高松琴平電気鉄道
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種類 | 株式会社 |
略称 | 琴電、コトデン、ことでん、高松琴平電鉄 |
本社所在地 | 760-0073 香川県高松市栗林町二丁目19番20号 |
電話番号 | 087-863-7721 |
設立 | 1943年11月1日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業 |
代表者 | 代表取締役社長 真鍋康彦 |
資本金 | 2億5,000万円 |
売上高 | 36億9,400万円(2005年3月期実績) |
決算期 | 毎年3月 |
主要株主 | 真鍋康彦 15.0% 四国電力 15.0% 加藤義和(加ト吉社長) 12.5% カトーサービス 12.5% 穴吹工務店 10.0% |
主要子会社 | ことでんバス 100% (連結子会社) 四国高速バス (持分法適用会社) 徳島西部交通 100% ことでんサービス |
外部リンク | www.kotoden.co.jp/publichtm/kotoden/ |
高松琴平電気鉄道株式会社(たかまつことひらでんきてつどう、英称:THE TAKAMATSU-KOTOHIRA ELECTRIC RAILROAD Co.,Ltd.)は、香川県に3つの路線を持つ鉄道会社である。本社は香川県高松市栗林町二丁目19番20号。グループキャッチフレーズは「うみ・まち・さと - 心でむすぶ」。
目次 |
[編集] 概要
太平洋戦争中の1943年11月1日、いわゆる戦時統合で、高松市周辺の鉄道事業者が合併して誕生した。直後に、同じく高松市周辺のバス事業者を吸収している。
空襲による市内線の焼失、その代替として高松築港までの路線延長を行うなどの結果、1950年代前半に現在の鉄道路線網ができあがった。以降、琴電グループの中心として、鉄道事業・バス事業などを行っていた。また1970年代には流通事業、ホテル業にも進出している。なお、バス事業は1985年に子会社の高松バス(現在のことでんバス)に譲渡している。
転機となるのは、鉄道3線の拠点である瓦町駅の近代化計画である。1970年代に構想が持ちあがったもので、駅ビルを建設し百貨店を開くというものである。しかし、諸般の事情により具体化するのは1980年代後半に入ってからとなり、着工は1993年のことだった。 結局、竣工は1997年となった。そして、そごうグループと提携し、「コトデンそごう」を設立・開店した。しかし、バブル経済期の甘い見通しのもとに立てられた収支計画、ならびに2000年のそごうグループ破綻の余波を受け、コトデンそごうは民事再生法の適用を申請し閉店する。その同社への債務保証が原因で高松琴平電鉄は経営難に陥り、2001年12月に子会社のコトデンバス(現在のことでんバス)とともに民事再生法適用を高松地裁に申請、事実上倒産した。結果、琴平電鉄時代からの経営者である大西一族は退陣、代わりに香川日産グループや地元の大手食品メーカー「加ト吉」などの支援を受け、経営再建することになった。この、再生計画は2006年3月に終了した。
かつては琴電(ことでん)・TKR、後に片仮名書きのコトデンの愛称で親しまれていたが、民事再生法適用申請後、イメージを一新するためにことでんと平仮名書きに改めた。
また、2005年2月2日には中・四国地方の鉄道・バスでは初となる非接触式ICカードシステムIruCa(イルカ)が導入(ことでんバスも同時に導入)された。
[編集] 歴史
琴平電鉄
- 1924年7月28日 琴平電鉄設立。
- 1926年12月21日 栗林公園~滝宮間が開業。
- 1927年3月15日 滝宮~琴平(現在の琴電琴平)間が開業。
- 1927年4月22日 高松(現在の瓦町)~栗林公園間が開業。全通。
- 1938年5月1日 塩江温泉鉄道(仏生山~塩江)を合併。塩江線とする。
- 1941年5月10日 塩江線を廃止。
東讃電気軌道、四国水力電気、讃岐電鉄
- 1910年5月1日 東讃電気軌道設立。
- 1911年11月18日 今橋~志度(現在の琴電志度)間が開業。
- 1913年10月15日 出晴~今橋間が開業。
- 1915年4月22日 公園前~出晴間が開業。
- 1916年12月25日 四国水力電気が東讃電気軌道を合併。四国水力屋島遊覧電車と呼称。
- 1917年5月20日 市内線 高松駅前~公園前間が開業。列車は既開業区間と直通。
- 1917年7月14日 市内線 築港前~高松駅前が開業。
- 1942年4月30日 電力統合に伴い四国水力電気が解散。鉄道事業は讃岐電鉄が設立され引き継ぐ。
高松電気軌道
高松琴平電気鉄道
- 1943年11月1日 讃岐電鉄・琴平電鉄・高松電気軌道が合併し高松琴平電気鉄道が発足。讃岐電鉄の路線が志度線および市内線、琴平電鉄の路線が琴平線、高松電気軌道の路線が長尾線となる。
- 1943年12月1日 バス16社と八栗登山鉄道のバス部門を合併。
- 1945年1月26日 国の命令により志度線 八栗~志度間を休止、資材供出。
- 1945年7月4日 高松空襲により市内線・志度線の築港前~公園前~出晴間が不通となり休止に。
- 1945年7月30日 志度線、長尾線は空襲で焼失した出晴駅を廃止し瓦町駅を起点に変更。
- 1948年2月18日 築港線 片原町~琴電高松(現在の瓦町)間が開業。列車は琴平線が直通。
- 1948年12月26日 築港線 高松築港(仮駅)~片原町間が開業。
- 1949年10月19日 志度線 八栗~琴電志度間を復旧し営業再開。
- 1951年12月26日 長尾線 瓦町~花園間を現在線に変更。
- 1955年9月10日 築港線 高松築港駅を本駅に移転。
- 1957年1月8日 市内線の築港前~公園前間を正式に廃止。
- 1957年8月15日 志度線の公園前~瓦町間を正式に廃止。
- 1964年3月 出晴検車場 設置
- 1969年2月 出晴検車場を瓦町検車区に変更。今橋工場を閉鎖。
- 1976年8月1日 志度線 今橋~松島二丁目間で列車衝突事故が発生。
- 1977年11月 今橋工場跡地に今橋検車区を開設。瓦町検車区を廃止、留置線化。
- 1979年3月1日 志度線にATS設置され全線設置完了。
- 1986年4月 バス事業を高松バスに譲渡。高松バスはコトデンバス(現在のことでんバス)に改称。
- 1994年6月26日 瓦町駅改良工事着工。志度線は長尾線・琴平線と線路が切り離される。代わりに長尾線の列車が築港線に直通。
- 1996年12月21日 瓦町新駅舎完成。
- 1997年4月 350億円の債務保証を行い、瓦町駅ビルにそごうグループと提携した百貨店の「コトデンそごう」を開業。
- 2000年7月12日 そごうグループが破綻。
- 2001年1月22日 コトデンそごうが高松地裁に民事再生法を申請
- 2001年7月23日 コトデンそごう閉店。
- 2001年9月1日 コトデンそごうの後継テナントとして高松天満屋が瓦町駅ビルに入居。ただし賃貸料はコトデンそごう時の半分以下。負債吸収ならず。
- 2001年12月7日 高松地裁に民事再生法適用を申請。
- 2002年7月 高松地裁から再生計画の承認を受ける。
- 2002年8月8日 香川日産自動車前社長の真鍋康彦が社長に就任、新体制が始まる。
- 2005年2月2日 非接触式ICカードシステムIruCa(イルカ)導入(これに伴い紙の回数券、及び鉄道における紙の定期券は全廃)。
- 2006年3月 民事再生法に基く再生計画が終了。
[編集] 今後の予定
[編集] 路線
[編集] 現有路線
全線が軌間1435mm、電気動力(直流1500V)使用である。 路線が全て讃岐平野に存在するため、一切トンネルが存在しない。
なお、旅客サービス向上および駅員人件費削減のため、国土交通省の鉄道軌道近代化設備整備費補助金制度(通称近代化補助)と、香川県および周辺自治体の補助により、列車運行管理システム(CTC)を全線で導入、運転扱いを行う駅長を大幅に削減した。
[編集] 廃止路線・区間
※前身各社の廃止路線も含む。
[編集] 車両
[編集] 総説
2006年12月現在、旅客車86両(琴平線用21編成42両、長尾線25両、志度線19両)、業務用車両2両の計88両を保有する。琴電を構成した各社は車両を自社発注していたが、琴電成立後は一部を除き他社からの譲渡車両が投入されている。ファンの間では通称「動く電車の博物館」とさえ呼ばれていた。
これは戦後復興期以降、1970年代中盤まで、一貫して輸送力の増強を行う必要があり、いわば「質より量」が求められていたためである。 それでも琴平線では、暫時車両の代替とある程度の車種統一が行われ、1970年代~1980年代前半は元名古屋鉄道および阪神電気鉄道、三岐鉄道の車両が投入された。1985年以降は元京浜急行電鉄および京王帝都電鉄の車両が投入され、冷房化100%を達成した。
一方、長尾線・志度線は路線規格の問題で、18m級以上の車両の入線が不可能だった。この為、大手私鉄から小型車両が淘汰された1980年頃を境に代替が止った。ゆえに、平成時代になっても戦前~昭和20年代に製造された車両で運行されていた。しかし、冷房化・近代化推進の為に1998年以降名古屋市交通局の車両を京王重機整備経由で導入し、車両の近代化と車種統一を急速に進めた。しかし車輛の確保ができず、結局、旧型車を全て置きかえることはできなかった。
そのため、2000年代中盤の民事再生法適用下での経営方針策定で、長尾線に関しては路線改良を行い、中型車の導入を行なうことになった。余剰となった長尾線の冷房付き小型車の一部は志度線に転用する。これにより両路線の旧型車の淘汰および全車輛の冷房化が実現する。
長尾線の改良工事は2006年に竣工し、数編成の中型車が既に投入されている。2007年度中に完了の予定である。
なお、同じ頃に合理化案として列車のワンマン化を検討していたが、採算が疑問視された事から駅の無人化と引き換えに廃案となった。
[編集] 機器面での特徴
- 総括制御
- ラッシュ時と昼間の輸送量の差が大きいため、車両の増解結が頻繁に行われる。このため、原則として、どの車両同士でも連結運転が可能なようになっている。そのために生まれたのが、手動加速制御車と自動加速制御車の総括制御である。これは、自動加速車も手動加速車の主幹制御機を使用し、ノッチ段数を統一することで実現した。手動加速車の直列制御ノッチは5段(志度・長尾線は4段)、並列制御ノッチは4段(志度・長尾線は3段)で、自動加速車もこれに合わせている。自動加速車は第1段で「起動」、第2~5(4)段ではどこでも「直列制御」、第6(5)~9(7)段ではどこでも「並列制御」としており、自動加速車の実質マスコン段数は3段分としてある。自動加速車のみで運転する場合は並列制御の最低段数までマスコンを回せば直列→並列制御と自動進段するが手動加速車を併結した場合、手動加速制御車に操作を合わせる。操作は手動加速になるが自動加速車両は自動的にそれぞれの最終段まで進段する。そのため最初は起動加速力の良い手動加速車が威力を発揮し、手動加速車が並列最終段まで達した後は高速性能の良い自動加速車が力を発揮するといった運転も行われる。
- また、ブレーキはSME(非常弁付直通空気制動)に電磁給排弁を付加して応答性の向上と長大編成化への対応を実現した電磁SME、ブレーキシューは鋳鉄製に統一されている。もと発電制動併用電磁直通制動(HSD-D)の場合はセルフラップ機能のカット(ブレーキハンドルの三方弁方式への交換)を行い、電磁SME-Dとしている。電磁SME制動で発電制動を使用した場合、発電制動が失効すると減速力が半減するが鋳鉄シューを用いることでブレーキ力の半減を防止している。(鋳鉄シューの場合、低速域での減速性能が良いため)。また、空気圧縮機も自動加速車はC-1000形、手動加速車はDH-25形でそれぞれ統一されている。
- 台車・主電動機の交換
- 車掌スイッチ(客用扉の開閉用)
- 他の鉄道と操作が逆(「開」はドラムスイッチを上から下、「閉」が下から上)である。
[編集] 車番
合併の際に、長尾線車両を20~30番台に改番したほかは、もとの事業者での車番をそのまま使用した。これが元で、長尾線・志度線車両が00~99、琴平線車両が100以降という法則ができあがった。(いずれも4*は欠番)
うち、琴平線では琴平電鉄時代の方式を踏襲し、形式より車番が1桁小さく、かつ2桁目が進む独特の車番体系が用いられた(例えば1000形の車番が110、120、130…となる)。1960年頃を境に新規導入の車両形式は車番と同じ3桁となったが、2桁目が増える方式は相変わらずだった。
一方、10000形1001-1002以降、固定編成で入線した車両、および18m級以上の車両は、1000番台の車番が振られている。 こちらは1桁目が増えて行く普通の方式である。形式も10000と12000を除き、車番と同じ4桁である。
長尾線・志度線は10番単位で形式を振り、その中で1桁目が続番となる至って普通の方式が用いられた。 しかし、使える車番が00~99と余裕がないため、ある形式が消滅後すぐに2代目(3代目)として同一形式・車番が振られる事態が多発した。結局、600形の入線時にこの法則はなくなっている。
なお、琴平線と長尾線・志度線の間を転属した車両については、この限りではない。
[編集] 現存形式
冷房車、非冷房車の別で形式番号の小さい順に列記する。
[編集] 琴平線
全車冷房車(2両編成)・21編成42両
- 1070形 - 元、京急600形 (2代) 3編成6両
- 1080形 - 元、京急1000形 (初代) 6編成12両
- 1100形 - 元、京王5000系 4編成8両
- 1200形(1200番台) - 元、京急700形 (2代) 8編成16両
[編集] 長尾線
[編集] 冷房車(2両編成)
10編成20両
- 600形(0番台) - 元、名古屋市営地下鉄250形・700形・1000系列中間車 6編成12両
- 700形(0番台) - 元、名古屋市営地下鉄300形・1200形 1編成2両
- 1200形(1250番台) 3編成6両
[編集] 非冷房車
5両
- 60形 - 元、東急クハ5100形←京浜電気鉄道29号形 1両
- 1000形・3000形・5000形 - 琴平電鉄自社発注車 4両
[編集] 志度線
[編集] 冷房車
16両
- 600形(620番台) 5編成10両
- 600形(800番台) 4両
- 700形(720番台) 1編成2両
[編集] 非冷房車
3両
[編集] 事業用車両
- デカ1形(電動貨車)
- 13000形(無蓋貨車)
[編集] 消滅形式
最終配置線区別、琴電及び前身事業者での入線順に列記する。
[編集] 琴平線
- 11000形 - 元、国鉄ワフ25000形
- 10000形 - 自社発注車
- 12000形 - 元、国鉄モハ1200形・クハニ7200形←93形・95形←富士身延鉄道モハ100形・クハユニ300形
- 1010形 - 自社発注車
- 8000形・820形 - 元、国鉄クハ5610形←豊川鉄道クハ100形
- 950形 - 元、国鉄オハ31形客車
- 1020形 - 元、名鉄3700系 (2代)
- 1050形・1053形・1060形 - 元、阪神5001形・5231形・5101形
- 1013形・1063形 - 元、三岐鉄道モハ120形・130形
[編集] 長尾線・志度線
- 01形 - 東讃電気軌道自社発注車
- 変1形 - 東讃電気軌道自社発注車
- 20形 (初代) - 高松電気軌道自社発注車
- 30形 (初代) - 高松電気軌道自社発注車
- 50形 (初代) - 四国水力電気自社発注車
- 7000形→880形・9000形 - 元、東武←総武鉄道モハ1000形・クハ1200形
- 70形 (初代) -元、東急クハ5100形←京浜電気鉄道29形、および山陽電気鉄道1000形
- 80形 (初代) - 元、山陽36形
- 20形 (2代) - 元、京急デハ110形
- 2000形 - 元、国鉄←宮城電気鉄道クハ301←サハ301形
- 6000形 - 元、国鉄1形・6形←15形・10形←23500形・33500形
- 920形 - 元、山陽100形
- 10形・90形 - 元、京急クハ120形←東急5120形←京浜電気鉄道41形
- 30形 (2代)・50形 (2代) - 元、阪神881形
- 850形 - 元、国鉄クハ6010形←南武鉄道クハ250形
- 750形 - 元、玉野市←備南電気鉄道モハ100形
- 70形 (2代)・80形 (2代) -元・東濃鉄道モハ100形・クハ200形(一部は←日本国有鉄道←南武鉄道モハ100形)
- 780形→860形 - 元、山形交通三山線モハ111形←西武モハ221形(クハ1221形)
- 740形→890形 - 元、山形交通高畠線モハ4←西武クモハ151形←クハ1151形
[編集] 保存車両
廃車後は、殆どの車両が解体処分されていた。が、2000年代に入り第三者の手で静態保存された事例がある。
- 62号:さぬきこどもの国(高松市香南町由佐)
- 760号:玉野市総合保健福祉センター(通称・すこやかセンター 岡山県玉野市) 玉野市電保存会による保存。
- 335号(予定):道の駅「源平の里むれ」(仮称 高松市牟礼町原)
[編集] 民事再生法申請後の主な合理化およびサービス向上施策
- CTCの導入。
- ほとんどの駅から運転業務を行う駅長がいなくなり、駅管理の責任者はサービス責任者などと呼称されている。
- IruCaの導入
- 冷房化推進のため新型電車の導入し旧型電車(非冷房車)の淘汰
- 鉄道ファンからは根強い反対があり残念との声も多く聞かれたが、高松市などが実施したアンケートなどでも、利用者からは冷房が付いていない旧型車両への不満は高く、安全性の確保からもやむを得ない施策であった。
- 駅業務の委託化、有人駅の駅員業務時間短縮、有人駅の駅員無配置化。
- 乗車券発売業務委託をほぼ全廃し、自動券売機での発券に変更。
- 無人駅に自動券売機(簡易型)を導入。
- 駅員の契約社員から、車掌・運転士を積極採用。
- 現在女性車掌も在籍。
- 企画乗車券「ことでんフリーきっぷ」などの発売。
- 駅の改装
- 特にトイレのリフォームには力を入れた。
[編集] 関連会社
- ことでんバス(連結子会社)
- 徳島西部交通
- 四国高速バス(ことでんバスが株式の33.3%保有、持分法適用会社)
- ことでんサービス
- ことでんタクシーは同社の一部門。2004年に旧・コトデンタクシーとビルメンテナンス業の北四国総業が合併。駅業務の受託も行っている。女性駅員を積極的に採用していることで知られる。
- 高松グランドカントリークラブ
- 屋島ドライブウェイ
[編集] 元関連会社
- 屋島登山鉄道(屋島ケーブル)
- 2004年10月(正式廃止は2005年8月)まで屋島でケーブルカーの運営を行っていた。
- 新屋島水族館 - 旧・屋島山上水族館(株式会社屋島水族館)
- コトデントラベルサービス
- 本体の民事再生法申請前に事業休止。なお、ことでんバスの「バスツアー」は、ことでんバスを主催旅行会社とする主催旅行として、愛称「ハートツアー」として現在も催行中。
- コトデンそごう
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ことでんグループホームページ
- ことでんホームページ
- 高松琴平電鉄連続立体交差事業(財政難のため休止中)