畝傍駅
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畝傍駅(うねびえき)は、奈良県橿原市にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)桜井線の駅。難読駅名としても知られる。
JTBの時刻表などには、当駅が橿原市の代表駅とされているが、実質的な代表駅と言えるのは、近くにある大和八木駅である。
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[編集] 駅構造
1940年2月に建築された、重厚な寺社風の木造駅舎が現在も残っている。
かつては島式・相対式2面3線のホームであったが、2005年12月現在一番南側の線路が外され(架線はある)、2面2線の構造となっている。駅本屋側が上り(桜井・奈良方面)、跨線橋を渡って反対側が下り(高田方面)である。また、停車位置が多少ずれていて、先頭車両が乗降に便利な位置あたりに停車する。
また、かつての栄華を誇るかのごとく広々とした駅前広場を持っているが、現在は多少手直しの上でほとんどのスペースを月極駐車場としている。飛鳥方面のレンタルサイクルの返却場所の一つである
[編集] 貴賓室
かつては、橿原神宮や神武天皇陵への最寄り駅だったため、参拝する皇族のために駅舎内には貴賓室が設けられた。1940年(昭和15年)には皇紀2600年大祭が営まれて昭和天皇が、1959年(昭和34年)には成婚から間もない皇太子夫妻(今上天皇・皇后)が、この貴賓室を利用した。
現在は閉鎖されて立ち入り不可能であるが、地元の提案で、内部を復元して喫茶室として利用する案があり、橿原市が2006年度(平成18年度)から整備に着手する意向である。かつて貴賓室内にあったシャンデリアは交通科学博物館、応接セットは神戸駅に保管されている。
[編集] 利用状況
橿原市の代表駅となってはいるが、殆どは近くにある近鉄橿原線の八木西口駅か近鉄大阪線の大和八木駅を、また橿原神宮へは近鉄南大阪線・吉野線・橿原線の橿原神宮前駅を利用するため、この駅の乗降客は少ない。また、国鉄時代は業務委託駅で、桜井線に運行されていた急行「紀ノ川」も通過していた。桜井線電化時に無人駅となり、出札口は板で封鎖されてしまった。その後、自動券売機が設置され、近距離切符が購入できる。
[編集] 駅周辺
- 橿原市役所
- 橿原郵便局
- 畝傍高校
- 南都銀行橿原支店
- 三菱東京UFJ銀行橿原支店
- 春日神社
- おふさ観音 厄よけ等の寺、更に東に行くと藤原京跡がある。
- 今井町……西南に徒歩10分前後。古くからの建物と住居が多い寺内町「大和の金は今井に七分」と言われるほど繁栄した。
- 八木西口駅(近鉄橿原線)……西に徒歩5分ほど。
[編集] 歴史
- 1893年(明治26年)5月23日 大阪鉄道の駅として開業。
- 1900年(明治33年)6月6日 買収により関西鉄道(かんせいてつどう)の駅となる。
- 1907年(明治40年)10月1日 国有化により官設鉄道の駅となる。
- 1923年(大正12年)12月5日 吉野鉄道(現在の近鉄吉野線の前身)の吉野口~橿原神宮前間が開業。
- 1924年(大正13年)11月1日 吉野鉄道の橿原神宮前~畝傍間開業。
- 1929年(昭和4年)8月1日 吉野鉄道が大阪電気軌道に買収される。
- 1941年(昭和16年)3月15日 大阪電気軌道が参宮急行電鉄と合併、関西急行鉄道となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道となる。
- 1945年(昭和20年)6月1日 近鉄橿原神宮前~畝傍間旅客営業休止。
- 1952年(昭和27年)4月1日 近鉄橿原神宮前~畝傍間廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。