WRESTLE-1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
WRESTLE-1(レッスル・ワン)は、2002年から数回に分けて行われたプロレスの興行。
K-1が主催していること以外は、2002年版と2005年版とで内容は全く変わっている。
目次 |
[編集] ファンタジーファイト WRESTLE-1
[編集] 概要
2002年11月17日、K-1を当時主催していた株式会社ケイ・ワンの石井和義と全日本プロレス社長の武藤敬司が手を組み、プロレス版Dynamite!のふれこみで開催。会場は横浜アリーナ。キャッチコピーはボブ・サップのプロレスエンターテインメントショー。K-1と協力関係にあるフジテレビが中継権を獲得し、平日19時から一時間というプライムタイムで放送した。当時は既にプロレス中継がテレビ朝日の特番も含め、ゴールデンタイム・プライムタイムから撤退しており、久々のゴールデンでのプロレス中継となった。
当時はハッスルも無く、エンターテイメント性を全面的に押し出したプロレススタイルはまだ主流ではなかったため、業界としても異端であった。だが、佐竹雅昭が「Sata...yarn」と言うリングネームで登場しアブドーラ・ザ・ブッチャーと戦ったり、小島聡がコーナー最上段に登った時の決め台詞「いっちゃうぞバカヤロー」が彼の台詞と同時に電光掲示板に映し出されるなどの事象が批判の対象にもなった。また、フジテレビの中継内で、実況解説含めやたらテロップが多用されたことにも批判的な意見が多く出された。
第2弾は2003年1月19日に行われ、会場も一気に東京ドームにジャンプアップした。鈴木宗男の秘書として当時世間を騒がせていたジョン・ムウェテ・ムルアカが登場したり、アーネスト・ホーストが「アーネスト・ビースト」なるリングネームでサップとメーンエベントで戦い、サップを破るなどの波乱が起きる。全日本側は「以後も断続的に、年6回行う予定」と発表したものの、主催者発表観客動員数は45371人であったのに対し、会場は半分近く空席であったなど「東京ドームは時期尚早」の声も生まれた。視聴率も2回の平均で10%を超えておらず、プライムタイムの数字としては失格であった。
第3弾を4月19日、さいたまスーパーアリーナで開催することになっていたものの、同年1月に石井が脱税容疑で逮捕されていたこと、第2弾の失敗で赤字が膨らみ、K-1選手のファイトマネーの高騰などで採算が取れないこと、ファンの支持が得られなかったことなどの理由で中止となった。
[編集] WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005
[編集] 立ち上げまでの経緯
2004年末、新日本プロレス執行役員・上井文彦が新日本を退社し、個人事務所・ビッグマウスを設立。上井はかつてから懇意にしていたK-1を主催するFEGの代表・谷川貞治と手を組み、かつてK-1が行っていたWRESTLE-1の名称を使い、ストロングスタイルのトーナメントを行うことを発表。同時にビッグマウスのスーパーバイザーとして、長らくプロレス界を離れていた前田日明が就任する。
当初は2005年4月に横浜アリーナで開催することを発表していた。「絶対に地上波中継を付けたい」という上井の意向から、当時WRESTLE-1と同時進行で、ビッグマウスとFEGの協賛となっていたHERO'S(後にビッグマウスは撤退し、FEG単独興行となった。前田日明だけはスーパーバイザーとして残っている)を中継していたTBSなどと掛け合うも不調に終わったことから延期となった。
[編集] 開催
プロレス界のナンバーワンを決めるトーナメントというタレコミ通り、上井はメジャー3団体を始め多くの団体と交渉。新日本からは参戦選手が出なかったものの、プロレスリング・ノアから秋山準、全日本から武藤敬司や諏訪間幸平、ジャイアント・バーナード(当時)、そして天龍源一郎、佐々木健介、長州力らがトーナメントに出場。更にミル・マスカラス、テリー・ファンクという往年の名レスラーがスペシャルマッチ(しかも第1試合。この試合を観戦した前田日明は「流石。老獪な動きで会場を温めさせていた。素晴らしい」と当時受け持っていたコラムで語っている)に参戦が決まり、8月4日、両国国技館で開催する。尚、テレビ局との交渉は不調に終わり、結局スカイパーフェクTVのPPVでの中継となった(開催1ヶ月後から、USENが展開するインターネットテレビ・GyaOで配信された。秋山の試合だけは日本テレビのプロレスノア中継で放送された)。10500人を動員し、結果的には成功であった。諏訪間、天龍源一郎、サップ、佐々木健介、秋山、グレート・ムタが2回戦に進出する(ジャマール、鈴木みのるはシード選手。天龍は進出を辞退)。
第2弾は10月2日、代々木第一体育館で行われた。主催者発表の観客動員数は8012人と、国技館よりもキャパシティの大きな会場であった、カード的にもインパクトに欠けたため、満員には出来なかった。スペシャルマッチにはドリー・ファンク・ジュニア、ジャイアント・キマラ二世、アブドーラ・ザ・ブッチャーが出場。谷川、サップがノア武道館大会を観戦し三沢光晴と対面、曙もノア事務所を訪ねて三沢と面会するなど、ノアに全面協力を依頼。その結果、三沢が小川良成とタッグを組み、曙・スコーピオ組と対戦するスペシャルマッチが実現。その他、秋山がサップに敗れるなどの波乱が起きた。
尚、ノアが全面協力する代償として、FEG側からサップが、ノア武道館大会で小橋建太とシングルマッチを行うことになっていたと言われている。だが、サップが谷川からの依頼を断り、更には現在まで続くゴタゴタが起きた為、結局曙が参戦した。
[編集] 延期・中止
第3弾が決勝トーナメントとして12月に横浜アリーナで行われることは既に第2弾の時点で決まっていた。だが、時同じくして全日本プロレスの渉外担当役員二名が全日本を退社、キングスロードを設立。また新日本もユークスが筆頭株主となるなど、各団体の体制・事情が目まぐるしく変化した。このことから、WRESTLE-1の窓口が無くなり、谷川も「ノアさん以外に話せる状態にない」とコメントを発表した。また、同年8月に旗揚げしたビッグマウスの別ジャンル興行・ビッグマウスラウドに上井が一生懸命になっていると谷川は話し、事実上の中止を示した。これに対し上井は「今の状態では皆様にお見せするプロレスが出来ないが、延期しても絶対にやります。絶対に決着は付けます」と話したが、「絶対に決着は付けます」という言葉は、新日本時代の「アルティメットロワイヤル」、その後もビッグマウスに於ける前田日明の離脱、村上和成らビッグマウスラウド陣との確執の際にも聞かれており、その通り現在に至るまで行われていない。
尚、上井はビッグマウスラウドからの退団や自身の興行の延期の際、「これはWRESTLE-1とは違うし、絶対にやらなきゃいけない」と記者に話すことが多く、WRESTLE-1を軽視していると批判されている。
[編集] 関連項目
カテゴリ: K-1 | 全日本プロレス | プロレスの興行 | 格闘技関連のスタブ項目