バックスクリーン3連発
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バックスクリーン3連発(-さんれんぱつ)とは、1985年4月17日に阪神甲子園球場で行われたプロ野球、阪神タイガース対読売ジャイアンツとの試合で当時の阪神タイガースのクリーンナップ、3番ランディ・バース・4番掛布雅之・5番岡田彰布が7回裏の攻撃時、ジャイアンツの投手槙原寛己から3者連続でバックスクリーンへホームランを放った出来事である。
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[編集] 概要
この3連発は厳密には掛布のホームランはバックスクリーンから若干左寄りに外れたため掛布は賞金をもらい損ねている。しかし、現在でも3者連続ホームランは度々発生しても、このように同じ方向へ、かつ一番飛距離が必要なバックスクリーンへの3連発というのは起こっていないため、阪神ファンでなくとも「バックスクリーン3連発」と聞かれればこの事例を思い浮かべる人は多い。
2006年現在、バックスクリーン3連発が生まれた1985年からまだ20年ほどしか経っていないことやこの年以来阪神は日本一からは遠ざかっているため、現在でもかつての映像が度々流されたりしており、特に30代前半以上の阪神ファンの間ではこのバックスクリーン3連発は常識となっている。
また、3者連続の被弾を受けた読売ジャイアンツの投手・槙原寛己は、14年後の1999年には当時タイガースに在籍した新庄剛志から敬遠球をサヨナラヒットにされてしまったことがある。これらの印象に残る打たれ方をしたためか阪神が苦手というイメージを持たれることもあるが、実際のところは真逆で阪神戦を得意にしている(阪神戦38勝10敗、その他の4球団相手に121勝118敗)。「苦手投手を打った」ということが、これらの事例を語り継がせる一助になっている向きもある。
開始時刻午後6時20分~終了時刻午後9時20分(所要時間3時間)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
G | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 5 |
T | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | x | 6 |
[審判]山本文(球)谷 福井 久保(塁)松下 太田(外)
[編集] 平成の3連発
阪神では2003年5月9日にもバックスクリーンではないが横浜ベイスターズ投手吉見祐治から4番濱中おさむ・5番片岡篤史・6番ジョージ・アリアスとレフト方向に三者連続ホームランが生まれているため、バックスクリーン3連発を「昭和の三連発」、2003年の3連発を「平成の三連発」として分けることもある。3連発があった両年にはチームは優勝している。
なお、この日、マスメディアは上記「昭和の3連発の再来(=優勝だ)」と興奮気味にチーム関係者に取材していたところ、星野仙一監督に一喝されている。星野にしてみれば、チームが浮足立つのを防ぐ意味合いがあったとみられる。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
T | 5 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 |
YB | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 |
[審判]橘高(球)
[編集] 平成の3連発の翌日
「平成の3連発」の翌日(5月10日)の横浜戦3回表、阪神タイガースは藤本敦士が1塁線セーフティーバント、下柳剛が送りバント、今岡誠が2塁セーフティーバントを決め、3者連続バントを成功させた。しかもすべて初球である。続く赤星憲広が初球をセンター前にヒットし、イニングが始まってわずか4球で1点を奪った。後続の金本知憲、濱中治も追加点を挙げて逆転し、そのまま勝利した。阪神の星野仙一監督は、ホームラン3連発と同じくらい相手投手に与えるダメージは大きいと述べている。
[編集] 関連項目
- 山本文男(昭和の3連発の試合で球審)
- 谷博(同じ試合で1塁塁審)
- 福井宏(同じ試合で2塁塁審)
- 久保友之(同じ試合で3塁塁審)
- 植草貞夫(同じ試合で実況担当)
- 橘高淳(平成の3連発の試合で球審)
- 楠淳生(同じ試合で実況担当)