FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島
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FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島は、1987年夏から1991年夏までのFNSの日の通称である。愛称は『夢列島』『FNSテレビ夢列島』。
また、このタイトルは1998年~2000年のFNSの日で、『FNS1億2700万人の27時間テレビ夢列島』として再び使われている。
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[編集] 放送履歴
[編集] 1987年 FNSスーパースペシャル一億人のテレビ夢列島
- オープニングにCGとともに流れた曲は『笑っていいとも!』のコーナー『タモリ・さんまのサイテー男』と同じもの。FNS最大のお祭りのオープニングに流れたこの曲がすっとんきょうなため、タモリとさんまは拍子抜けを喰らってしまった。
- メインテーマの『夢家族』(これは当時東京と大阪の2箇所で行っていたフジサンケイグループの総力コミュニケーションイベント『夢工場'87』にもちなんでいる)にちなんで全国各地の家族を山本晋也、片岡鶴太郎、所ジョージそして渡辺正行の4人が生リポートしつつ最後はフジテレビに戻ってくる企画がメイン。スタジオ後ろのボードに4台のモニターが埋め込まれ、各人の行動を常時映し出していた。片岡鶴太郎が『1億人の夢家族』中継先で『遺族』『慰安婦』など失言を連発した。
- チャリティーではないのに、募金を持参して会場に来た視聴者もいた。(冒頭の『24時間テレビに対抗した~』はここでの明石家さんまの発言がきっかけ)
- 生放送なのにVTRが多かった。
- 各局が制作した3分程度にまとめた夢家族紹介のVTRも番組内分散して放映された。タモリ、さんまとゲストがVTRを「松竹梅」で評価し、それぞれが描かれたシールをスタジオ後ろのボードの日本地図に貼っていった(フジテレビが制作した東京の夢家族紹介VTRが竹ならば、日本地図の東京付近に竹のシールを貼った)。福島は梅の花びら1枚という散々たる評価になってしまった。
- 深夜は『さんまのプロ野球ニュースDX』と『タモリのニュースファクトリー』、夕方は『タモリ&逸見アナのスーパータイムSP』。
- 天気予報では当時『土曜大好き!830』『アタック600』で活躍していた気象解説者の福井敏雄が登場。タモリも福井さんのキャラを気に入りモノマネを連発していた。
- フライデー襲撃事件で謹慎中だったビートたけしが深夜に乱入。これを契機にするかたちで「BIG3」が始まった。
- 深夜企画「眠気覚ましコンテスト」は島田紳助がスリッパを履いたパジャマ姿で司会、上野墓地でオスマン・サンコンを探す企画や『ミス・マハラジャ(大富豪の令嬢)を探せ』『見えそうで見えないチラクイズ』『骨盤当てクイズ』『おかま当てコンテスト』が話題になる。
- 早朝、東京の神宮球場で1万人集めてラジオ体操を行なうと番組内で視聴者を呼びかけたが、午前6時前という時間帯と梅雨明け前のぐつついた天候もあって1000人しか集まらず企画倒れに終わってしまった。
- トークする時間も多かったこの回。スタジオゲストには具志堅用高&渡嘉敷勝男の世界チャンプコンビを筆頭に萬田久子、関根勤、島田紳助、和田アキ子、薬師丸ひろ子、関口宏等と豪華なゲストが登場した。
- 番組のエンディングで「来年はやらないだろう」とタモリが発言した。また、現在スポーツ中継の実況をしている塩原恒夫や、笠井信輔、中井美穂らアナウンサー(青木美枝[入社当時、現・海外事業部]含め4人)が提供パートを分担して読み上げた。当時フジテレビが行ったイベント『夢工場』の宣伝の要素もあり、「フジテレビの番組らしくない」との批判もあった。
- 当時テレビ山口もFNSの一員だったが、これに関してはテレビ山口がJNN協定に加わっていたせいか制作に参加出来ず、放送も全く行われなかった(出来なかった)。結局、この年の秋にテレビ山口はFNS脱退を余儀なくされている。
[編集] 1988年 FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'88
青函トンネルや瀬戸大橋が開通したこの年、JR各社が全面協力し、東京六大学の鉄道研究会学生がダイヤを読み取って札幌や博多から数チームに分かれた芸能人・文化人が全国各地の中継駅を回って東京・河田町のフジテレビまで戻ってこれるように日程を組んだ。ビデオリサーチの視聴率集計方法とは違う、キャプテンシステムを使って調査した「おもしろ視聴率」というのもあった。
- 放送開始直前まで中継していた大洋×巨人戦の試合が伸びたため、本編内でも一部中継を行なった。
- 各系列局が探した『おもしろ人間』を3分間のVTRにまとめて紹介するコーナーが番組内分散して設けられた。福岡・テレビ西日本が紹介したおもしろ人間は複数いたが、その一人にテレビ西日本でケーブルさばきのアルバイトをしていた当時大学生の松村邦洋がいた。彼は17日夕方の『タモリのスーパータイムDX』にて福岡・小呂島からの中継で登場。中継の最後で海にダイブした。また、同じく中継のため小呂島へ行った片岡鶴太郎との出会いが芸能界に入るキッカケとなった。
- CGキャラクターのネーミングを募集し、『ノケゾリーナ』という名前に決まった。名付け親は当時小学生の栃木県在住の女の子。
- また、『タモリのスーパータイムDX』では黒岩祐治記者(当時『スーパータイム』週末キャスター)が東京上空から中継レポーターを務めた。
- 笑福亭鶴瓶が本番中3回ほど居眠りをし、タモリや関根勤、所ジョージから総ツッコミに合った。
- 当時、全国で地方博が開かれ、中継駅に行った芸能人が「北海道・食の祭典」や「よかトピア」などのコンパニオンガールからおみやげを受け取ったりするシーンが何度となくあった。
- 深夜コーナー「真夜中の眠けさましコンテスト・最終回」でコーナー司会の島田紳助が持っていたスプーンで女性の水着の中に入れ、さらに恥骨を叩いた。これにはこの年の司会の一人である鶴瓶や番組スタッフに怒られた逸話が残っている。(このことは2006年の第20回『26時間テレビ』の中の『ヘキサゴンIIクイズパレード!!26時間テレビスペシャル!』で語った。)
- この年のフジテレビ新人アナ披露は青嶋達也(静岡県)・有賀さつき(東京都)・河野景子(宮崎県)・八木亜希子(神奈川県)の男性1人、女性3人の合計4人で行なわれた。
[編集] 1989年 FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'89
FNS系列局で行われた予選を勝ち残った一般人の解答者(1局あたり2人)と系列局のアナウンサーがフジテレビのスタジオで25時間(この年は20時スタートのため)クイズ漬けになった。スタジオから、当時放送されていた番組から、映画やドラマの収録先から、小堺一機と関根勤が東京23区内を中心とした中継先から、解答者の地元で留守を守る個性が豊かすぎる応援団(解答者の家族、親戚、近所の人や仲間)からクイズが出された。
- 地元からの中継は系列局のアナウンサーが担当していたが、タレントが担当していた局もあった。
- 小堺一機と関根勤は東京・新宿のスタジオアルタを出発地として『アルタ→タケシタ(竹下)通り』と次の中継先がしりとりになるように25時間回ってクイズを出し続けた。
- テレビ新広島は開設されたばかりの広島県立大学の寮から中継。盛り上がる寮生にたじろき、様々なハプニングが発生、容赦なく突っ込むタモリ、さんまの前に矢野寛樹アナはまともに問題を出すことができなかった。
- 深夜のお色気コーナー中、要所要所で地元応援団の映像も数秒ずつ映し出された。そこには色気コーナーをニタニタした顔で見てる姿、中継で騒いだためか疲れ切って爆睡する姿などが映し出されていた。
- 明け方になるとアナウンサー含め解答者も居眠りをする人が現われ、タモリが幾度となく『起きろ!』と渇を入れていた。
- 早朝ブロックでどこかの系列局の問題の正解が「正解は『なし』です。」と発表され、CM明けに出演者やMCのさんまも不満があった。
- 福島テレビは住職夫妻が解答者に選ばれた。地元からのクイズとして出されたのは『飼い犬の好物は?』というもの。おかゆ、ソーセージ、ドッグフードが入った皿をそれぞれ置き、飼い犬に食べてもらってそれを正解とする段取りだった。本来の飼い犬の好物は「おかゆ」だったが、極度に腹が空いていたらしく、まっしぐらにドッグフードの皿へ行きガツガツ食べてしまった。おかゆを食べさせようと仕向けたが脇目もふらずドッグフードを食べ続けたため、タモリから『お笑い犬・ポチ』と命名されてしまった。
- 福島の住職の妻もシルエットクイズで田原総一朗を聖徳太子と答えてしまうボケっぷりだった。
- 番組開始から十数時間が過ぎ、タモリ、さんまが一番辛いであろう時間帯に癒しの企画として二人をジャングル風に仕立てたスタジオに招待した。そこでは鍼、鍼灸、整体、気孔などを体験したが、気孔を体験中、タモリが気の緩みからかおならを吹いてしまった。タモリは『気が漏れた』と弁明。
- 正解によって与えられる点数がインフレを起こし、電光掲示板が3桁だった為、1000点を越した場合は一の位に「0」の貼り紙をして対応した(1250点なら125と表示して右側に0の張り紙を貼る)。このような対処は100万円クイズハンターでも行われていた。ちなみに優勝局は1550点獲得の新潟総合テレビだった。
- この年の『タモリのスーパータイムDX』では舛添要一がゲスト出演し、スポーツのコーナーでは池谷幸雄・小菅麻里・小川直也がVTR出演した。
- この年のフジテレビ新人アナ披露は木幡美子(東京都)・智田裕一(千葉県)・佐藤里佳(神奈川県)・田代尚子(福岡県)・境鶴丸(神奈川県)・野島卓(神奈川県)の男性・女性3人ずつの合計6人で行なわれた。
[編集] 1990年 FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90
タモリと明石家さんま(笑福亭鶴瓶)の2人で、総合司会を過去3回務めてきたが、この年はフジテレビアナウンサーのみですべてのコーナーを担当した。総合司会は須田哲夫と河野景子
テーマは『おたく』。この年から毎年、恒例の『夢列島・通し企画』が始まりその第1回目として『24時間以内に家を建てる』という企画を東海林のり子さんのリポートでやっていた。FNSの各アナウンサーが、全国の家を回っていた。宅八郎など典型的なマニアが登場。深夜のゲーム大会は、クイズに答えると女性が一枚ずつ服を脱いでいくというもの。そういう企画の為、そのスタジオに男性アナウンサー達が大勢やってきて大はしゃぎし、ついには露木茂アナも駆けつけ、コーナーが終わってもスタジオから戻って来ず、皆呆れていた。
- 深夜は川端健嗣アナが、銀座にある実家のたばこ屋(川端たばこ店)から『FNN NEWSCOM』を中継された。
- 昼のBIG3の企画は昭和30年代の家のセットの中でトーク。当時タモリが船舶免許を取得、ヨット乗船中に頭部を強打し頭にガーゼをつけたまま登場。露木茂アナが爆笑のあまりよだれをこぼすという失態をおかした。(この年のBIG3の仕切りは逸見政孝ではなく露木茂だった。)
- 夕方は、夏木マリと安藤優子による、『スーパータイム特別版'90』。夏木マリが、このコーナーの出演のきっかけで、夏木マリが、芸能生活を初めて以来、報道番組に初めてお目見えとなった。
- 『フジテレビ新人アナ披露』/4年目のこの年・1990年&平成2年は大坪千夏(福岡県)・長坂哲夫(東京都)・松井みどり(新潟県、2003年7月からスポーツ局勤務)・吉田伸男(千葉県)の男性&女性、共に2人ずつの合計4人で行なった。
[編集] 1991年 FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91
この年から『明石家さんまの愛車車庫入れ』企画が始まる。この年はほぼ、クイズ年の差なんてがメイン。総合司会は桂三枝、有賀さつき、八木亜希子の3人。
- 『東京さ行くだ!クイズ』
- 松本明子・牧原俊幸アナが札幌から、吉村明宏・木幡美子アナ(途中からデーモン小暮の物真似をした太平シローが参加)が鹿児島からFNS各局の代表として一般人を大型バスに乗せて、各地で勝ち抜け方式のクイズをやりながらで東京を目指す企画。鹿児島からの南ルートは渋滞に巻き込まれ、ラスト数分前にバス車内(中央道・八王子石川パーキングエリア)からの映像がつながった。
- 昼のBIG3企画『BIG3闘いゴルフ対談』はスタジオに小さなゴルフ練習場を作ってゴルフ対決。
その後のフリートークで『誰が一番車の運転が上手いか』という話になり、さんまのレンジローバーを使って車庫入れをしようということになる。しかし、ビートたけしの暴走によってブロック塀でつくられた車庫に激突、さんまのレンジローバーはぼろぼろになってしまった(この企画は翌年も続いた)。
- 深夜は『山田邦子のNEWSCOMスペシャル』、夕方は『武田鉄矢のスーパータイムSP』
[編集] スペシャルドラマ
- 1987年 『真夏の忠臣蔵』
- 1988年 『愛そして旅立ち』主演:山田邦子
- 1990年 『夢の家』主演:笑福亭鶴瓶
- 1991年
- 『愛と憎しみのキャッチホン』:主演:高島政伸 プロデュース・亀山千広
- 『ダイエットの明けない夜明け』主演:菊地桃子
- 『バリカンの日』主演:山下真司