高松の歴史
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[編集] 古代
高松という地名が初めて歴史上に現れるのは平安時代に作られた「和名類聚鈔」に「多加津(たかつ)の郷」とあるのが最初である。地名の由来としては諸説あるが定かではない。主なものとして、「高松郷の辺りに天を突くような、大きく高い松があったから」や「渡来人が朝鮮半島で高貴な植物として崇めていた松に因んで「たかまつ」と呼ぶようになった」、そして「和名類聚鈔にあるように本来は「たかつ」と発音し、「つ」は港を意味する「津」、つまり「たかつ」は港の名前であり、それが「たかまつ」に転じた」などである。ここで書かれている高松はいずれも現在の古高松地区を指しており、高松城命名の際、当時の高松郷を「古高松」とした記録があるとされる(高松市史)また、高松市高松町の「永の谷公園」には松があったとする碑がある。その後生駒親正が篦原(のはらの)庄に建てた城を高松城と呼ぶようになり、やがて城下町全体、そして現在に至る市名に使われるようになった。
その頃、現在の高松城周辺は小さな漁村であった。現在も高松城址(玉藻公園)東に、東浜漁港として残っている。
[編集] 江戸時代
現在の高松が都市として機能し始めたのは、生駒親正が香東郡篦原(のはらの)庄に高松郷から名前をとった「高松城」とその城下町を築いた1587年頃からである。1640年、生駒騒動といわれるお家騒動が起こり、生駒家は讃岐一国を召し上げられ出羽国(秋田県)矢島に移された。以後1642年には、当時常陸国(茨城県)下館藩主だった松平頼重が東讃岐を与えられ高松城に入城する。その後高松城下町は次第に広がり明治維新までには、ほぼ現在の旧市内にまで広がった。
[編集] 明治時代
明治時代には混乱の中香川県が成立し、1890年2月15日には高松が市制施行し高松市が成立した。その後日清戦争や日露戦争などの戦争も多発した中、電灯の開通や、高松丸亀間に初の鉄道の開通、高松港の第一期改修が行われたりと現代高松の基礎が造られた時代であった。
[編集] 高松に於ける廃藩置県
1871年11月15日、香川県が成立し高松はその県庁所在地になったが、2年後の1873年2月20日には名東県(現在の徳島県)に吸収合併され香川県と共に高松の県庁所在地としての地位は消滅した。更に2年後の1875年9月5日には再び香川県は独立し、高松は再び県庁所在地になったが翌1876年8月21日には再度、今度は愛媛県に吸収合併された。しかし、それも風土や文化の違いから分離独立運動が激しく起こった為長続きせず、1888年12月3日には現在の香川県が成立した。全国で最後に成立した県だった。17年の間に4度も合併と分離を繰り返し、この経緯が他県の県庁所在地と比べ発展が大きく出遅れ、その後も尾を引いている原因であるといわれている。このことを揶揄した「名東(夫婦)別れて愛媛に身売り香川は再び里帰り」という俗語も生まれた。
[編集] 大正時代
日本が第一次世界大戦に参戦する中、1914年高松市初の合併となる宮脇村との合併が行われ、1921年には東濱村、栗林村との合併が実現し、この時点での市域は現在の高松の中心市街地の範囲と一致しているため、その後この地域は「旧市内」と呼ばれるようになった。また、1918年に全国で起こった米騒動の余波は高松にも飛び火し、その後1924年香川県最大の小作争議である「伏石事件」にまで発展した。
[編集] 昭和時代
昭和に入り、1928年高松市主催の全国産業博覧会の開催や、1934年瀬戸内海国立公園の指定、1940年高松市と周辺5町村との合併などで高松市の規模は拡大した。その一方で1931年の満州事変に始まる日本の戦争色は更に濃くなっていった。高松でも次第に言論統制が強められていき、1933年には左翼主義者が一斉に検挙される「高松8・3・3事件」が起こった。1941年、日本は第二次世界大戦に参戦し、太平洋戦争が起こる。1945年7月4日、米軍による本土攻撃が激しさを増す中、戦禍は高松にも襲来。「高松空襲」では市域の80%が消失し、それまでの歴史や発展の積み重ねは一晩で消滅した。終戦後、高松は復興し1956年の周辺15町村との合併、1966年の山田町との合併で高松市の市域は大幅に拡大する。1973年には「高松砂漠」と呼ばれる大渇水が発生(この時、井戸水をめぐって殺人事件まで発展した)したが、翌1974年には香川用水が完成し、歴史的に高松の課題であった渇水被害は少なくなった。1955年の「紫雲丸事故」ではその後の瀬戸大橋建設の気運を高めた。1988年坂出市に瀬戸大橋は完成し、より安全に本州に渡れるようになり、本州との交流も多くなったが、その一方でそれまで四国の玄関口として発展してきた港町高松は瀬戸大橋開通をピークに、その後のバブル崩壊も相まって衰退を始める。
[編集] 平成時代
有史以降一貫して増加してきた高松の人口は他の地方都市と同様平成に入り減少を始め、1989年の新高松空港の開港や、四国横断自動車道の高松への順延も高松の衰退の歯止めにはならなかった。むしろ、ありとあらゆる交通機関の発達は大都市への所要時間を短縮させ、高松にあった支店・支社の閉鎖や他都市への統合によるストロー現象が始まった。しかしながら高松市にはまだ四国を統轄する機関が多くあり、「サンポート高松」や「丸亀町商店街再開発事業」など大規模再開発で高松の中核管理機能を確固たるものにしようとしている。
[編集] 行政
氏名 | 就任 | 退任 | 在任期間 | 就任区分 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
初代 | 赤松渡 | 1890年5月 | 1896年5月 | 6年 | 官選 | |
第2代 | 小田知周 | 1896年5月 | 1908年5月 | 12年 | ||
第3代 | 鈴木幾次郎 | 1908年5月 | 1914年5月 | 6年 | ||
第4代 | 逸見常太郎 | 1914年6月 | 1916年2月 | 1年8ヶ月 | ||
第5代 | 藤本充安 | 1917年2月 | 1919年1月 | 1年9ヶ月 | ||
職務管掌 | 大野緑一郎 | 1919年3月 | 1919年5月 | 2ヶ月 | 市長不在のため県から派遣 | |
第6代 | 坂田幹太 | 1919年5月 | 1920年5月 | 1年 | ||
第7代 | 佐野久宣 | 1920年10月 | 1924年4月 | 4年4ヶ月 | ||
第8代 | 石原留吉 | 1924年9月 | 1928年9月 | 4年 | ||
第9代 | 松原權四郎 | 1929年1月 | 1933年1月 | 4年 | ||
第10代 | 冨家政市 | 1934年5月 | 1942年5月 | 8年 | ||
第11代 | 鈴木義伸 | 1942年7月 | 1946年1月 | 3年6ヶ月 | ||
第12代 | 國東照太 | 1946年3月 | 1967年5月 | 21年2ヶ月 | 最初の1年間は官選、それ以降は民選。 | |
民選 | ||||||
第13代 | 三宅徳三郎 | 1967年5月 | 1971年5月 | 4年 | ||
第14代 | 脇信男 | 1971年5月 | 1995年5月 | 24年 | ||
第15代 | 増田昌三 | 1995年5月 | 2007年5月 | 12年 |
[編集] 年表
[編集] 明治
[編集] 1890年(明治23年)
[編集] 1891年(明治24年)
- 内町に高松郵便局が新築される。
- 「掃除請負規則」制定され、ゴミ収集などが開始される。
- 鹿井出水をめぐり太田村と多肥村の間に紛争が発生する。
- 腸チフスが蔓延する。(県下患者3,253人、うち死者575人)
- 香川県立高松高等女学校の前身である、進徳女学校が開校する。
[編集] 1892年(明治25年)
- 高松東浜港より北海道移住者約200人が出港する。
- 香東川橋が完成する
- 尋常中学校の設置と、本校を高松市、分校を丸亀町に置くことが決定される。
- 初代市長赤松渡が発起人となり、阿讃新道の改修が協議される。
[編集] 1893年(明治26年)
[編集] 1894年(明治27年)
- 香川県尋常中学校長の野村弥三郎が香川県下に野球を伝える。
- 消防法規則が公布され、公設消防組に改組する。
- 丸亀歩兵第12連隊に動員令
- 香川県庁舎が内町に完成し、香川県庁が五番丁の浄願寺より移転する(7月27日)。
- 新聞・雑誌の検閲が始まる。
- 大干ばつ。135日間雨が降らなかった。10日暴風雨。
[編集] 1895年(明治28年)
[編集] 1896年(明治29年)
[編集] 1897年(明治30年)
[編集] 1898年(明治31年)
- 香川郡百相村が仏生山町に改称され、町制を施行する。
- 高松出晴・長尾間に乗合馬車が開通する(3月29日)。
- 香川県尋常中学校が県立に移管、香川県立高松尋常中学校と改称。
- 香川県工芸学校が授業を開始する。
- 第百十四国立銀行が営業満期になり、株式会社高松百十四銀行が設立される。(10月7日)
[編集] 1899年(明治32年)
[編集] 1900年(明治33年)
- この頃自転車大流行
- 四番丁小学校に通称「ゴン」と呼ばれる時鐘が建てられる。
- 見性寺に高松市立高松商業学校が開校する。
- 高松港の第一次建設工事が竣工する。
- 中笠居村に県水産試験場が開設する。
[編集] 1901年(明治34年)
- 法然寺の十王図等、3点が国宝に指定される。
- 片原町に私立水族館が開館する。
- 塩屋町に新劇場歌舞伎座が竣工する。
- 第二次築港工事が起工する。
- 高松市役所が元香川県庁舎である五番丁の浄願寺内に移転する(10月15日)。
- 県立商業学校が開校する。
[編集] 1902年(明治35年)
- 内町に香川県公会堂が竣工する(4月)。
- 私立高松高等女学校が県立高松高等女学校になる。
- 第八回関西府県聯合共進会 旧高松城内で開催
- 教育会水泳所開設
[編集] 1903年(明治36年)
[編集] 1904年(明治37年)
[編集] 1905年(明治38年)
- 県教育会によって図書館が開館される。
[編集] 1906年(明治39年)
- 田の正条植を巡査が強力に指導奨励
- 屠場法が制定され、東濱村に屠殺場が造られる。
- 高松港第三次拡張工事認可
- 山陽鉄道が国有鉄道に移管される(12月1日)。
[編集] 1907年(明治40年)
- 高松港第四次拡張工事が起工する。
- 高松電話交換局(内町)が業務を開始し、初の家庭用電話交換が行われ始める。
- 義務教育の修業年限が6年に延長される。
- 天神前に日本赤十字社香川県支部病院が開院される。
[編集] 1908年(明治41年)
- ドイツの細菌学者コッホ一行来高 多蚊松の話。
- 尋常小学校が6年間の義務教育となる。
- 香東川橋架設工事が完成する。
[編集] 1909年(明治42年)
- 多度津測候所が県を4区に分け天気予報を発表する。
- 香川県史の刊行はじまる 編さん者・赤松渡
- 高松商業会議所の創立総会
- 高松・琴平間の鉄道 讃岐線となる
[編集] 1910年(明治43年)
- 西浜埋立地簡易水道起工 6月竣工
- 県 農業勧業7年計画の実施
- 建築税実地検査に着手
- 宇高連絡船が就航する。
- 国鉄高松駅が西浜から浜ノ町に移転される(7月1日)。
[編集] 1911年(明治44年)
- 三番丁の法泉寺に日露戦争戦没者の菩提を弔うため釈迦像が建立される。
- 日本瓦斯株式会社高松出張所がガス供給を開始する(11月18日)。
- 香川郡一宮町鹿角に香川郡立香川実業高校が開校する。
- 麦稈真田協議会が四番丁小学校で開催される。
- 東讃電気軌道の今橋・志度間 (12.3㎞) が開通する(11月18日)。
[編集] 1912年(明治45年)
[編集] 大正
[編集] 1912年(大正元年)
- 市議会が水道敷設を決議工事認可し補助金を申請する。
[編集] 1913年(大正2年)
- 憲政擁護県民大会が開催される。
- 高松港の管理が香川県に移管される。
- 五番丁に新高松市庁舎完成し、高松市役所が移転する(現在地)(3月30日)。
- 栗林公園北庭が完成する。
- 東讃電気鉄道の今橋・出晴間が開通する(10月15日)。
[編集] 1914年(大正3年)
[編集] 1915年(大正4年)
- 兵庫町で日の出タクシー開業する。
- 東讃電気鉄道の出晴・栗林公園北間が開通する(4月22日)。
- 自家用車認可第1号が登録する。
- 高松下水道起業が内閣に認可される。
- 高松岡山間の海底電話沈設工事が完了する。
- 香川郡栗林村に立誠館が完成する。
[編集] 1916年(大正5年)
- 逸見市長が途中退任し、約1年間市長が不在になる。
- 市立実科高等女学校設置される(市立高等小学校内)。
- 神内上池が完成する。
- 田中定吉を会長に香川県体育協会が発足する。
- 東讃電気軌道が四国水力電気に吸収合併され、四国水力電気電車部門が設置される(12月)。
[編集] 1917年(大正6年)
- 高松市出身の小説家・菊池寛が戯曲「父帰る」を発表する。
- 私立明善高等女学校が創立される。
- 旧高松城内で全国自転車大会が開催される。
- 市内電車と呼ばれる四国水力電気の市内線栗林公園北・高松駅前間が開通する(5月20日)。
- 旧高松城内に第2代目披雲閣が完成する。
- 四国水力電気の高松駅前・高松築港間が開通する。(7月14日)。
- 教育会が表誠館を建設
[編集] 1918年(大正7年)
[編集] 1919年(大正8年)
- 兵庫町に公設市場が設置される。
- 香川自動車株式会社の高松・穴吹間乗合自動車が開業する。
- 東瓦町に公設市場が設置される。
- 高松市青年団が設立される。
[編集] 1920年(大正9年)
- 木田郡潟元村が、屋嶋村と改称する。
- 市制施行満30周年を迎え、各種式典を開催される。
- 高松婦人会が発足する。
- 職業紹介所が開設される。
- 松島町の倉敷紡績高松工場が一部操業を開始する。
[編集] 1921年(大正10年)
[編集] 1922年(大正11年)
- 栗林公園が名勝に指定される。
- 高松港の管理が高松市から香川県に移管される。
- 高松築港第三次拡張工事着工
- 日本農民組合伏石支部結成
- 摂政宮裕仁親王が陸軍特別大演習のために来高する。
- 水上機大阪より到着し、高松・大阪間航空輸送が開始される。
[編集] 1923年(大正12年)
- 郡制が廃止され、香川郡役所と木田郡役所が廃止される。
- 小作争議がさかんになる
- 県警察・特別高等警察事務(農村問題担当)を分離
- 高松高等商業学校が創立され翌年から学生を受入する。
- 小作争議伏石事件で農民らが検挙される(12月4日)。
[編集] 1924年(大正13年)
- 火鉢の不始末により高松市役所が焼失(2月25日)。
- 百十四銀行と高松銀行が合併する。
- 高松商業が第1回全国選抜中等学校野球大会に優勝する。
- 高松・女木島間に「高松号」が就航する。
- 香川県水平社が創立される。
- 琴平電鉄株式会社が創立される(2月25日)。
[編集] 1925年(大正14年)
- 玉藻町・兵庫町間に中央通りの前身である記念道路が完成する。
- 香川県でのラジオ放送が開始される。
- 国鉄高徳線の高松・志度間が開通する。
- 高松商業が第11回全国中学校野球大会で優勝する。
[編集] 1926年(大正15年)
[編集] 昭和
[編集] 1926年(昭和元年)
[編集] 1927年(昭和2年)
- 丸亀町・南新町の舗装工事が開始される。
- 小鳥ブームによる小鳥交換会が作られる
- 琴平電鉄の瀧宮・琴平間が開通する(3月15日)。
- 国鉄の讃予線(後に予讃線)が松山まで開通する。
- 琴平電鉄の栗林公園・高松(後に瓦町)間が開通し、琴平線高松・琴平間が全線開通した(4月22日)。
- 高松商業が第13回全国中等学校野球大会で優勝する。
- 普通選挙法による県会議員選挙が行われる。
- 鉄筋コンクリート造の新高松市庁舎が竣工する。
[編集] 1928年(昭和3年)
- 商工会議所が誕生し、商業会議所より移行される
- 第1回普通選挙施行。
- 高松港第3期拡張工事が完了する。
- 高松市主催全国産業博覧会が開催される。
- 高松第一中学校が開校する。
- 高松市の「都市計画街路案」認可される。
- NHKラジオ体操開始。
[編集] 1929年(昭和4年)
- 屋島ケーブルが開通する(4月21日)。
- 栗林公園内に動物園が開園する。
- 仏生山町に競馬場が完成する。
- ガソリンカーによる塩江温泉鉄道の仏生山・塩江間が開通する(11月12日)。
- 高松市公益質屋が設置される。
[編集] 1930年(昭和5年)
- 橋本仙太郎が女木島山頂に洞窟を発見する。
- この年,昭和恐慌激化
- 讃岐養老院が落成する。
- 自動車貨車航送船が運行を開始する。
- 市制施行40周年を迎える
- 自治組合創立10周年記念祝賀式。
- 栗林公園動物園内にプールが完成する。
- 四国水力電気と高松電灯が合併する。
- 県農事試験場が仏生山町に移転する。
- 高松小唄(野口雨情作詞・中山新平作曲)
[編集] 1931年(昭和6年)
- 東京三越高松支店が開業する。
- 千寿堂で毎月1回ダンス教室が開催される。
- 市立診療所が開設される。
- このころ麻雀が流行
- 養老院が勧進元で相撲興行が行われる。
[編集] 1932年(昭和7年)
- 盆踊りが全面的に解禁になる。
- 第一次上海事変が発生し、市内からも多くが出征する。
- 高松市のゴミ焼却場が完成する。
[編集] 1933年(昭和8年)
- 現在の高松踊りの前身である「さぬき踊大会」が開催される。
- 市長が退任し、約1年4ヶ月間市長不在になる。
- 「高松市史」が刊行される。
- 「讃岐高松石清尾山石塚の研究」が刊行される。
- 高松地方裁判所で差別裁判がおこる。
- 県警察による左翼主義者一斉検挙が行われる。
[編集] 1934年(昭和9年)
- 下水道工事起工式が行われる。
- 瀬戸内海が国立公園に指定される。
- 愛国飛行場の開場式典が行われる。
- NHK大阪放送局高松出張所が開局する。
- 108日間の大干ばつ
- 室戸台風襲来し、市内でも大被害を被る。
- 高松桟橋駅に高松市観光案内所が設置される。
[編集] 1935年(昭和10年)
- 阿讃鉄道の高松・徳島間が開通する。
- 国防婦人会が発足する。
- 「青年学校令」が公布され、青年学校が設置される。
- はじめて四国地区防空演習が実施される。
- 内町に高松警察署庁舎が完成する。
- 国鉄の高松・高知間が開通する。
[編集] 1936年(昭和11年)
- 高松市観光課都市計画課が置かれる。
- 文芸家協会会長に菊池寛が就任する。
[編集] 1937年(昭和12年)
- 岡本遊園地が完成する。
- 高松市公報が創刊される。
- 伯爵松平頼壽が、貴族院議長、県教育会会長になる。
- 善通寺第11師団に動員令くだる。
- 国民精神総動員高松市委員会が結成される。
[編集] 1938年(昭和13年)
- ネオンサインが制限され、ダンスホール・カフェーなどが閉鎖される。
- 「満蒙開拓青少年義勇軍」が高松を出発する。
- 重油・ガソリン等が切符制となる。
- 県屋島総合グランドが開場する。
- 塩江温泉鉄道が琴平電鉄へ合併し、琴平電鉄塩江温泉線になる(7月)。
- 第11師団が満州国北部の守備につく。
[編集] 1939年(昭和14年)
- 大干ばつがおこる
- 第二次世界大戦が勃発する。
- 愛国飛行場が完成する。
- パーマネント・ウェーブを戒める声強まる
- 価格統制令
- 白米禁止
- 電力節減でネオンサイン等の点灯が一部を除いて禁止される。
[編集] 1940年(昭和15年)
- 香川郡鷺田村、太田村、木田郡木太村、古高松村、屋嶋町が高松市に編入される(2月11日)。
- 市制施行50周年記念祝典が行われる。
- 砂糖切符制
- 高松市会が会派を解消する。
- 自治会長が町内会設立について協議する。
- 大政翼賛会香川支部が発足する。
[編集] 1941年(昭和16年)
- 新聞紙等掲載制限令
- 香川新報と四国民報が合併し、香川日日新聞の発刊される。
- 大政翼賛会高松支部が発足する。
- 国民学校令公布され、高松市では4月に一斉に改称。
- 米配給制度
- 琴平電鉄塩江線が廃止される(5月)→レールは戦時金属供出、車両は上海市電へ
- 高松聯隊司令部設置(丸亀聯隊司令部が移転する)
- 高松第一中学校報国団が結成される。
- 太平洋戦争に突入する。
[編集] 1942年(昭和17年)
- 衣料品総合切符
- 日本銀行高松支店が開店する。
- 石清尾八幡神社前で高松市翼賛壮年団の結団式が行われる。
- 翼賛選挙
- 高松市議会が翼賛統一会派を結成する。
- 大日本婦人会高松支部が結成される。
- 食糧事業により主要食の消費規制が強化される。
[編集] 1943年(昭和18年)
- 金属の特別回収が実施される。
- 御殿貯水池で町内会が勤労奉仕を開始する。
- 防空訓練所で防空訓練が実施される。
- 明善高等女学校に大東亜科が設置され、大陸の花嫁教育が行われる。
- 放送会館が新築され、寿町に移転する。
- 高松高等商業学校で学徒出陣。
- 倉敷紡績高松工場が東京飛行機高松製作所に転換される。
[編集] 1944年(昭和19年)
- 林村に陸軍飛行場の設置が決定される。
- 屋島ケーブルの軌道が供出のため解体撤去される。
- 退避施設増強要領が発表される。
- 女子挺身隊が設置される。
- この頃から竹槍訓練がはじまる。
- 大阪市からの児童疎開第1陣が到着する。
- 満17歳以上が兵籍に編入。
- マリアナ基地のアメリカ空軍による日本本土爆撃が開始される。
[編集] 1945年(昭和20年)
- 国民学校初等科以外の授業が1年間停止される。
- 国民義勇隊香川県本部が結成される。
- 四国総監府が松山から高松に移転する。
- 高松大空襲
- 広島・長崎に原爆が投下され、太平洋戦争が終焉する。
- 高松市戦災復興委員会設置・開催される。
- 高松飛行場で残存飛行機等が爆破される。
[編集] 1946年(昭和21年)
- 市設案内所を設け、復員者・引揚者に対応する。
- 香川日日新聞社が四国新聞社に改名する。
- 高松飛行場が一部解放される。
- 寿町で四国で第1回目の軍事裁判が開かれる。
- 昭和南海地震が発生する。
[編集] 1947年(昭和22年)
- 初の公選制市長に國東照太が選ばれる。
- 第1回高松市議会議員選挙が行われる。
- 高松市立中央球場が完成する。
- 高松高等裁判所が設置される。
- 高松市消防団が結成され、公設常備消防がはじまる。
- 職業安定所が開所する。
- 愛国飛行場跡地で競馬が開催される。
[編集] 1948年(昭和23年)
- 公立保育所のうち、瀬戸内保育所等の設置が許可される。
- 高松琴平電鉄の瓦町・築港間が開通する。
[編集] 1949年(昭和24年)
- 観光大博覧会が開催される。
- 市立太田中学校が市立桜町中学校に統合される(4月)。
- 市立二番丁中学校が市立紫雲中学校に統合される(4月)。
- 高等学校再編成で、女子高が男子高に統合される。
- 香川大学が発足する。
- 失業対策事業開始
- 高松市立図書館が発足する。
- 左側通行が右側通行に変わる
- 高松市美術館が開館する。
- 高松市体育館が開館する。
[編集] 1950年(昭和25年)
- 昭和天皇四国巡幸
- 屋島ケーブルの運転が再開される。
- 市立木太中学校と市立花園中学校が統合され、市立玉藻中学校と改称される(2月)。
- 市制施行60周年を迎え記念式典が行われる。
- 高松市営競輪場が開場する。
- 衣料切符の廃止
- 高松市立図書館が落成する。
- 香川県内の農地改革終了する。
[編集] 1951年(昭和26年)
- 小学校で完全給食が開始される。
- 第1回市民学校が開設される。
- 日展がはじめて高松市立美術館等で開催される。
- 四国電力本社が高松市で業務を開始する。
- 児童憲章が制定される。
- 第1回高松港まつりが開催される。
[編集] 1952年(昭和27年)
- 高松飛行場が進駐軍から返還される。
- 高松市主催の戦没者追悼式が行われる。
- 高松市教育委員会が1室3課で発足する。
- 市立松島中学校が市立光洋中学校に改称される(6月)。
[編集] 1953年(昭和28年)
- 高松市立旭ヶ丘病院が開院する。
- 五番丁交差点に初のシグナル設置される。
- 栗林公園が特別名勝に指定される。
- この頃から入浜式塩田が流下式に移行される。
- 内場ダムが完成する。
- 第8回国民体育大会の副開会式
[編集] 1954年(昭和29年)
- 高松城跡譲渡について松平公益会と調印が交わされる。
- 定期観光バスの運行が開始される。
- 香川県警察本部が設置される。
- 高松市の緊縮財政・経費節減の示達がある。
- 高松消防署が中央球場の一画に移転する。
- 運転免許試験場に接し自動車学校が創設される。
- 聾学校が太田上町に移転する。
- 市立古高松中学校が市立屋島中学校に統合される(9月)。
[編集] 1955年(昭和30年)
- 香川県漆芸研究所が設置される。
- 彫漆の音丸耕堂が無形文化財保持者となる。
- 高松・大阪間の航空路が開設される。
- 玉藻公園の開園式が行われる。
- 宇高連絡船「紫雲丸」事故が発生する。
- 高松・伊予三島間にディーゼルカーが走る。
[編集] 1956年(昭和31年)
- 高松市で戦争犠牲者の追悼慰霊祭が開催される。
- 市立城内中学校が新設される(4月)。
- 四国で初の川岡有線放送協会が設立される。
- 香川郡下笠居村、香西村、上笠居村、弦打村、檀紙村、円座村、川岡村、一宮村、多肥村、仏生山町、雌雄島村、木田郡三谷村、林村、川添村、前田村が高松市に編入される(10月1日)。
- 中央公園で菊池寛の銅像が除幕される。
- 四国電力本社社屋が竣工する。
[編集] 1957年(昭和32年)
- 宮内フサ氏が日本郷土玩具の会から表彰される。
- 高松城月見櫓等の修理が完了する。
- 木下恵介監督「喜びも悲しみも幾歳月」のロケが開始される。
- 瀬戸大橋架橋推進協議会が設立される。
- 高松・東京間の定期航空路が開設される。
- 生駒時代の地割図が発見される。
[編集] 1958年(昭和33年)
- 高松市内にスーパーマーケットが登場する。
- 香川町大字寺井の一部区域が高松市に編入される。
- 中央公園南側に玉楮象谷の銅像が完成する。
- 県庁本館が竣工する。
- 民間テレビ放送が始まり、西日本放送テレビが放送を開始する。
- 高松市戦災犠牲者慰霊塔が完成する。
- 栗林公園東側に三木武吉の銅像が完成する。
[編集] 1959年(昭和34年)
- メートル法が施行される。
- 県警察本部に全国で初めてママポリスが採用される。
- 女木島洞窟までの定期観光バスの開通式が行われる。
- 高松本駅が閉鎖され、1つ手前の桟橋駅を高松駅とされる。
- 高松市体育協会が設立される。
[編集] 1960年(昭和35年)
- 選抜高校野球大会で高松商業高等学校が優勝する。
- 旧高松駅から出火し全焼する。
- NHKがカラー放送を開始する。
- 香川県下で国民健康保険が完全実施される。
[編集] 1961年(昭和36年)
- 屋島ドライブウェイが開通する。
- 国鉄予讃線の高松多度津間複線化工事が起工する。。
- 高松市民会館が竣工する。
- 宇高国道フェリーが就航する。
- 第2室戸台風が襲来し、高松気象台開設以来の強風と大雨を記録する。
- セント・ピーターズ・バーグ市との姉妹都市縁組を結ぶ。
- 市内バスで初めてワンマンカーが走る。(高松琴平電気鉄道社史によれば日本初)
[編集] 1962年(昭和37年)
- 高松市連合自治連絡協議会が発足する。
- 高松市交通安全都市宣言
- 高松工業高等専門学校の創設
- 第1回県公害対策協議会が開催される。
- 市内初の立体歩道橋が竣工する。
- 高松市ユースホステルが竣工する。
- 東京・高松・松山の定期航空路が開設される。
- 高松市老人会連合会が発足する。
[編集] 1963年(昭和38年)
- 高松市消防本部に救急車が配置され、救急業務が開始される。
- 高松駅ホームに「手打ちうどん」売店が開店する。
- 高松医師会 日曜・祝日の当番制実施
- 小学校第1学年に全教科書が無償配布される。
- 社会福祉法人高松市社会福祉協議会が発足する。
- 高松市市民体育大会が開催される。
- 市学校給食会が発足し、学校給食物資が統一される。
[編集] 1964年(昭和39年)
- 高松・大阪間の電話のダイヤル直通が開始される。
- 第1回高松まつりが開催される。
- 東京五輪の聖火が高松を通過する。
- 学力調査で県下中学校4年、小学校3年が連続全国1位。
[編集] 1965年(昭和40年)
- 高松・松山間にバスの運行が開始される。
- 高松・徳島間にバスの運行が開始される。
- 福岡下水処理場が一部始動する。
- 菊池寛顕彰会が「香川菊池寛賞」を設ける。
- 高知県早明浦ダムが起工する。
- 県ガン予防協会が発足する。
[編集] 1966年(昭和41年)
[編集] 1967年(昭和42年)
- 高松市衛生処理センター建設が開始される。
- 高松市中央卸売市場が開場する。
- 四国工業試験場が設置される。
- 高松・高知間に急行バスの運行が開始される。
- ちびっこ広場がはじめて開設される。
[編集] 1968年(昭和43年)
- 大雪により兵庫町商店街、片原町商店街のアーケードが崩壊する。
- 高松市立中央駐車場の供用が開始される。
- 丸亀町商店街のカラー舗装が完成する。
- 香川用水が起工する。
- 常盤街、ライオン通のカラー舗装が完成する。
- 高松高等裁判所と高松地方裁判所の合同庁舎が竣工する。
[編集] 1969年(昭和44年)
- 高松市議会が公害交通安全対策特別委員会を設置する。
- 高松市中央公園が完成する。
- 屋島山上に水族館シーパレスが竣工する。
- 高松北バイパスが開通する。
[編集] 1970年(昭和45年)
- 高松市同和対策長期計画が策定される。
- 減反政策がはじまり、香川県が減産目標量を示す。
- 福岡下水処理場が竣工する。
- 栗林トンネルが開通する。
- 五色台教育が発足する。
- 高松市戦災復興土地区画整理事業工事が完了する。
- 高松市市民文化センターが起工する。
[編集] 1971年(昭和46年)
- 木太町の清掃工場が竣工する。
- 70才以上老人医療無料化が市単独事業として実施される。
- 瀬戸内海をきれいにする協議会が水質調査等を実施する。
- 平池堤防に乙女の像が建立される。
- 高松市が市街化区域と市街化調整区域を設定する。
- 国鉄宇高連絡船の「別れのテープ」が姿を消す。
- 高松市高松町・牟礼町間バイパスが開通する。
[編集] 1972年(昭和47年)
- 「青い国-四国」のキャッチフレーズが登場する。
- 高徳線の立体化工事が起工する。
- 高松市市民文化センターが竣工する。
- 高松市農業振興地域整備計画が作成される。
[編集] 1973年(昭和48年)
- 高松地区広域市町村圏振興事務組合設立が許可される。
- 高松市政モニター制度発足する。
- 香川・和歌山両県で、し尿の外洋投棄に関する覚書が締結する。
- 高松市総合計画が策定される。
- 高松砂漠と呼ばれる異常渇水が発生する。
- 平和公園(都市計画墓園)が起工する。
- 高知県の早明浦ダムが竣工する。
[編集] 1974年(昭和49年)
- 石油危機に対処するため、高松市資源対策本部が設置される。
- 児童急増に伴い、市立中央小学校が新設される。
- 高松市と水戸市が親善都市提携を結ぶ。
- ヘリコプターによる松食虫防除計画が実施される。
- 香東川河川敷運動場が完成し、無料開放される。
- 高松市ハイキング協会が設立される。
- 消防庁舎が竣工し、高松市消防局、高松北消防署が移転する。
- 三菱石油水島製油所の重油流出事故
- バス優先レーン設置される。
- 中新町地下道が開通する。
[編集] 1975年(昭和50年)
- 第1回高松市市民文化祭が開催される。
- 久本古墳等が高松市文化財に指定される。
- 高松南バイパス(栗林町~上天神~坂出市府中町)が開通する。
- 高松市が福祉モデル都市に指定される。
- 香川用水が本格的な通水を開始する。
- 高松市に「障害児を守る会」が発足する。
[編集] 1976年(昭和51年)
- 高松市の人口が30万人を突破する。
- 中央公園が開園する。
- 広域市町村圏による老人ホーム「ひぐらし荘」が開所する。
- 江戸時代の水道水源である、大井戸の保存工事が完成する。
- 下水道の受益者負担が始まる。
- 高徳線栗林駅周辺の高架工事が竣工する。
- 新庁舎建設に伴い市役所各課が仮庁舎へ移転する。
[編集] 1977年(昭和52年)
- 高松市役所新庁舎が起工する。
- 香川県立高松西高等学校が開校する。
- 高松法務合同庁舎が竣工する。
- 高松南郵便局が竣工する。
- 瀬戸大橋が当面早期完成を図るルートとなる。
- 高松市聾唖協会が発足する。
[編集] 1978年(昭和53年)
- 市民プールが竣工する。
- 高松市文化奨励賞が制定される。
- 高松市文化協会が結成される。
- 香川医科大学が開校する。
- 瀬戸大橋が起工する。
[編集] 1979年(昭和54年)
- 高松市役所新庁舎が竣工する。
- 南部広域清掃センターが竣工する。
- 高松市東消防署が設置される。
- 高松・坂出有料道路の五色台トンネルが竣工する。
- 高松市環境美化都市宣言
- 新空港の候補地が香南地区に決定する。
- 高松市人権擁護対策本部が設置される。
[編集] 1980年(昭和55年)
- 県が空港対策事務所を設置する。
- 県が国体誘致準備室を設置する。
- 高松中央卸売市場管理棟が竣工し、業務を開始する。
- 全国高校総体が開催される。
- 高松市が「高松市民のねがい」を制定する。
- 新高松空港周辺対策協議会(1市・5町)が設立される。
- 高松市中央卸売市場水産物棟が竣工する。
[編集] 1981年(昭和56年)
- 高松地区新広域市町村圏計画の策定される。
- 高松・坂出有料道路が暫定2車線で開通する。
- 香川大学に法学部開設される。
- 高松市水道局庁舎が竣工する。
- 高松国税総合庁舎が竣工する。
- 第2次高松市総合計画が策定される。
- 峰山公園丸山ゾーンが完成し、開園する。
- 財団法人高松市福祉事業団が設立される。
[編集] 1982年(昭和57年)
- 高松市同和対策事業推進会議が設置される。
- 放置自転車対策のための条例を制定される。
- シルバー人材センター高松市高齢者事業団が設立される。
- 高松市総合福祉会館が開館する。
- 高松中央球場が閉場する。
- 生島町に県営野球場が竣工する。
- 東部下水処理場の一部供用が開始される。
[編集] 1983年(昭和58年)
- 高松市の木が「黒松」、高松市の花が「つつじ」に決定する。
- 峰山公園が全面オープンする。
- 日本道路公団高松建設所の開設する。
- 運輸省が新高松空港の設置を告示する。
- カード公衆電話が高松駅に登場する。
- 香川田園テクノポリス構想が発表される。
[編集] 1984年(昭和59年)
- 東瀬戸内海沿岸都市文化交流連絡協議会が発足する。
- 高松・松山間で四国初のデジタル通信が開始される。
- 高松市高度情報化研究会が設置される。
- 四国横断自動車道高松・善通寺間連絡協議会が設立される。
- 香川県高等学校文化連盟の設立が記念式が開催される。
- 高松市非核平和都市宣言
[編集] 1985年(昭和60年)
- 都市対抗源平駅伝が開催される。
- 源平屋島合戦800年記念源平フェスティバルが開催される。
- 高松自動車道の区間路線が発表される。
- 民営化により、NTTとJTが発足する。
- 御殿浄水場が水道百選に選定される。
- 新高松空港が起工する。
- 高松市がテレトピアに指定される。
[編集] 1986年(昭和61年)
- 国体開催のため香川県準備委員会の設立総会が行われる。
- 太田第二土地区画整理事業計画が決定される。
- 高松市美術館が起工する。
- 国鉄の高松・観音寺・琴平間の電化工事が起工する。
- 中央通りが日本の道百選に選ばれる。
- 高松市で四国で初の情報公開制度がスタートする。
- 高松市総合体育館が開館する。
[編集] 1987年(昭和62年)
- 電化された国鉄予讃線・土讃線で営業が開始される。
- 高松市インテリジェント・シティ構想の指定を受ける。
- 国鉄が分割民営化され高松市にJR四国が設立される。
- 瀬戸大橋道路名称を「瀬戸中央自動車道」に決定する。
- 御殿浄水場内に高松市水道資料館が開館する。
- 国際赤潮シンポジウムが高松市で開催される。
- 四国横断自動車道高松・善通寺間が起工する。
[編集] 1988年(昭和63年)
- 瀬戸大橋博開幕する。
- 西部広域クリーンセンターが竣工する。
- 宇高連絡船終航
- 瀬戸大橋が開通する。
- 高松城築城400年祭が開催される。
- 10都市で瀬戸内海沿岸都市会議が開催される。
- 仏国ツゥール市と姉妹都市提携盟約書に調印する。
- 高松市美術館が開館する。
- 第3次高松市総合計画が策定される。
[編集] 1989年(昭和64年)
[編集] 平成
[編集] 1989年(平成元年)
- 乳がん検診が開始される。
- 高松市在宅福祉サービスが開始される。
- 市役所の土曜閉庁(第2・第4土曜日)が始まる。
- 高松市が都市景観形成モデル都市の指定を受ける。
- 高松市で全国高校総体が開催される。
- 高松東道路が起工する。
- 新高松空港が開港する。
[編集] 1990年(平成2年)
- 高松市がハイビジョン・シティ構想モデル都市に指定される。
- 高松市国際交流協会が設立される。
- 第48回国体の高松市実行委員会設立総会が開催される。
- 中国南昌市との友好都市提携議定書に調印する。
- 図書館・歴史資料館が起工する。
- 日本女性会議’90たかまつが開催される。
- 高松市市制施行100周年記念式典が開催される。
[編集] 1991年(平成3年)
- 香川インテリジェントパーク計画の県図書館等が起工する。
- 高松市で全国高等学校総合文化祭が開催される。
- 高松港頭地区整備の港湾地区整備が起工する。
- 高松市ゴミ会議が設置され、平成5年7月に最終報告が出される。
- 市民課証明模写電送制度が開始される。
[編集] 1992年(平成4年)
- 斎場公園が開園する。
- 高松自動車道の高松・善通寺間が開通する。
- 四国初の国際定期空路である高松・ソウル便が就航する。
- 高松市ユースホステルが休館する。
- 高松消防局に香川県下初の救急救命士が誕生する。
- 高松市図書館、歴史資料館、菊池寛記念館が開館する。
[編集] 1993年(平成5年)
- 香川中央拠点都市地域整備推進協議会が設立される。
- 高松市違法駐車防止対策推進協議会が設立される。
- 高松市が人権尊重都市宣言を発表する。
- 瀬戸内少年少女洋上セミナーが実施される。
- 高松港湾地区(再開発)の愛称が「サンポート高松」に決定する。→のちに正式な町名「高松市サンポート」が誕生する。
- 第48回国民体育大会夏季大会が開催される。
- 第48回国民体育大会秋季大会が開催される。
[編集] 1994年(平成6年)
- 高松市廃棄物減量等推進審議会が発足する。
- 福岡下水処理場から下水処理水の供給が開始される。
- 水不足が深刻化し給水制限が行われる。
- 保健センター、夜間急病診療所が開館する。
- 高松市が地域情報化計画を策定する。
- 駐車場案内システムの供用が開始される。
[編集] 1995年(平成7年)
- 阪神・淡路大震災が発生し、高松市でも震度4を記録する。
- 高松市障害者施策に関する新長期行動計画が策定される。
- 高松市リサイクルプラザが開館する。
- 文化センター内に平和記念室が開館する。
- 女性センター・錦町会館が開館する。
- 第1回高松市民スポーツフェスティバルが開催される。
[編集] 1996年(平成8年)
- 高松市行政改革計画が策定される。
- 中央病院・高松赤十字病院で院内学級が開始される。
- 西日本中央連携軸沿線都市連携推進協議会が設置される。
- 高松市が(株)ケーブルメディア四国に出資する。
- 高松市ホームページ「もっと高松」が開設される。
[編集] 1997年(平成9年)
- 片原町駅西第3街区市街地再開発組合が設立される。
- 衛生処理センター中継所の供用が開始される。
- 瓦町駅ビルが竣工する。
- 高松市環境美化条例が施行される。
- 第12回国民文化祭・かがわ’97が開催される。
- 高松市が男女共同参画都市宣言を発表する。
[編集] 1998年(平成10年)
- 高松市公共施設利用総合情報システムが稼動する。
- 行政情報化計画が策定される。
- 高松市鬼ヶ島おにの館が開館する。
- サンネット高松連携推進協議会が設立される。
- レインボーロードが竣工する。
- 全国高等学校総合体育大会が開催される。
[編集] 1999年(平成11年)
- 高松市環境基本計画が策定される。
- 節水ウィークが実施される。
- 高松市個人情報保護条例が施行される。
- 高松市が中核市に移行する。
- 外部監査制度が導入される。
- 高松市保健所が開設される。
- 秋田県矢島町と友好都市協定を締結する。
- 新・高松総合計画基本構想が市議会の議決を得る。
[編集] 2000年(平成12年)
- 高松市役所庁内LAN整備が完了する。
- 片原町駅西地区再開発ビルが起工する。
- 高松琴平電鉄連続立体交差事業が認可される。
- 地方分権一括法が施行される。
- 24時間放送の市政情報チャンネルが高松ケーブルテレビに設置される。緊急時は避難情報等を提供する。
- 市制施行110周年記念式典が行われ、中西太氏が市民栄誉賞を受賞する。
[編集] 2001年(平成13年)
[編集] 2002年(平成14年)
- 日本書紀に記載されている屋嶋城跡が確認される。
- 生涯学習センターが開館する。
- 住民基本台帳ネットワークシステムが稼動する。
- 屋島が読売新聞「遊歩百選」に選ばれる。
[編集] 2003年(平成15年)
- 高松市文化芸術財団が設立される。
- 高松自動車道が全線開通する。
- 香川大学と香川医科大学が統合する。