下士官
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下士官(かしかん、英語:Non-commissioned officerまたはPetty officer)は、軍隊の階級区分の一。士官の下、兵の上に位置する。多くの場合、定年制か、または兵より長期の任期制である。
目次 |
[編集] 総説
下士官は、士官の下にあって、主に小部隊・部署を指揮する階級である。徴兵制軍隊の場合は、兵卒は国民の義務として勤めるもので、下士官以上が職業軍人とされることが基本である。もっとも、その位置付けは当該国の官吏制度によって異なるが、多くの国では雇員・傭人の扱いであるが、日本の陸海軍省においては判任官とされた。
兵からの叩き上げで任じられるのが基本である。一般に、陸軍では小隊長の補佐や分隊長を務める。また、海軍では技術の専門家として士官の指揮に従って技術を掌り、また水兵を指導することになる。軍隊の背骨と言われ、兵からは士官より恐れられることもある。もっとも、士官候補生が下士官の階級を指定されたり、技術者が入営して技術担当下士官となることもある。
士官は、各国軍で類似の区分(将官・佐官・尉官に大別され、さらに大・中・少に区分される)がされているが、下士官の区分は、地域、時代または軍種により差異が大きく、対応関係を論じるのは困難である。大日本帝国陸軍の階級は1905年以降、曹長・軍曹・伍長の3つに大別されたことから、外国の下士官の階級を翻訳するに当たっては同じ区分によるものも多い。
「武力攻撃事態において捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」では、捕虜となった場合の下士官の業務について定められている。捕虜となった下士官は、捕虜の業務を課せらることがあるが、兵と異なり監督者としてのものに限られている。
近年の軍事組織においては、インターネットをはじめとする、情報技術の革新によって、従来のピラミッド型組織の形態に大きな変革を及ぼしつつある。これらの技術革新により、小組織の効率的な運営と、ミクロ的視野、マクロ的視野の境界の不鮮明化により、人類が生み出す組織形態に一大異変を生じている。よって熟練した現場指揮官による戦略的視野に立った行動の決断が可能になり、軍事組織における下士官(自衛隊の曹階級)は、存在意義を飛躍的に向上した。アメリカ軍では軍事における革命を理論レベルから、現実のものとし、トランスフォーメーションを実現しつつある。自衛隊においては、先任伍長制度の採用と、一般曹候補学生の制度の精鋭化を目指し、高齢化社会国家のなかでの組織の活性化に試行錯誤をしている。
[編集] 大日本帝国陸軍
[編集] 兵科の下士官
1877年(明治12年)10月10日改正の陸軍武官官等表によると、工長等を除く兵科の下士(当時は「下士官」ではなく「下士」と呼称されていた。)は、曹長一等、曹長二等、軍曹一等、軍曹二等、伍長一等、伍長二等の6階級に分類されていた。その後、伍長の官名が廃止されると共に区分が簡略化されて、曹長(判任官2等)、一等軍曹(判任官3等)、二等軍曹(判任官4等)の3階級とされた[1]。明治32年12月1日に、「伍長」の名称を復活させ、旧「一等軍曹」を「軍曹」と、旧「二等軍曹」を「伍長」とそれぞれ改称した[2]。
1874年(明治7年)10月31日当時の常備兵満員の場合の部隊の下士の総員は約6,484名とされていた[3]。また、この当時の下士の服役期限は7年であった[4]。この頃は陸軍教導団が下士養成を担った。
二等卒(昭和7年以降は二等兵)として徴兵された場合、一等卒(昭和7年以降は一等兵)までは自動的に昇級するが、上等兵以上は選抜によって昇級することとなる。判任官たる伍長以上となると勤続年数が20年以上に及んだ場合、叙位叙勲の栄誉を受ける機会もあり、また明治37年3月2日には、伍長任官6年以上勤続し、かつ勤務成績が優良なる者に対しては下士官勤功章などの表彰記章が授与された。
下士官は、内務班長(陸上自衛隊の営内班に相当する)の任に就くことが多く、そのため兵卒から下士官へ呼びかける際に「班長」と呼称することが多かった。これを第二次世界大戦中・進駐後の日本・朝鮮動乱中の韓国軍との共同行動中などに、見聞したアメリカ兵によってhoncho(班長)の語が英語に流入することになった(honcho参照)。
士官候補生は、一般の兵卒と同じ階級が指定され、上等兵から伍長、軍曹、曹長に順次昇進することとなっていた。
なお、朝鮮軍人たる下士官は、旧韓国軍時代の階級名をそのまま保持おり、陸軍○○特務正校(特務曹長相当)、陸軍○○正校(曹長相当)、陸軍○○副校(軍曹相当)、陸軍○○参校(伍長相当)という階級名が用いられる。韓国軍では「大・中・少」ではなく「正・副・参」の順序が用いられ、また「校」が下士官を表していた(朝鮮軍人参照)。
[編集] 技術担当又は各部の下士官
明治19年3月9日勅令第4号の時点では陸軍武官官階を次のように分類されていた。
- 判任官1等(准士官):陸軍2等軍楽長
- 判任官2等(曹長相当官):陸軍砲兵火工長、陸軍1等○○(軍吏部は書記、軍医部は看護長、獣医部は看馬長)、軍楽次長
- 判任官3等(1等軍曹相当官):陸軍騎兵蹄鉄工長、陸軍砲兵火工下長、陸軍砲兵○工長(○は鞍・銃・木・鍛・鋳)、陸軍2等○○(曹長相当官に同じ)、1等軍楽手
- 判任官4等(2等軍曹相当官):陸軍騎兵蹄鉄工下長、陸軍砲兵○工下長(○は鞍・銃・木・鍛・鋳)、陸軍3等○○(曹長相当官に同じ)、2等軍楽手
[編集] 大日本帝国海軍
[編集] 概説
大日本帝国海軍では、下士官に任官するためには勤務成績等が優秀なばかりでなく、原則として各種学校(海軍砲術学校や飛行練習生など)の練習生教程を受験、修了し特技章を修得していなければならなかった(第二次世界大戦末期には基準が緩和され、特技章なしで上等兵曹まで進級した者もいる)。各職種に高度の専門技能を要求されたが故に極めて高度の専門知識と技能が要求され(微積分、気象学、物理学まで教育された。)、陸軍以上にハードルは高かった。平時は、水兵として入団してから下士官に任官するのには約4年以上、入団から准士官まで昇任するのには特に優秀な者でも約15年を要した。准士官昇進直前の下士官は軍服の腕に縫いつける善行章(海軍在勤3年につき1本を付与される。15年在勤で5本になるが、不祥事があると褫奪される。付与本数は最高5本)の様子から「洗濯板」と俗称され畏敬された。上等兵曹の最先任者のうち人格、勤務成績共に優れているものは「先任下士官」に任命され、将校と下士官兵との接点役になり、一般の下士官兵からは士官以上に畏敬された。
1942年(昭和17年)11月1日の階級呼称の変更で一等兵曹を上等兵曹に、二等兵曹を一等兵曹に、三等兵曹を二等兵曹にそれぞれ改称している。
日本海軍の少尉候補生は、階級を指定されず、准士官の下、下士官の上の待遇とされた。
[編集] 英訳
昭和9年の「海軍庁衙及官職名等ノ英仏訳」によれば、次の通り定められていた。 兵曹長は准海尉、一等兵曹は一等海曹、二等兵曹は二等海曹、三等兵曹は三等海曹の英訳にそれぞれ合致する。
- 兵科
- 兵曹長:Warrant Officer
- 一等兵曹:Petty Officer, 1st Class
- 二等兵曹:Petty Officer, 2nd Class
- 三等兵曹:Petty Officer, 3rd Class
- 航空兵科
- 航空兵曹長:Flying Warrant Officer
- 一等航空兵曹:Flight Petty Officer, 1st Class
- (二等航空兵曹・三等航空兵曹はそれぞれ2nd / 3rdになる。以下他兵科も同じ。)
- 機関科
- 機関兵曹長:Warrant Mechanician
- 一等機関兵曹:Stoker Petty Officer, 1st Class
- 軍楽科
- 軍楽兵曹長:Warrant Bandmaster
- 一等軍楽兵曹:Musician Petty Officer, 1st Class
- 看護科
- 看護兵曹長:Warrant Wardmaster
- 一等看護兵曹:Sick-berth Steward, 1st Class
- 主計科
- 主計兵曹長:Warrant Writer
- 一等主計兵曹:Writer, 1st Class
[編集] 自衛隊
[編集] 概説
自衛隊においては、下士官に相当する自衛官を「曹」と呼称している。分類は陸海空共通で、曹長、1曹、2曹及び3曹に分類されている。陸上自衛隊の曹は陸曹、海上自衛隊の曹は海曹、航空自衛隊の曹は空曹とそれぞれ呼称されている。准尉の下、士の上に位置している。自衛隊では原則として曹以上が非任期制隊員となる。
1950年(昭和25年)から1954年(昭和29年)まであった警察予備隊・保安隊・海上警備隊・警備隊では、下士官の階級を「士補」としていた。1954年7月発足の自衛隊では、「士補」の階級名を取りやめ、旧陸海軍で下士官の階級名に用いられていた「曹」の語を用いることとして3つに区分した。
当初は、曹は1曹、2曹及び3曹と3つに分類とされていたが、1980年(昭和55年)11月には曹長(陸曹長、海曹長及び空曹長)が新設された。なお、曹(1970年-1980年は1曹、1980年-は曹長が最上級。)の上に准尉(准陸尉・准海尉・准空尉)の階級が1970年(昭和45年)5月に設けられた。
自衛隊の曹は、士から昇任してなる者、または曹候補士、一般曹候補学生、自衛隊生徒等からなる者がある。また、幹部候補生には陸曹長、海曹長又は空曹長の階級が指定される。自衛隊の幹部候補生は、曹長の階級とされるが、幹部候補生以外の曹長の上位とされ、更に幹部勤務を命ぜられたものを最上位とされる[5]。陸海空の幹部候補生学校で教育・訓練を受ける。
階級 | 陸上 | 海上 | 航空 |
---|---|---|---|
曹長 | 陸曹長 Sergeant Major |
海曹長 Chief Petty Officer |
空曹長 Senior Master Sergeant |
1曹 | 1等陸曹 Master Sergeant |
1等海曹 Petty Officer 1st Class |
1等空曹 Master Sergeant |
2曹 | 2等陸曹 Sergeant 1st class |
2等海曹 Petty Officer 2nd Class |
2等空曹 Technical Sergeant |
3曹 | 3等陸曹 Sergeant |
3等海曹 Petty Officer 3rd Class |
3等空曹 Staff Sergeant |
陸上自衛隊ではcorporal(一般的に伍長と訳される)の語を用いずにSergeant(一般的に軍曹と訳される。警察では巡査部長と訳す)の語を用いている。
[編集] 沿革
警察予備隊 (1950年-) |
保安隊 (1952年-) |
陸上自衛隊 (1954年-) |
陸上自衛隊 (1980年-) |
---|---|---|---|
陸曹長 | |||
1等警察士補 | 1等保安士補 | 1等陸曹 | 1等陸曹 |
2等警察士補 | 2等保安士補 | 2等陸曹 | 2等陸曹 |
3等警察士補 | 3等保安士補 | 3等陸曹 | 3等陸曹 |
海上警備隊 (1952年) |
警備隊 (1952年-) |
海上自衛隊 (1954年-) |
海上自衛隊 (1980年-) |
---|---|---|---|
海曹長 | |||
1等海上警備士補 | 1等警備士補 | 1等海曹 | 1等海曹 |
2等海上警備士補 | 2等警備士補 | 2等海曹 | 2等海曹 |
3等海上警備士補 | 3等警備士補 | 3等海曹 | 3等海曹 |
航空自衛隊 ((1954年-) |
航空自衛隊 (1980年-) |
---|---|
空曹長 | |
1等空曹 | 1等空曹 |
2等空曹 | 2等空曹 |
3等空曹 | 3等空曹 |
[編集] 上級曹長・先任伍長・准曹士先任制度
自衛隊の活動が従来の、大規模な地上部隊の本土上陸阻止を目標とした冷戦型構造から変化してきたことに伴い、それまで単に士を現場で統括するに過ぎないと考えられてきた曹の役割は大きな変化を遂げるに至った。曹が、直属上官を経ることなしに、直接に指揮官を補佐する制度が設けられるようになってきた。
2003年(平成15年)4月に、海上自衛隊に「先任伍長」制度が創設される。航空自衛隊では、「准曹士先任」制度が設けられている。
2004年度(平成16年度)から検討が始まっていた陸上自衛隊でも、2006年(平成18年)4月1日に、陸上幕僚監部及び中部方面隊で、米陸軍の制度を参考に、「上級曹長」制度(仮称)が試験的導入されて検証される。陸上自衛隊では、中隊等には付准尉が置かれて指揮官を補佐していた。新制度の下では、中隊等付准尉は先任上級曹長と呼称され、更なる上級部隊にも「最先任上級曹長」が配置される予定である。
[編集] 脚注
- ^ 明治19年3月9日勅令第4号では廃止されている。正式な官名としては、「陸軍○○曹長」、「陸軍○○一等軍曹」、「陸軍○○二等軍曹」(○○は憲兵・歩兵・騎兵・砲兵・工兵・輜重兵・屯田兵)という。
- ^ 明治32年10月25日勅令第411号。
- ^ 1874年(明治7年)10月31日に改訂された陸軍教導団概則附録第3条。
- ^ 1874年(明治7年)10月31日に改訂された陸軍教導団概則附録第2条。
- ^ 「自衛官の順位に関する訓令」(昭和35年3月30日防衛庁訓令第12号)第4条。
[編集] 関連項目
- 軍隊における階級呼称一覧
- 士官(将官・佐官・尉官)・准士官・兵(兵 (日本軍)・士_(自衛隊))
- 先任伍長(海上自衛隊の各部隊に置かれる海曹長等)
- 曹長・軍曹・伍長
- 海軍予備員(海軍予備下士官が置かれる)
- 一般曹候補学生・曹候補士・自衛隊生徒
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