2002年の日本シリーズ
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[編集] 概要
2002年の日本シリーズは、原辰徳監督率いる読売ジャイアンツ(以下、巨人)と伊原春樹監督率いる西武ライオンズ(以下、西武)の対決となった。両者とも新人監督でありながら、巨人は全球団に勝ち越しての86勝、西武は90勝で16.5ゲーム差をつけて独走優勝と、圧倒的な力でシーズンを制した戦いぶりが注目され、好ゲームが期待されていた。別名「GL決戦」・「ハラハラ対決(原と伊原を掛け合わせた)」
巨人対西武(西鉄時代を含めて)の日本シリーズは56年・57年・58年・63年・83年・87年・90年・94年と過去8回あり、巨人が2勝6敗と西武(西鉄時代を含めて)が6勝2敗と西武がリードしていた。黄金時代を作ったチーム同士の、21世紀に入っての初対決である。
[編集] 第1戦
東京ドームでシリーズが開幕した。巨人は正攻法でリーグ最多勝のエース上原浩治を立てる。一方西武は、東京ドームでは指名打者が使えないため、故障明けの松坂大輔を打順7番で起用。松坂の実力は疑いなく、打撃も野手並みとの評判ではあったが、結果的にこの奇策は裏目に出る。ただし、松坂を7番で起用した理由は、伊東・高木浩はシーズンの打率は2割台であったが、得点圏打率は高かったため、投手が走者をバントで送って、チャンスに強い二人に回して点を取ろうと考えたからであった。
上原は松井稼頭央に初回第1球目を安打されるなど不安定な立ち上がり。しかし直後の小関竜也のバントを阿部慎之助が二塁封殺、二死一・二塁から和田一浩が放ったセンター前へ抜けようかという打球を仁志敏久が好ポジショニングで処理し無得点に抑えた。2回も無死二塁のピンチを背負うが、強攻策の松坂を浅いライトフライに打ち取ってしのぎ、3回には松井、小関、宮地から三者連続三振を奪い完全に立ち直りを見せる。
松坂は威力のある直球を武器に、初回を三者凡退に仕留める完璧な滑り出し。しかし3回、2アウトを取るまで一人の走者も出していなかったが、9番の上原に安打を許すと、次打者の清水隆行に球威の落ちたセットポジションからの直球を右越え本塁打され、2点を先行された。さらにこの回、二死二塁となって迎えた清原和博に、145km/hの直球を左翼へ運ばれる。看板直撃の特大2ランホームラン。松坂をノックアウトし、シリーズ全体の行方すら決定付ける象徴的な一発だった。
4点のリードをもらった上原は快調な投球を続け、外角一杯を突く直球とフォークボールでシリーズ記録(1999年、工藤公康(ダイエー・当時)が対中日第1戦でマークした13奪三振)にあと1つと迫る12三振を奪い1失点完投勝利。その失点も西武の主砲アレックス・カブレラの得意コースを探り、半ば意図的に打たれたソロホームランだという。4-1という得点差以上に、巨人の完勝という印象の強い初戦であった。
ちなみに巨人がシリーズ第1戦を勝利したのは、1987年(対西武。スコアは7対3)以来15年ぶり。同時に第1戦の連敗を4(1989、1990、1994、2000年)で止めた。
[編集] 第2戦
巨人は15年ぶりに最優秀防御率のタイトルを獲得し見事な復活を遂げた桑田真澄、西武は右足を痛めながら8勝を上げた石井貴が先発。原監督は勝利にこだわる試合としてこの年抜群の安定感があり、また打撃センスも素晴らしい桑田を立て、伊原監督は第1戦完敗の流れを断ち切る役目をベテランの石井に託した。
1回表、桑田はカブレラに死球を与えるなど二死満塁のピンチを招くが、けん制の間に本塁に突入した小関竜也が際どいタッチプレーで憤死し失点を免れた。その裏には巨人が松井秀喜の適時二塁打で先制する。
試合が大きく動いたのは3回裏、巨人の攻撃。先頭の桑田がセンター前に安打を放ち出塁すると、4番松井まで5連打を放ち石井を火だるまにする。替わった許銘傑も勢いを止められず、この回巨人は打者一巡。6点を追加して早々と試合を決めた。
桑田は直球を安打されて走者を背負うものの、要所では見事な制球力で変化球を外角に集め、内野ゴロに仕留めて失点を防ぐ。7回1失点と十分に仕事を果たして、リリーフ左腕陣にマウンドを譲った。替わった岡島秀樹からカブレラが2ランを放つが時既に遅く、9-4で巨人が危なげなく勝利を収め、球団としては1972年以来30年ぶりとなるシリーズ連勝スタートを飾った。
[編集] 第3戦
舞台を西武ドームに移しての第3戦。巨人はかつてこの西武球場を本拠地として大活躍した「優勝請負人」工藤公康が満を持して登場。西武は二桁勝利の張誌家で反撃を期する。
初回、工藤が小関の打球を右太ももに受けるアクシデントに襲われる。すぐにマウンドに戻ったものの、一死一・三塁から好調のカブレラに二塁打を打たれ、このシリーズ初めて西武に先制を許した。しかし直後の2回裏、DHで出場の清原がカウント0-3からのストレートを左翼席に叩き込み同点。3回裏には清水、松井の適時打で2点を勝ち越し、巨人はあっという間に流れを取り戻した。
1-3で迎えた4回裏、無死一・二塁とされたところで伊原監督は張誌家を諦め、三井浩二を投入。三井は無死満塁から二死までこぎつけるものの、連続猛打賞で絶好調の二岡智宏になんと満塁ホームランを浴び1-7。2戦目に続き、早くも序盤で勝負は決した。
工藤は5,6,7回を3人で片付けるなど西武打線を寄せ付けず、8回を2失点で抑え貫禄を見せ付けた。巨人はその後も加点し二桁10得点。圧倒的な強さで3連勝(初戦からの3連勝は球団としては1970年以来)を飾った。
[編集] 第4戦
一気に決着をつけたい巨人は、2年前のシリーズでルーキー初登板完封勝利を挙げている高橋尚成が先発。もう後がない西武は、チーム最多勝の西口文也に全てを賭ける。
西口は2回、斉藤宜之の2ランで先制を許した。しかしその後は5回まで走者を出すものの粘りの投球で得点を許さず、パ・リーグ王者の意地を見せる。一方の高橋は序盤3回を完全に抑える見事な立ち上がり。
5回裏、西武が反撃に出る。トム・エバンスの2ランで同点とすると、その後も失策と四球で二死満塁の好機を作った。あと一本が出ず同点どまりではあったが、初めて西武が流れを引き戻したかに見えた。
伊原監督はここが勝負所と察し、ここまで2安打に抑えていた西口に代えて松坂を投入するが、これが大誤算となる。松坂は2死球を与え、二死一・二塁から斉藤、後藤に連続適時打を浴びて3点を献上。7回にも清原に適時打を打たれ計4失点となり、失意のままマウンドを降りた。
敗色濃厚となり焦る西武は、高橋の前に6,7,8回と三者凡退。なす術もなく最終回を迎えた。巨人は4点差ながらここまで圧勝のため出番がなかった守護神・河原純一を最終回のマウンドに送る。河原はカブレラ、和田を抑えて、最後はエバンスを三振に仕留め、4連勝の最後を飾る胴上げ投手となった。
4連勝完全優勝は1990年の同じ組み合わせで西武が達成して以来12年ぶり通算4回目(引き分けを挟んだものも入れると6回目)。日本一経験数が12球団一の巨人だが、初めてこの快挙を達成した。1990年、巨人は西武に4連敗しており、その時の4試合の合計得失点差が西武28-8巨人で20点差であった。この2002年のシリーズでは巨人29-9西武と20点差をつけ返し、12年越しのリベンジを果たしたのである。
[編集] 戦評
実力伯仲の好ゲームとの予想を完全に覆し、巨人が西武を寄せ付けず4連勝という一方的な展開になった。
巨人は先発4人が7回以降まで好投し、上原、桑田は打席でも安打を放ち大量点のきっかけを作る大活躍。捕手の阿部も相手打者の情報を活かした大胆なリードで要所を抑えた。打線は印象的な本塁打で流れを引き寄せた清原、19打数9安打に満塁弾も放ったMVP二岡らの活躍が目立ったが、清水、松井も着実に安打を重ねて西武投手陣に圧力をかけ、斉藤、後藤ら脇を固める面々も活躍した。選手個々の力が充実していた上に、各選手を信じその力を存分に発揮させた原監督の正攻法が勝因とされた。
一方の西武は初戦の松坂7番先発でつまずき、以後は打つ手が全て裏目に出た。勝ち頭の西口が東京ドームを苦手としているという事情はあったが、松坂は4戦目での救援にも失敗して屈辱的な敗戦の戦犯とされ、この後しばらく「大舞台に弱い」「逆シリーズ男」と酷評されることになる。打線はカブレラが1,2戦目で連続本塁打するなど気を吐いたが、5番和田が15打数無安打の大ブレーキ。切り込み隊長の松井も16打数3安打と抑えられた。勝てない焦りからか守備の乱れも続発。シリーズ対策を考えすぎ、シーズン中の安定した戦い方を自ら見失ってしまった采配の迷いも敗因とされる。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
10月26日 東京ドーム 開始18:02(2時間55分) 入場者数45107
西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | × | 4 |
(西)●松坂(1敗)、三井、後藤、土肥-伊東、中嶋聡
(巨)○上原(1勝)-阿部
本塁打
(西)カブレラ1号ソロ(9回上原)
(巨)清水1号2ラン(3回松坂)、清原1号2ラン(3回松坂)
[審判]セ友寄(球)パ山本 セ眞鍋 パ山村(塁)セ森 パ東(外)
[編集] 第2戦
10月27日 東京ドーム 開始18:01(3時間16分) 入場者数45223
西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | 4 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | × | 9 |
(西)●石井(1敗)、許、三井、森-伊東、野田
(巨)○桑田(1勝)、岡島、前田-阿部
本塁打
(西)カブレラ2号2ラン(8回岡島)
[審判]パ東(球)セ森 パ山本 セ眞鍋(塁)パ中村 セ笠原(外)
[編集] 第3戦
10月29日 西武ドーム 開始18:22(3時間15分) 入場者数30933
巨人 | 0 | 1 | 2 | 4 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 10 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西武 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 |
(巨)○工藤(1勝)、條辺-阿部
(西)●張(1敗)、三井、許、土肥、潮崎-伊東、中嶋聡
本塁打
(巨)清原2号ソロ(2回張)、二岡1号満塁(4回三井)、高橋由1号2ラン(8回土肥)
(西)松井1号ソロ(8回工藤)
[審判]セ笠原(球)パ中村 セ森 パ山本(塁)セ友寄 パ山村(外)
[編集] 第4戦
10月30日 西武ドーム 開始18:21(3時間12分) 入場者数31072
巨人 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
(巨)○高橋尚(1勝)、河原-阿部
(西)西口、●松坂(2敗)、森、豊田-中嶋聡、野田
本塁打
(巨)斉藤1号2ラン(2回西口)
(西)エバンス1号2ラン(5回高橋尚)
[審判]パ山村(球)セ友寄 パ中村 セ森(塁)パ東 セ眞鍋(外)
- 最終打者はトム・エバンス。三振であった。
[編集] 表彰選手
- 最高殊勲選手:二岡智宏(巨人)
- 敢闘選手:アレックス・カブレラ(西武)
- 優秀選手:清原和博(巨人)、上原浩治(巨人)、斉藤宜之(巨人)
[編集] エピソード
- 1990年は西武の4連勝で決着し、巨人はストレート負けした。更に1957年にも西武の前身西鉄に1分4敗と1勝も出来ずに終わった(その翌年には同じく西鉄と対戦、巨人が3連勝して王手を掛け昨年のリベンジを果たすかと思われたが、翌日の試合が雨天中止となり、その後の流れががらりと変わり西鉄に4連勝を許し逆転負けする)。前者から12年後、後者から45年後にリベンジをするとは誰も思わなかっただろう。なお巨人にとってシリーズの4戦4勝は史上初であった。
- 日本シリーズの無敗勝利(引き分け挟む)は以下の6チーム(同一チーム=西鉄→西武の2回達成を含めると7回、4戦4連勝の完全制覇は5チーム)が達成。
- 西武は5番の和田一浩が15打数ノーヒット。前年度のパ・リーグ優勝チーム大阪近鉄バファローズも日本シリーズで5番打者(第3戦まで礒部公一、第4戦北川博敏、第5戦川口憲史)が合計で18打数ノーヒットに抑えられており、パ・リーグ代表チームの5番打者からは21世紀に入ってから1本もヒットが出ていない(2003年第1戦に福岡ダイエーホークス・城島健司が第2打席で本塁打を放ち、この記録は34打数でストップした)。なお、和田、礒部、1999年の日本シリーズで不振に終わった当時中日ドラゴンズ所属の関川浩一は共に捕手から外野手に転向した選手で「捕手から外野手に転向した選手は日本シリーズで活躍できない」というジンクスが一部で囁かれた。ただしそれ以前に飯田哲也が1992年・1993年連続で優秀選手賞を獲得するなど活躍しているほか、和田も2004年の日本シリーズでは活躍しており、このジンクスは2002年時点における近視眼的な見方であると言えよう。
[編集] テレビ・ラジオ中継
[編集] テレビ中継
- 第1戦:10月26日
- 第2戦:10月27日
- 第3戦:10月29日
- 第4戦:10月30日
[編集] ラジオ中継
- 第1戦:10月26日
- 第2戦:10月27日
- 第3戦:10月29日
- 第4戦:10月30日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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