沖縄県立首里高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沖縄県立首里高等学校(おきなわけんりつ・しゅりこうとうがっこう)は沖縄県那覇市首里にある県立高等学校。世界遺産である首里城跡へ徒歩3分の位置に立地する。海邦養秀(海に囲まれた国から優秀な人材を輩出する)の名の下に、約40,000人の卒業生を送り出し、120年以上の歴史をもつ。設立当初は琉球国学発祥の地として、「第一中学校」「一中」(いっちゅう)の名で親しまれる。生徒総数約1,300人。学科は普通科11クラス、染織デザイン科1クラス。かつては那覇高等学校と並び公立高校における最難関校であったが、ここ20年間で各地に開校した公立の新設校における難関大学進学率向上により、最難関校の座を譲ることになった。しかし、現在も普通高校において那覇学区では進学校として人気を集める。
1958年(昭和33年)、戦後初めて全国高等学校野球選手権大会の沖縄代表として出場した。これは第40回の記念大会として特別に当時の日本の46都道府県とともにアメリカ合衆国占領下にあった沖縄県の予選大会が開かれ、そこで優勝した当高校が甲子園への出場権を獲得。その年の1回戦で福井県・敦賀高等学校に0-3で敗れた。
しかし当時試合終了後に拾った甲子園の土が琉球政府の検疫の問題上持ち帰れないということで帰郷後処分された。それを知った日本航空のスチュワーデスが甲子園球場周辺の海岸の石を拾い集めてモニュメントとして寄贈し、「友愛の碑」として今日まで戦後沖縄からの初出場の記念として飾られている。
なお、テレビドラマ等では、当校をモチーフとした沖縄有数の進学校、「那覇北高校」として登場することがある。
目次 |
[編集] 沿革
- 1798年 尚温王が国学を創立
- 1879年 琉球王国解体(琉球処分)に伴い,国学は沖縄県庁の所轄となる。
- 1880年12月9日 国学を首里中学校と改称
- 1887年3月 沖縄県尋常中学校と改称し、修業年限を5年とする。
- 1891年 国学跡の校舎から現在の首里高等学校の敷地に移転。
- 1899年4月 沖縄県中学校と改称
- 1911年4月 分校が沖縄県立第二中学校として独立したのに伴い、沖縄県立第一中学校と改称。
- 1931年4月 第1学年より作業科及び音楽科、第4・5学年には公民科を課す。
- 1945年 沖縄戦により壊滅
- 1946年1月27日 糸満高等学校首里分校として再発足
- 1946年3月31日 糸満高等学校分校より独立。
- 1946年5月20日 知念高校大見武分校を合併。
- 1946年9月2日 糸満高校真和志分校を合併する。
- 1947年10月1日 旧天妃国民学校跡に那覇分校が設置許可される。
- 1948年2月 那覇分校が那覇高等学校として独立する。
- 1948年4月1日 6・3・3学制改革を実施
- 1952年10月1日 定時制首里高等学校開校
- 1958年4月1日 定時制首里高等学校を合併し,定時制課程を置く。
- 1958年4月3日 新たに一般事務課程,家庭課程,食物課程,工芸課程を設置
- 1958年8月 第40回全国高等学校野球選手権大会に沖縄代表として初出場。「甲子園の土」が話題になる。
- 1960年4月1日 那覇連合教育委員会立首里高等学校を廃し,琉球政府立首里高等学校となる。
- 1962年4月1日 工芸課程を染織科に、家庭課程を家政科に、食物課程を食物科に変更
- 1972年5月15日 本土復帰に伴い,沖縄県立首里高等学校と改称
- 1973年4月1日 織染科を染織デザイン科に変更
- 1980年3月31日 定時制課程廃科となる
- 1981年3月31日 家政科,食物科廃科となる
- 2000年 国学創建200年、沖縄県立第一中学校、首里高等学校創立120周年
[編集] 著名な卒業生
(卒業扱い含む)
- 伊波普猷(M29卒) - 学者 ※M32卒の伊波普成は実弟
- 漢那憲和(M29卒) - 衆議院議員、海軍少将
- 照屋宏(M29卒) - 那覇市長
- 金城紀光(M30卒) - 医者
- 真境名安興(M30卒) - 学者
- 饒平名紀腆(M31卒) - 医者
- 伊波普成(M32卒) - ジャーナリスト ※M29卒の伊波普猷は実兄
- 宮城鉄夫(M32卒) - 学者
- 東恩納寛惇(M33卒) - 学者
- 神山政良(M35卒) - 官吏、社会運動家
- 胡屋朝賞(M36卒) - 教育者
- 当真嗣合(M36卒) - ジャーナリスト
- 志喜屋孝信(M37卒) - 沖縄県知事、琉球大学学長
- 島袋全発(M38卒) - 学者
- 山城正忠(M38卒) - 医者、文学者
- 高安玉兎(M40卒) - 首里市長
- 屋部憲伝(M40卒) - 沖縄最初の良心的兵役拒否者
- 比嘉静観(M41卒) - 牧師
- 仲吉良光(M41卒) - 復帰の父
- 又吉康和(M41卒) - 『琉球新報』社長
- 永丘智太郎(M41卒) - 社会運動家
- 新城朝功(M44卒) - ジャーナリスト
- 亀川哲也(M44卒) - 2.26事件
- 池宮城積宝(M44卒) - 作家
- 尚琳(M44卒) - 貴族院議員、教育者、宜野湾御殿二世
- 徳田球一(M44卒) - 日本共産党創立、弁護士
- 伊礼肇(M45卒) - 衆議院議員
- 平良辰雄(M45卒) - 沖縄群島政府知事
- 島袋光裕(T2卒) - 舞踊家、書家
- 佐喜真興英(T2卒) - 判事、学者
- 当間重剛(T2卒) - 那覇市長、琉球政府行政主席 ※T7卒の当間重民は実弟
- 世礼国男(T4卒) - 教育者、音楽家
- 当間重民(T7卒) - 貴族院議員、那覇市長 ※T2卒の当間重剛は実兄
- 伊良波長幸(T8卒) - 教育者、書家
- 金城和信(T8卒) - 真和志村村長、魂魄の塔建立
- 渡名喜守定(T8卒) - 海軍大佐
- 国吉真哲(T9卒) - ジャーナリスト
- 安里積千代(T10卒) - 参議院議員
- 山里永吉(T10卒) - 作家
- 親泊朝省(T10卒) - 陸軍報道部長、敗戦後自決、大佐
- 金城朝永(T10卒) - 学者
- 大田政作(T11卒) - 琉球政府行政主席 / のち東京・順天中学へ
- 末吉安久(T11卒) - 画家
- 山之口貘(T11卒) - 詩人
- 豊平良顕(T12卒) - 『沖縄タイムス』社長 ※S28卒の豊平良一は子
- 翁長助静(T14卒) - 真和志市長 ※那覇市長、翁長雄志は三男
- 多和田真淳(T14卒) - 学者
- 仲宗根政善(T14卒) - 学者、ひめゆりの塔
- 平良良松(T15卒) - 那覇市長
- 石野径一郎(T15卒) - 作家
- 当山全信(S2卒) - 海軍潜水艦伊四八潜艦長、回天作戦中に米駆逐艦に発見され撃沈、戦死後中佐
- 金武良章(S3卒) - 舞踊家
- 高嶺朝光(S3卒) - 『沖縄タイムス』社長
- 大田昌秀(S18卒) - 沖縄県知事、参議院議員
- 尚詮(S19卒) - 桃原農園代表、松山御殿二世
- 親泊康晴(S20卒) - 那覇市長
- 尚弘子(S25卒) - 学者
- 豊平良一(S28卒) - 『沖縄タイムス』社長 ※T12卒の豊平良顕は父
- 安室二三雄(S34卒) - 画家
- 石原昌家(S36卒) - 学者
- 高良倉吉(S41卒) - 学者
- ゴリ(H2卒)- コメディアン(ガレッジセール )
- 石嶺聡子(H5卒) - 歌手
- 小林真樹子(H8卒) - RBC琉球放送アナウンサー