ビルギット・ニルソン
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ビルギット・ニルソン(Birgit Nilsson, 1918年5月17日 - 2005年12月25日)はスウェーデンのソプラノ歌手。ニルソンはマルメから100キロ北にあるヴァストラ・カルップス(Västra Karups)で生まれ、本人の回想によれば歩き出す前から歌い始めていたという。彼女は教会の聖歌隊で歌った後、ストックホルムの王立音楽院で学んでいる。
1946年にストックホルムのスウェーデン王立歌劇場において、ウェーバーの歌劇『魔弾の射手』のアガーテ役を歌ってプロ・デビューを飾り、その翌年には指揮者フリッツ・ブッシュの息子で演出家のハンス・ブッシュの抜擢を受けヴェルディの『マクベス』のマクベス夫人役を歌い大成功をおさめる。1951年にはイギリスのグラインドボーン音楽祭に招かれ、モーツァルトの歌劇『イドメネオ』のエレットラを歌った事で国際的な知名度を獲得、1954年にはミュンヒェンでワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』のブリュンヒルデ役を初めて歌い、同年にはバイロイト音楽祭に初招聘され、『ローエングリン』のエルザ役を歌うなどワーグナー歌手としての地歩を固めて行く事になる。バイロイトには1970年まで出演を続ける一方、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ロンドンはコヴェントガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスなど世界の有名歌劇場に相次いで出演している。
1956年にはサンフランシスコ歌劇場でワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデを歌ってアメリカ・デビューを飾り、1959年にはやはりイゾルデを歌ってニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビューし、その後もメトロポリタン歌劇場に多く来演している。彼女の圧倒的な声量を伴うドラマティックな歌声は特にワーグナーとの相性が良く、戦後最大のワーグナー・ソプラノとしてキルスティン・フラグスタートの後継に擬せられるようになっていく。
ニルソンとやはり戦後最大のヘルデン・テノールとして知られたヴォルフガング・ヴィントガッセンの組み合わせは、当時最高の呼び物として世界中に知られていたが、ニルソンはワーグナーばかりを歌っていたという訳でもなく多くのドラマティックソプラノのレパートリーを手がけており、多くの録音も残されている。代表的な役を挙げるとレオノーレ、アイーダ、トゥーランドット、トスカ、エレクトラそしてサロメなど枚挙に暇がない。
彼女はイギリスのレコード会社、デッカ(Decca)によって製作・発売され、ジョン・カルショープロデュース、ゲオルグ・ショルティがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した『指環』でもブリュンヒルデを歌っている事に象徴されるように、彼女はステレオ録音が開発され、レコード会社が競ってレパートリーをステレオで再録音していた時期にワーグナー・ソプラノの代表格の地位にあった事で、直接彼女の実演に接した事のないリスナーにも大きな存在として君臨している。
1967年には大阪国際フェスティバル(バイロイト音楽祭の引越し公演)でピエール・ブーレーズらと初来日、前出のヴィントガッセンとのコンビで見事なイゾルデを演じている。その後1979年には読売日本交響楽団のソリストとして、1980年にはウィーン国立歌劇場に帯同して来日、この時はエレクトラを演じている。ニルソンは1984年に現役を引退し、2005年のクリスマスに生地ヴァストラ・カルップスで87年の生涯を閉じた。
[編集] ニルソンをめぐる逸話
ニルソンの強靭な声、率直な人柄は多くのユーモラスな逸話を残した。
- お気に入りの役柄は何かと尋ねられて曰く「イゾルデとトゥーランドット。イゾルデは私を有名にしてくれ、トゥーランドットは金持ちにしてくれたわ」
- メトロポリタン歌劇場(メト)のマネージャー、ルドルフ・ビングは「ニルソンは仕事をし難い歌手ですか」と聞かれ、「とんでもない。彼女は機械みたいなものさ。カネをたっぷり突っ込めば、素晴らしい歌声が出てくる」
- 一方、ニルソンは納税申告書類に記すべき扶養家族の有無を問われて「たった一人ね。『ルドルフ・ビング』」
- 名テノール、フランコ・コレッリとの組み合わせでの、メトでの『トゥーランドット』第2、第3幕での高音の競演もまた有名だった。ある夜、ニルソンは第2幕でコレッリより長く高音を保つことに成功、満場の喝采を集め、コレッリは憤慨した。
- 一説には、コレッリのカラフ王子は続く第3幕フィナーレの二重唱で、ニルソンのトゥーランドット姫に接吻するかわりに、彼女の耳に噛み付いたという。ニルソンは次回の公演を「狂犬病に感染したので」といってキャンセルした。
- 別バージョンの逸話。その後コレッリは第3幕のアリア「誰も寝てはならぬ」を素晴らしく歌い上げ、聴衆の支持を取り戻した。引き続く二重唱でトゥーランドット姫が「私の栄光の日々は終わった(La mia gloria è finita.)」と歌い、カラフ王子が「いいや、それは今から始まるのだ(No! Essa incomincia!)」と応じるべきところ、コレッリは「そう、これでもう終わりだ(Si! Essa finisce!)」と歌ったという。
- ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮ばかりでなく演出も行う『トリスタンとイゾルデ』にニルソンも参加した。
- ピアノ・リハーサルにやってきたニルソンの真珠のネックレスが切れ、真珠が四方に散乱してしまい、みんなで協力して拾い集めた。一段落してカラヤンが「君のメトの法外なギャラでしか買えない、素晴らしい真珠なんだろうねぇ」、ニルソン応えて曰く「いいえ、これはカラヤンさんに横取りされるので雀の涙ほどでしかない、このウィーンのギャラでも買える模造品よ」
- そのカラヤン演出の舞台リハーサル。照明を落とし暗闇のような舞台だったので、ニルソンはヘッドランプ付きのヘルメットをかぶって登場した。
カテゴリ: ソプラノ歌手 | スウェーデンの声楽家 | 1918年生 | 2005年没