中村隼人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村 隼人(なかむら はやと、1975年8月22日 - )は長崎県出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
目次 |
[編集] プロフィール
長崎日大高校3年時の1993年に、春夏連続で甲子園に出場し注目される。
創価大学、本田技研を経て、2000年にドラフト4位指名を受けて日本ハムファイターズに入団。
2001年6月2日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(神戸)では、プロ27人目、パ・リーグの新人では20年ぶりとなる初登板初完封勝利を記録。この年、3完封を含む6勝を挙げた。翌2002年も先発ローテーション投手として7勝11敗の成績を残しオールスター出場も果たすが、2003年は伸び悩み、わずか4試合の登板に終わる。
2004年もシーズン途中までファームでくすぶっていたが、6月に河本育之投手とのトレードで読売ジャイアンツに入団し心機一転。中継ぎとして前田幸長、岡島秀樹、ブライアン・シコースキーとともにセットアッパーとして38試合に登板、2勝1セーブ、防御率3.79をマークする。
2005年10月4日、球団から戦力外通告を受け退団する。トライアウトを2度受験するも獲得する球団がなかったためで一旦プロ復帰を断念(当時、同年末スポーツニッポン『惜別球人』コーナーで今後経営コンサルタントを目指し再出発すると紹介されていた)。2006年4月24日、千葉熱血MAKINGに入団し、都市対抗野球大会1次予選で登板するも思うような投球内容ができず途中降板が続く。同年5月、千葉熱血MAKINGを退団し、台湾・兄弟象隊に入団。しかしここでも、2試合0勝0敗0セーブ防御率10.8と結果を残すことが出来ず、7月に退団した。
2006年10月中旬の東北楽天ゴールデンイーグルスの秋季練習で入団テストを受験した。投手力を求めるチームに認められるかが期待されたが、残念ながら不合格となった。
現在は元木大介のマネージャー。
[編集] 経歴
- 長崎日大高-創価大-本田技研-日本ハムファイターズ(2001~04途)-読売ジャイアンツ(2004途~05)-千葉熱血MAKING(2006)-兄弟エレファンツ(2006)
[編集] 通算成績
- 82試合登板 15勝17敗1セーブ 防御率4.26
[編集] エピソード
- 中村隼人は1975年8月生まれだが、1951年に人名用漢字が告示されてから、子供の名前に「隼」の字を使用することは認められていなかった。どうしてもこの字を名前に入れたい両親が裁判を起こし勝訴。人名漢字制限後では初の「隼人」となった。「隼人」という名前の野球選手では、横浜ベイスターズの寺原隼人投手(1983年生まれ)も有名。
[編集] 関連項目
日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ) 2000年ドラフト指名選手 |
---|
1位:井場友和 / 2位:木元邦之 / 3位:加藤竜人 / 4位:中村隼人 / 5位:山地隆 / 6位:駒居鉄平 / 7位:田中聡 |