と結ばれてからは「明石シフト」が顕著になり、瀬戸大橋の利用は漸減傾向にある。
四国と大阪(京阪神)の間では、岡山経由の方がコストは安いが、淡路島経由に比べて70kmも大回りになってしまう。そのため、中四国の流通拠点としては岡山市の地位があるが、流通部門でも速達性が重視される品目や人の移動では淡路島経由が選択されている。結果、中四国の枠で岡山に流通拠点や支店が置かれるか、または、中四国支店自体をなくして、大阪と福岡で中四国を分割する傾向が見られるようになった。
また、四国と京阪神の間では高速バスが大きく発展した。特に香川県では高速バスが劇的にシェアを伸ばし、高松市以東では鉄道を圧倒している。これは運賃が鉄道の約半額と安い割りに所要時間が鉄道に比して長すぎないこと(前述のように明石ルートの方が距離が短いため)、京阪神の中心駅に乗り換えなしで到達できること、ゆめタウン高松や高松中央ICバスターミナルなどに無料駐車場が設置され、パークアンドライドが可能であることなどによる。
- (参考)大阪~高松・丸亀線(片道3000円程度、所要160-180分)
瀬戸大橋開通から10年続いた「東瀬戸経済圏」の地勢は、現在変質しつつある。
[編集] 関連項目
1時間圏程度の複数の都市圏による経済圏(規模は異なる)