豊橋鉄道田口線
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田口線(たぐちせん)は、愛知県新城市(廃線当時は南設楽郡鳳来町)の本長篠駅(開業時は鳳来寺口駅)から北設楽郡設楽町の三河田口駅までを結んでいた豊橋鉄道の鉄道路線である。
木材輸送を目的として1929年(昭和4年)に一部区間が、1932年(昭和7年)に全線が開業し、1968年(昭和43年)に全線が廃止された。
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[編集] 路線データ
1965年8月時点
[編集] 運行状況
- 1934年12月当時
- 運行本数:鳳来寺口~三河田口間10往復
- 全区間所要:45~47分
- 1965年9月当時
- 運行本数:本長篠~三河田口間15往復
- 全区間所要:43~49分
- 1967年9月当時
- 運行本数:本長篠~清崎間15往復
- 全区間所要:36~43分
その他鳳来寺参拝客の便をはかり、国鉄飯田線との臨時直通列車も設定されたことがあった。中には、名鉄線・近鉄名古屋線から名鉄や近鉄の車両が団体専用列車として、1954年(昭和29年)に廃止された小坂井支線を通って飯田線・田口鉄道線に乗り入れるといった運用も、昭和20年代後半に存在した。
また、愛知県立鳳来寺高等学校への通学者のための本長篠~鳳来寺間の区間便も存在した。
[編集] 沿革
- 1929年(昭和4年)5月22日 田口鉄道によって鳳来寺口(後、本長篠)~三河海老間開業。
- 1930年(昭和5年)4月13日 三河大草駅開業。
- 1930年(昭和5年)12月10日 三河海老~清崎間開業。
- 1932年(昭和7年)12月22日 清崎~三河田口間開業。
- 1936年(昭和11年) 田口鉄道、豊川鉄道・鳳来寺鉄道と共に名古屋鉄道傘下に入る。
- 1943年(昭和18年)8月1日 豊川鉄道・鳳来寺鉄道の保有路線が国有化されて飯田線となる。鳳来寺口駅を本長篠駅に改称。
- 1956年(昭和31年)10月1日 田口鉄道、同じ名古屋鉄道傘下の豊橋鉄道に合併され、同社の田口線となる。
- 1963年(昭和38年)3月25日 国鉄飯田線豊橋駅への直通運転廃止。
- 1965年(昭和40年)9月17日 清崎~三河田口間が水害で不通に。翌年から休止。
- 1968年(昭和43年)8月29日 水害により、三河海老~清崎間休止。
- 1968年(昭和43年)9月1日 本長篠~三河田口間が全廃。
[編集] 駅一覧
駅名は廃止時点のもの
本長篠駅 - 三河大草駅 - 鳳来寺(ほうらいじ)駅 - 玖老勢(くろぜ)駅 - 三河大石駅 - 三河海老駅 - 滝上駅 - 田峰(だみね)駅 - 長原前(ながらまえ)駅 - 清崎(きよさき)駅 - 鮎淵(あゆぶち)駅(臨時駅) - 三河田口駅
[編集] 接続路線
[編集] 特徴
- 段戸山系の御用林を運搬する目的から、設立時は宮内省(今の宮内庁だが、直接の後身は林野庁)の出資も得ていた。
- 終点の三河田口駅は田口の市街地から4kmも離れた寒狭川沿いに設置された。これは、清崎駅から市街地へは急勾配があることと、木材運搬の利便から株主の宮内省が寒狭川沿いの設置を主張したからである。後年木材輸送が減少した後は、これが旅客集客へマイナス要因となった。
- 田口鉄道は豊川鉄道・鳳来寺鉄道とずっと系列で車輌も共通運用されたが、1943年(昭和18年)8月1日 豊川鉄道・鳳来寺鉄道の保有路線の国有化には同調されなかった。これは鉄道敷設法別表で計画された遠美線(大井~稲武~浦川~三河大野~遠江二俣)の経由地に田口の名前がなく、敷設法の先行建設路線とみなされなかったためと思われる。
- しかし、合併後も、豊川鉄道・鳳来寺鉄道と一体運営がなされていたとの歴史的経緯からしばらく国鉄による運転管理が行われている。なお、同様な例に沙流鉄道がある。
[編集] 廃線跡
- 本長篠~三河大草間を除いて、廃線跡は比較的多く残り、通学路等地元住民の生活路となっている。
- 旧三河田口駅舎も朽ち果てているものの残存(設楽町営バス田尻バス停下車)。しかし、近傍で設楽ダム建設が計画されており、将来もそのまま残存できるか予断を許さない。
- 設楽町の奥三河郷土館には田口線で活躍した電車が静態保存されている。