湘南
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
湘南(しょうなん)とは、神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称。
目次 |
[編集] 概要
「湘南」の定義は複数存在するため極めて曖昧な名称であり、一義的に定めることはできないが、おおむね二宮~葉山の海岸地区を指す。鎌倉、江の島を含めた観光資源も豊富で夏を中心に多くの観光客を集める。映画、ドラマ、歌の題材などマスコミにより造り上げられた良好なイメージ「海・太陽・若者」などから、その範囲が拡大乱用される傾向にある。
地名の由来は、大磯から望んだ平塚までの海岸線が中華人民共和国湖南省洞庭湖の南岸、「瀟湘湖南」に似ているとされて、またこの地域は相模国の南部にあたるため佳字を当てる意味もあって、明治時代に湘南と名づけたとされる。当初は相模川西岸に限定された呼称であったが、いつしか相模湾に面した地域一帯を指すようになり、現在では相模川西岸に限定して使用することはほとんどない。
この地域における「湘南」の語の使用例は、1664年頃に小田原の崇雪という外郎(ういろう)の商人が大磯の鴫立庵に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが最古のものである。この石碑は複製品が作られて鴫立庵の庭にあり、本物は大磯町が管理している。
近代では徳冨蘆花が随筆『自然と人生』(1900年)で湘南の風景を讃えたことによりこの呼称がひろまった。
なお、1889年4月1日~1955年3月31日の間、神奈川県に存在した湘南村は、現在の相模原市城山町の一部であり、現在湘南と呼称されている主な地域とは離れている。
[編集] 定義される地域
様々な事象において、湘南と呼称される地域が以下のように定義されている。ただし前述の通り厳密な定義は存在しない。
[編集] 行政
- 「湘南ナンバー」(「関東運輸局神奈川運輸支局湘南自動車検査登録事務所」の管轄区域)
- 平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、小田原市、秦野市、伊勢原市、南足柄市、寒川町、大磯町、二宮町、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町、箱根町、真鶴町、湯河原町
- 「湘南市」構想(2005年までの合併を目標としていたが、参加自治体の首長交代などにより白紙化され、事実上消滅)
- 平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町、大磯町、二宮町
- 「湘南村」(1889年~1955年に存在した自治体名)
- 相模原市
[編集] 教育・スポーツ
- 県立高校旧学区「鎌倉湘南学区」(神奈川県立湘南高等学校も1980年まで属していた)
- 藤沢市、茅ヶ崎市、鎌倉市、寒川町
- なお、この学区は1981年の学区細分化によって「鎌倉藤沢学区」「茅ヶ崎学区」に分割され、2005年には県立高校学区自体が撤廃された。ただし、地区校長会や部活動の地区としては残っている
[編集] 交通・経済
- 「湘南モノレール」沿線
- 鎌倉市、藤沢市
- 旧「湘南馬車鉄道」沿線
- 秦野市、中井町、二宮町
- 「湘南新宿ライン」
- 鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町、小田原市、逗子市
- 「湘南信用金庫」本店所在地
- 横須賀市
- ただし、この名称は旧横須賀信用金庫が鎌倉信用金庫を併合したことによる
[編集] 各地域の特色
- 藤沢・茅ヶ崎・寒川
南部を中心に芸能人が作り上げた湘南というイメージが強く、市民も湘南の住人だというアイデンティティーが最も強い。江の島や神奈川県立湘南高等学校は藤沢市に位置し、江ノ電沿線の大正時代に開発された高級住宅地である鵠沼や片瀬地域では広い邸宅が見られる。 しかし、北部は海からも遠く、湘南というイメージとはほど遠い工業・田園地帯である。地理的にも、町の雰囲気からみても、湘南と呼べるのは事実上東海道本線以南の沿岸地域だけといえるが、キャンパスの名称やマンション・アパート名など、大学や不動産業者の戦略的理由によりかなり広い範囲で「湘南」が乱用されている。
- 藤沢市北部に小田急江ノ島線・相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄の湘南台駅があり、その西に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスと文教大学湘南キャンパスがある。やや南の六会にも日本大学湘南キャンパス(旧・藤沢キャンパス)があるが、いずれも海岸からかなり離れた田園・丘陵地帯に位置する。また藤沢市西部、茅ヶ崎市北部にまたがる区域に「湘南ライフタウン」と呼ばれるニュータウンがある。
湘南のイメージが一般にも定着している加山雄三は横浜生まれだが茅ヶ崎育ちで、またサザンオールスターズの桑田佳祐は茅ヶ崎市の出身であり、現在は茅ヶ崎海水浴場もサザンビーチと呼ばれている。
太平洋戦争末期、もし日本が降伏せずに徹底抗戦した場合、相模川以東で相模湾中央部の長い海岸線を持つという理由から、茅ヶ崎海岸が米軍上陸作戦の有力候補地点として想定されていた。戦後海岸地区は一時米軍に接収された。
- 鎌倉・逗子・葉山
明治時代までは湘東と呼ばれることもあり、湘南とは分けてとらえられていた。しかし昭和、とりわけ第二次世界大戦後には映画、ドラマの舞台の湘南として脚光を浴び、湘南として位置づけられるようになった。
現在の逗子市域は昭和初期に京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)の子会社「湘南電気鉄道」の沿線となり、戦後横須賀市より分離独立して発足した歴史を持つ。また湘南のイメージが強い石原裕次郎は逗子市で青年期を過ごした。
近年は「歴史の街」「御用邸」といったイメージで都市セールスを行う傾向が強く、湘南と呼ばれることに違和感を感じる地元住民も多い。湘南市構想においてもこの地域は合併の枠組に組み入れられなかった。
- 平塚
湘南地区では初めて市となるなど早くから商工業都市として発展したため、リゾート地域としてのイメージは薄い。相模川の対岸に位置する藤沢市、茅ヶ崎市と同様、湘南のイメージに合致するのは東海道線以南の高級住宅地である沿岸地域だけといってよい。
県の湘南地区県政総合センターや湘南ナンバーを発行する「関東運輸局神奈川運輸支局湘南自動車検査登録事務所」など湘南地域管轄の行政機関が多く所在し、行政的には湘南地区の中心である。政治的にも湘南市として合併し政令市をめざすという構想の中心的な役割を果たしたが、平塚と藤沢という2大都市の間で埋没してしまうのではという危機感から茅ヶ崎市民の反発もあり、リーダーであった当時の平塚市長の落選により、構想は挫折した。
- 海岸は急に深くなる地形的理由から海水浴に適さなかったが、湘南のイメージ戦略もあり、海岸工事により近年海水浴場を開設した。
- 相模湾を一望できる湘南平が有名。
- 関東三大七夕祭りの一つ「湘南ひらつか七夕まつり」が7月7日を中心とした5日間に開催されている。
- サッカーJリーグの湘南ベルマーレは旧名「ベルマーレ平塚」で、本拠地は平塚競技場。
- 市西部に東海大学湘南キャンパス・神奈川大学湘南ひらつかキャンパス(旧・平塚キャンパス)が存在する。
- 大磯・二宮
江戸時代、崇雪が大磯の東海道筋にある標石に「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えたことばを刻んだことから、湘南発祥の地とされている。現在は、城山公園内にその碑が保存されている。
二宮は海水浴場が狭いためか訪れる客は少ないが、温暖な気候から長寿の里として有名であり、交通の便も良く実業家の堤義明も在住する。現在は減ってしまったが、明治時代には大磯、二宮近辺には、湘南馬車鉄道(後の湘南軽便鉄道)に代表されるように、湘南の名を冠する企業が多数あった。また大磯は明治以降、伊藤博文などの元勲をはじめとする要人の高級別荘地として知られるようになり、吉田茂の別荘もあったことから、ある意味では湘南よりも大磯の名にステイタスがあった。
律令以前は豪族である師長(磯長)国造によって支配されていた地域であるが、中央集権体制の整備に伴い朝廷に仕えた渡来人が移り住んだと考えられ、高麗山や高来神社など、かつて周辺に大陸からの文化を広めた高句麗(現在の中国東北部 - 朝鮮半島北部)からの渡来人に由来するといわれる地名が残る。
- 伊勢原
江戸時代、伊勢原市にある大山は湘山・湘岳と言われ、歴史的には湘南とつながりがある。神奈川県の行政区域でも「湘南地域」に含まれているが、今では小田急小田原線や国道246号で結ばれた厚木市など県央地域との関係が深くなっている。
- 秦野
県の行政区域では「湘南地域」に含まれるが、山に囲まれた秦野盆地にあり、湘南海岸とは地理的なつながりは寸断されている。経済的にも厚木市や小田原市との関係が深く、気象予報は伊勢原と共に「県央区域」に含まれる。明治39年には湘南馬車鉄道も二宮 - 秦野間に開通しているが、一般に湘南と呼ばれることはない。
- 横須賀・三浦
横須賀市中心部は相模湾ではなく東京湾に接しており、湘南の基本的な定義(相模湾岸)から外れている。経済的なつながりも横浜と深く、相模湾に面する横須賀市・三浦市西部についても湘南として認識される機会はあまりない。しかし「湘南国際村」や「湘南信用金庫」、「湘南電気鉄道」を始めとして、イメージのよさから地名や企業名などに湘南の名を採ってきた。また、プロ野球・横浜ベイスターズの二軍チーム湘南シーレックスの本拠地は横須賀である。
- 小田原・箱根・湯河原・真鶴
温泉宿泊地やキャンプ場、城下町など独自色が強く、湘南というイメージとは一線を画す。保養地であり観光地という特色が強く、西湘とも呼ばれている。
ただし、明治時代に「湘南煙草合名会社」が存在するなど、この地区にも湘南を冠したものが多く存在したこと事から、現在のイメージが定着する前は湘南の一部と考えられることもあった。
- 南足柄・足柄上郡
丹沢や足柄山のふもとで、単に湘南ナンバー適用エリアにすぎない。
- 相模原市
城山地区にはかつて湘南村という行政区が存在した。明治22年から名乗っており名称としては古いが、この場合の「湘」とは相模湾のことではなく相模川が「湘江」と呼ばれていたことに由来する。ただし、この「湘江」は相模川全体ではなく河口付近の「馬入川」を指す。
- 厚木
通常湘南には含まれないが、湘南ベルマーレのホームタウンの一つとなっている。
[編集] 現代における「湘南」のイメージ
大正9年、藤沢市に旧制湘南中学(現湘南高校)が設置された。片瀬、鵠沼、鎌倉、逗子など湘南地方には海軍士官が比較的多く、県立中学の設置が望まれていたとされる。県立湘南中学は、終戦までは海軍兵学校など海軍諸学校へ人材を供給する名門校であり、戦後は全国の公立高校での東大合格者数1位を誇ったこともあり、また野球部が関東以東で始めて甲子園を制覇するなど、文武両道の進学校として永らく全国的に知られてきた。
1950年代後半以降は、湘南高校の卒業生である石原慎太郎の著作『太陽の季節』や、その映画化に際し俳優としてデビューした慎太郎の実弟・石原裕次郎、そして若大将シリーズの加山雄三らが「湘南」のイメージを形作っていった。
1964年、第18回オリンピック東京大会のヨット競技場として江ノ島に湘南港ヨットハーバーが建設され、湘南にマリンスポーツのイメージを定着させた。
また、1978年にデビューしたサザンオールスターズの歌詞には、鎌倉から茅ヶ崎の間の地名が度々登場する。ヴォーカルの桑田佳祐が茅ヶ崎市出身で、私立鎌倉学園高校の卒業生でもあることから、この一帯が湘南として強く認識されるようになった。しかし幼少から茅ヶ崎で育った桑田にとって、馴染みが薄く外部から与えられたイメージという認識の湘南という呼称には否定的なスタンスをとっている。実際、桑田が作る歌詞には茅ヶ崎・鎌倉・江ノ島・稲村ヶ崎などはよく登場するが、「湘南」そのものが使用された曲は極めて少ない。
ちなみに、サザン(サザンオールスターズの略)が持つ湘南のイメージを意図的に取り入れて1984年にデビューし、その後に「夏の代名詞」と称される事になるビーイング系のバンド TUBE のメンバーは厚木市など県央部の出身である。
なお、この地域を横断する国道134号が暴走族のメッカとして有名になっている。湘南を舞台とする「湘南爆走族」という漫画もあり、江口洋介や織田裕二が出演する映画にもなった。ただし現在においては、神奈川県内に5ヶ所ある「暴走行為助長禁止重点区域」(県暴走族等の追放の促進に関する条例第16条)に湘南地区は一切含まれておらず、世間で騒がれているほどではない。暴走族の高齢化も進んでいる。