中原街道
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中原街道(なかはらかいどう)は、中世以前から続く古道で、江戸時代には江戸虎ノ門(現在の東京都港区虎ノ門)から平塚中原(現在の神奈川県平塚市御殿)をつなぐ街道。江戸から平塚の中原御殿を結ぶ街道であったため、中原街道と呼ばれるようになった。但し、現在は虎ノ門から中原口までは国道1号(桜田通り)となっている。また、相州街道、お酢街道、江戸間道、小杉道、こやし街道、という別名があった。
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[編集] 歴史
中原街道は、武蔵国・相模国を結ぶ街道としてかなり古くからある道で、日蓮が利用するなど、少なくとも中世には使用されていたらしいが、その成り立ちはよくわかっていない。一部は延喜式によって定められた東海道(江戸時代のものとはルートが異なる)に含まれていたらしいが、それ以前からあった道ではないか、とも言われる。また、鎌倉街道の下の道でもあったらしい。
1590年に徳川家康が江戸入りした際もこの街道を利用したと言われ、その後東海道が整備されるまでは江戸に向かう主要な街道であり、小杉(現在の中原区小杉御殿町)と平塚中原に御殿が作られると、将軍の駿府との往復の際や鷹狩の際などにも利用された。
「中原街道」と呼ばれるようになったのは、1604年にこの道が整備されてからである。 東海道が整備されると幹線道としての役割は東海道に譲るが、江戸-平塚間をほぼ直線につなぐ道路であり、脇往還として沿道の農産物等の運搬や旅人の最速ルートとして利用された。現在のルートは江戸時代のルートと多少異なるが、主要地方道として利用されている。
中原街道の中継地に小杉御殿(現在の神奈川県川崎市中原区)があったことから、中原区の区名の由来ともなっている。
[編集] 正式名称
- 東京都道2号東京丸子横浜線
- 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線
- 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線のすべての区間(神奈川県内の区間)
[編集] 通過自治体
現在の神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線 は西端が茅ヶ崎駅前となっているが、本来の中原街道は寒川町一之宮から田村の渡しもしくは四之宮の渡しで相模川を渡り平塚市御殿へ達していた。
- 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線
- 東京都道2号東京丸子横浜線
[編集] 宿場
中原街道は脇街道であったため、東海道のような宿駅は設けられず、荷物等の受け渡しを行う継立場が下記の通り設けられた。(なおこの継立場を中原街道の宿場とする見解もある。)
- 小杉(川崎市中原区)
- 佐江戸(横浜市都筑区)
- 瀬谷(横浜市瀬谷区)
- 用田(神奈川県藤沢市)