1956年の日本シリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1956年の日本シリーズは、2年連続セ・リーグを制した、水原茂監督率いる読売ジャイアンツと2年ぶりパ・リーグを制した三原脩監督率いる西鉄ライオンズとの対決となり、10月に後楽園球場と平和台球場で行われた。
目次 |
[編集] 戦評
日本シリーズ前、水原監督と三原監督は出身が香川県と同郷である事、中等学校(現・高等学校)、大学、プロ野球を通じ、長い間お互いライバル関係であった事から、メディアは魔術師・三原と勝負師・水原の2人の戦いは剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎を例えた『巌流島の決闘』と称された。 水原監督と三原脩監督の宿命でもある死闘に、当時の日本中・プロ野球ファンは熱狂を受け、野球ファンを増やすきっかけともなった。
[編集] 第1戦
後楽園球場で迎えた第1戦、巨人の先発は大友工、西鉄の先発はベテラン川崎徳次の先発だった。1回裏、巨人打線が西鉄の先発、川崎の不安定な立ち上がりを攻めて2点先制し、先発川崎をノックアウトした。2回裏西鉄は、リリーフの西村貞朗が登板したが、連打で2点奪って巨人が主導権を握った。対する西鉄は巨人の先発大友の前に8奪三振と打線が沈黙してしまうことになってしまい、4-0と巨人が初戦を制した。
- 西鉄三原監督は、先発・川崎を1回で下ろし、シーズン中中軸となった若手投手、西村、島原、稲尾の三人をリレーさせるという奇策を立てている。三原によれば、選手を日本シリーズの雰囲気に慣れさせることと、誰がどのバッターと通用するかを見定めたいという作戦であったが、他に三人の誰かを先発させることで三投手間の意識にずれが発生することを避ける意味合いもあった(稲尾21勝、西村21勝、島原25勝)。試合後のメモには「稲尾、島原○。西村?」
- 試合終了後、三原は偶数戦必勝主義を唱え、この負けはあらかじめ予定していたことであると記者を煙に巻いた。その裏には選手の動揺を防ぐ含みもあったと思われるが、これが後の試合で西鉄に流れを呼んだともいえる。
[編集] 第2戦
第2戦、巨人の先発は別所毅彦、西鉄の先発はルーキーの稲尾和久だった。別所は1955年の日本シリーズで最優秀選手を受賞し、稲尾は入団1年目から61試合に登板し、驚異の最優秀防御率1.06、新人王を獲得し、世間からは好カードと呼ばれていた。しかし、この試合では投手戦と予想されたが、意外な結末が待っていた。試合は1回裏、巨人が稲尾の立ち上がりを攻め立て1点を奪ったが、4回表、関口清治が巨人の先発・別所からレフトへの3ランホームランで逆転。しかし、その5回裏別所がレフトへソロホームランを放って3-2と1点差に迫った。しかし、直後の6回表、中西太、豊田泰光、大下弘の中軸の連打と、代打・中谷信夫の連打で一気に2点突き放す。その裏、川上哲治のソロホームランが飛び出す。8回表には中西のソロホームランで6-3と突き放し、西鉄が1勝1敗のタイになる。対する巨人の別所は、5回5失点とまさかの乱調だったが、西鉄の稲尾は得意の球種であるシュートとスライダーを駆使し、同じ投球フォームから直球・変化球を投げ分ける投球フォームが功を奏した。
[編集] 第3戦
西鉄の本拠地、平和台で始まった第3戦。西鉄の先発は西村貞朗、巨人の先発は堀内庄だった。巨人の先発・堀内は防御率1.46を残した投手だった。2回表、巨人が第2戦のお返しとばかりに広岡達朗の3ランホームランを含む4点を奪って先制し、西村を降板させた。4点を追う西鉄は、中西の犠牲フライで1点取った。8回裏には、別所が6回途中から投げていたが、8回に西鉄の猛攻を浴びてしまう羽目になる。8回裏、ランナーを置いて豊田の2ランホームランで一点差に迫って、中西には四球、大下、稲尾のヒットで4点を奪って5-4と試合をひっくり返した。逆転後別所は乱調で降板され、大友が西鉄の後続を抑えたものの、巨人には別所が敗戦、大乱調と逆転負けが重なってしまった。対する西鉄は、8回から稲尾がリリーフとして登板し勝利投手となって2勝目を挙げた。また玉造陽二が1試合を通じて、3盗塁を記録するなどの樹立を立てた事が勝利につながった。
[編集] 第4戦
続く第4戦は、巨人の先発は、第1戦で登板し勝利投手になった大友と、西鉄は島原幸雄が初登板になった。島原は、打撃投手から転身した変り種で、手術後の左足首に鍼を入れながらの登板で、手術時の接合箇所がずれていながら、無理を押しての登板だった。結果は3回まで2安打と打たれながら、腰の回転を利かせた小さな横手投げから、右打者の手元で沈むシンカー、胸元をえぐる鋭いシュート、大きなカーブと言った、抜群のキレのある変化球が低めに決まり、巨人打線を抑え、間合いが短いうえ四球も少ないことが功を奏し、島原が3番・宮本敏雄、4番・川上を連続三振した事は衝撃だった。一方大友も、西鉄打線を抑えていた。試合が動いたのは5回裏、日比野武、稲尾、玉造、河野昭修の連打で2点を奪って先発・大友を降板させた。4回裏から島原の後を継いだ稲尾は、得意の球種であるシュートとスライダーで巨人打線を抑え続けていた。8回裏には中西が巨人の2番手・中尾から2ランホームランで2点を追加。4-0とし、西鉄が3連勝で日本一へ王手をかけた。勝因は三原監督が、シーズン中ベンチの隅で小さくなっていた島原を起用した事が大きかった。
[編集] 島原に纏わるエピソード
島原は背番号18のエースナンバーをつけながら、5年間もの下積み生活があった。松山商業高校を中退後、1951年に西鉄の重松通雄二軍監督を通じてテスト入団した。初めは本格派のオーバースローで、球は速かったがノーコンで、あとから入団した河村久文、西村貞朗らにどんどん追い抜かれ、一軍で起用されても『オレ、ダメなんだな』と劣等感に際悩まされた。
さらに大阪にいないと試合ができなかったので、当時西鉄のファーム宿舎は堺市浜寺に置かれ、土蔵のような建物で島原はそこで暮らしていた。
1953年4勝6敗と負け越していたが、高橋ユニオンズに移籍した武末悉昌のエースナンバーを貰うと、島原は『恥ずかしい』を連発し、内気になっていた。これに見兼ねた石本秀一コーチは、サイドスローにしてみたらどうだと助言を送ったが、相変わらず芽が出なかった。
5年目の1955年暮れ9勝目を挙げたが、衝撃的な噂が流れた。球団がノンプロ日鉄二瀬の強打者・寺田陽介を獲得することで、島原を譲渡するというノンプロとの交換トレードが流れた。この屈辱的なニュースが弱気な男を奮起させたことが日本シリーズの大舞台で大きく成長させた。
1955年のオフ、郷里に帰ると社会人バスケットチームのコーチをしていた実兄に頼み込んで一緒に練習し走りに走った。1956年のキャンプに入った時には、もうすっかり足腰が出来上がっていたことで、初日からビュンビュンと投げる島原に三原監督が『オッ、スゴイじゃないか』と目を留めた。これが切欠でオープン戦からどしどし起用された。
公式戦に入ってから調子は上昇し、4月中に9勝とそれまで最高記録だった5年分の勝ち星を一月でクリア。 ただし相手は東映フライヤーズ、大映スターズ、高橋ユニオンズの下位球団ばかりだったが、島原に自信をつけさせるための三原の計算だった。
1956年5月2日、大阪球場での対南海ホークス戦に先発し敗戦投手になったが『この打線に完投できた。オレも一人前の投手になった』と自信を持った。本来なかなか器用な選手で、相手・球種によって腕の上げ方を変えると『一見バラバラな変則的フォームで打ちづらい』と打席に立つ打者たちは口々に言った。
前半戦まで独走の16勝を記録し、オールスターにも選ばれて第1戦に先発すると勝利投手となった。ただこの試合を通じ、三塁へのカバーに走った時に足腰をひねってしまった。
チームメイトの中西太が『ムリするなよ』と声をかけると『いいですよ。ボクは今まで月給泥棒。恩返しをさせてもらっているのだから、1年で潰れても本望です』と中西に言った逸話がある。
その後、当時のプロ野球新記録で空前の数字と言われるほどの公式戦の半数の74試合に登板。特に夏場にマウンドを守りきることと、西鉄が僅差でペナントを獲得したのも島原の力が大きく、25勝11敗と言う島原からは信じられない成績でこの年のペナントレースを終える事が出来たのである。
[編集] 第5戦
西鉄が3連勝で日本一へ王手をかけた第5戦、巨人の先発は堀内と西鉄は河村だった。西鉄は、2回裏に関口のソロで先制、3回裏にも連打で1点と2点になるが、5回表に巨人打線が爆発する。平井三郎、広岡の連打をきっかけに、西鉄の先発・河村から2点奪った。2失点の河村を降板させ、稲尾を登板させたが、巨人打線が止まらず、3失点を失う誤算だった。
ここで巨人は5-2と逆転。しかし6回裏に、関口のソロホームランがきっかけで、3点を奪って5-5の同点。7回裏、中西、豊田、大下の中軸の連打で2点を奪って7-5と逆転。しかし8回表、西鉄の投手・西村を登板させたことがアダになる。
2点を追いかける8回、5連打とエラーで一気に5点を奪って10-7の逆転し、9回に2点を奪って12-7と巨人が一気に 逆転。後がない巨人にとって終盤の7点が大きかった試合で、試合は後楽園球場へと持ち越された。西鉄は稲尾を中継ぎとして登板させたが、3失点の乱調が痛かった。
[編集] 第6戦
後楽園球場へ戻った第6戦。巨人の先発は、まだ1勝もしていない別所がマウンドへ上がった。第6戦前日、水原監督は予告先発で、2敗している別所を登板させたことは、当時世間に衝撃を与えるほどだった。一方西鉄は、2勝している稲尾がマウンドへ上がった。先制したのは1回表、西鉄の攻撃だった。1回、立ち上がり不安定の別所を攻め挙げて、大下、関口の2ベース、仰木彬のヒットに続き、4点を奪った。これが切欠で別所はわずか10球で、4失点と降板の大乱調で、堀内庄が後続を断った。
3回にも、関口がソロホームランで1点奪って5-0とする。一方の巨人は、先発・稲尾の前に凡退が続く。6回裏、 岩本尭がソロホームランで1点を返したが反撃もここまで。4勝2敗で西鉄が初めて日本一に輝いた。稲尾は安定したピッチングで、4安打1失点と好投し4安打シャットアウト勝ちの完投勝利で貢献。この年から西鉄黄金時代幕開けとなろうとはこの時誰もが思って居なかった。 対する巨人は別所の乱調、若手である西鉄の選手と比較すると年齢30代後半と世代交代と言われる事もあった。
1956年の敢闘賞は優勝した西鉄から選ばれ、MVPは西鉄の豊田泰光と敢闘賞は稲尾和久だった。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
10月10日 後楽園球場 入場者数 24,632人
西鉄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | X | 4 |
(西) | ●川崎(1敗)、西村、島原、稲尾 - 日比野、和田、久保山 | (巨) | ○大友(1勝) - 藤尾 |
[編集] 第2戦
10月11日 後楽園球場 入場者数 19108人
西鉄 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 |
(西) | 稲尾、○島原(1勝)- 日比野、和田、久保山 |
(巨) | ●別所(1敗)、堀内、安原、中尾 - 藤尾 |
本塁打 | |
(西) | 関口1号2ラン(4回別所)、中西1号ソロ(8回安原) |
(巨) | 別所1号ソロ(5回稲尾)、川上ソロ1号(6回島原) |
[編集] 第3戦
10月13日 平和台球場 入場者数:23528人
巨人 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西鉄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | X | 5 |
(巨) | 堀内、●別所(2敗)、大友 - 広田、藤尾 |
(西) | 西村、河村、○稲尾(1勝)- 和田、日比野 |
本塁打 | |
(巨) | 広岡1号3ラン(2回西村) |
(西) | 豊田1号2ラン(8回別所) |
[編集] 第4戦
10月14日 平和台球場 入場者数:24459人
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西鉄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | X | 4 |
(西) | 島原、○稲尾(2勝)- 日比野、和田 |
(巨) | ●大友(1勝1敗)、中尾 - 藤尾 |
本塁打 | |
(西) | 中西2号2ラン(8回中尾) |
[編集] 第5戦
10月15日 平和台球場 入場者数:19042人
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 5 | 2 | 12 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西鉄 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | 7 |
(巨) | 堀内、別所、大友、中尾、○義原(1勝)- 藤尾 |
(西) | 河村 、稲尾、島原、●西村(1敗)、川崎 - 日比野、和田、久保山、田辺 |
本塁打 | |
(西) | 関口2号ソロ(2回堀内) 関口3号ソロ(6回別所) |
[編集] 第6戦
10月17日 後楽園球場 入場者数:22695人
西鉄 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 |
(西) | ○稲尾(3勝) - 日比野 |
(巨) | ●別所(3敗)、堀内、義原、大友 - 藤尾 |
本塁打 | |
(西) | 関口4号ソロ(3回堀内) |
(巨) | 岩本1号ソロ(6回稲尾) |
[編集] テレビ・ラジオ中継
(第7戦の放送予定については書きかけです。)
[編集] テレビ中継
- 第1戦:10月10日
- 第2戦:10月11日
- 第3戦:10月13日
- 第4戦:10月14日
- 第5戦:10月15日
- 第6戦:10月17日
[編集] ラジオ中継
- 第1戦:10月10日
- 第2戦:10月11日
- 第3戦:10月13日
- 第4戦:10月14日
- 第5戦:10月15日
- 第6戦:10月17日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
プロ野球日本選手権シリーズ 1950 | 1951 | 1952 | 1953 | 1954 | 1955 | 1956 | 1957 | 1958 | 1959 |