児玉清
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児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - )は、日本の俳優、タレント、書評家。本名、北川 清(きたがわ きよし)。
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[編集] 来歴・人物
血液型はO型。テレビでは一見それほど大きく感じられないが、実は179cmと高身長である。小学生の頃、群馬県の四万温泉に集団疎開。
[編集] 来歴
学習院大学文学部ドイツ文学科入学後、演劇部に入部。当初は道具係だったが、上背があるということで無理矢理舞台にあがらされたという。その後、1年先輩でフランス文学科の篠沢秀夫(のちに学習院大学教授)に見初められ、篠沢が企画していた仏語劇『ブリタニキュス』(ラシーヌ作)の主役に抜擢される。フランス語はまったく知らなかった児玉だったが、見事に演じ切り高い評価を得た。とはいえ、児玉は本来は役者志望ではなく、大学卒業後は大学院進学を目指していた。しかし、学部卒業式の当日、母の急死により就職先を探さねばならず、就職活動のシーズンも終わっていたため就職先が決まらず結局、知人が手を回して応募してくれていた東宝映画第13期ニューフェイス(新人俳優の募集)の面接試験に行き、合格。当日朝に急に思い立って行ったため水着持参であることも知らず水着オーディションで下着のパンツ一枚で参加し審査員の奇異の目にさらされるも、質問にウィットあふれる回答を返し、逆に歓心を買った、という逸話がある。この逸話は著書『負けるのは美しく』(集英社)で明かされている。
以後俳優として活動。黒澤明監督作『悪い奴ほどよく眠る』に出演するも、当時から存在感あふれる児玉が目に付いたのか、黒澤にいじめ抜かれる。友人にそそのかされた児玉は「世界のクロサワ」を殴ることを決意するまでに至ったが、なんとか踏みとどまり、実行には移さずに出番を終える。のちに黒澤が自分のことを陰で評価していたことを聞き、腰が砕けたと語っている。
1964年8月、東宝専属の中堅女優だった北川町子と結婚。まもなく女優を辞めたために会社ばかりかベテラン女優の賀原夏子からも残念がられ彼女が復帰する際は知らせてほしいと言われめげる。結局、細切れのカット割り撮影の映画では俳優として伸び悩むが、テレビ出演では肌が合っていたのか好評で1967年に東宝を退社してフリーとなり、テレビに活動の場を移す。水前寺清子主演の『ありがとう』で一躍人気を得て、以後ホームドラマなどで大活躍する。
1975年にクイズ番組『パネルクイズ アタック25』の司会者となり、現在まで30年以上にわたり司会を行っている。
1990年代から本業だったテレビドラマの仕事に消極的だったが、2001年のドラマ『HERO』の出演依頼を断った際に、最愛の娘から説得され一転して引き受けたという。その後、2002年に娘をガンで亡くしたショックもあったが、それが児玉自身を震い立たせ、以後積極的にドラマ出演している。最近はなぜか矢田亜希子との共演が多い(『恋ノチカラ』、『ラストクリスマス』、『トップキャスター』)。
また、2002年12月にニッポン放送の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』出演が好評だったことから、翌年6月から『テレフォン人生相談』のパーソナリティを担当するようになった。以前『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに出演の際、タモリの「テレフォン人生相談を担当なさっていて実際にお答えになるなんて人生経験豊富の児玉さんならではのコーナーですね」という問いかけをしたが、すかさず児玉が「いやいや私が実際に回答するわけじゃなく、専門の先生が別にいらっしゃって私は質問者と回答の先生の間で進行する橋渡し役というだけですよ。」と答えていた。
[編集] 人物
- 本来の誕生日は1933年(昭和8年)12月26日だが、当時は数え年で年齢がカウントされていた(法律上は1902年に満年齢を使用する事が定められていたが、慣習上太平洋戦争後まで使われていた)ため、1週間足らずで2歳になるのを嫌った親が1月1日で出生届を出したそうである。
- 芸能界きっての読書家としても知られる。児玉は年に数回海外旅行に行く際、飛行機内で分厚い英文の小説を読むことが楽しみであるという。これに関連して、日本図書館協会などが主宰するシンポジウムのコメンテーターも務めたことがある。また、文筆活動もある。それは児玉が大好きなポール・リンゼイの著作『覇者』(講談社刊)の解説である。お気に入りのFBI物語とそのほかの作品を比べ、熱く述べている。
- アタック25の司会をしている児玉だが、『クイズダービー』にゲスト解答者として出演したとき、解答できずに「わからず」と書いたこともあった。解答できなかった問題は「戦時中英語は敵性語とされ日本語に置き換えられたが、『あてこすり』といえば何か」だった(ちなみに正解はマッチ)。
- T.M.Revolutionの西川貴教から「理想の父親」として尊敬されており、西川のラジオ番組に度々出演した。タレントYOUも番組などで好みの男性として名をあげるのも有名な話。
- 息子も児玉大と言う芸名(後に児玉大輔、本名の北川大輔と変わる)で俳優をしていた(現在は引退)。
[編集] パネルクイズ アタック25
朝日放送のクイズ番組『パネルクイズ アタック25』の司会者として全国的に著名であり、また、小池清や福澤朗の様な臨機応変で尚且つスピード感が溢れる、キレのある進行振りで、現在では、これ抜きでは児玉清を語れない位である。また、アタックチャンス前の休憩中に、児玉自身が出場者と観客に飴玉を配り、緊張している一般出場者をリラックスさせている。
この番組でのジェスチャー(特にアタックチャンスの時の右手の握りこぶしの微妙な振動)や語り口調などは、博多華丸がモノマネしていることでも知られる。なお、児玉自身は華丸による自身のものまねを「正直似ていないと思う」と発言しているが、周囲の人々から「似ている」と云われている事から、好意的に受け入れ容認し、また絶賛している様である。また華丸の出演した番組等ではVTR出演して応援したり、『パネルクイズ アタック25』の芸能人大会で華丸が出演した際には「アタックチャンス!」「ラストコール!」の決め言葉を華丸自身にまねさせている。
[編集] 出演
[編集] 映画
- 黒い画集 あるサラリーマンの証言(東宝、1960年3月13日)
- サラリーマン出世太閤記 花婿部長№.1(東宝、1960年3月29日)
- 電送人間(1960年4月10日、東宝)- お化け屋敷の見物客
- 青い野獣 (1960年6月26日、東宝)
- サラリーマン忠臣蔵 (1960年12月25日、東宝)- 岡野欣哉
- 続サラリーマン忠臣蔵(1961年2月25日、東宝) - 岡野欣哉
- 別れて生きるときも (1961年4月4日、東宝)
- 金づくり無法時代 (1961年5月9日、東京映画)
- 黒い画集 ある遭難(1961年6月17日、東宝)
- 守屋浩の三度笠シリーズ 泣きとうござんす(1961年7月23日、東宝)
- 守屋浩の三度笠シリーズ 有難や三度笠 (1961年8月6日、東宝)
- アッちゃんのベビーギャング (1961年9月17日、東宝)
- B・G物語 二十才の設計(1961年10月29日、東宝)
- サラリーマン清水港(1962年1月3日、東宝)
- その場所に女ありて(1962年1月28日、東宝)
- 続サラリーマン清水港(1962年3月7日、東宝)- 法印
- 僕たちの失敗(1962年9月1日、東宝)
- 早乙女家の娘たち(1962年9月8日、東宝)
- 箱根山 (1962年9月15日、東宝)
- 地方記者(1962年10月13日、東宝)
- 妻という名の女たち(1963年5月22日、東宝)
- 秘剣(1963年8月31日、東宝)
- 女の歴史 (1963年11月16日、東宝)
- 今日もわれ大空にあり(1964年2月29日、東宝) - 佐藤空曹
- ただいま診察中(1964年5月30日、東宝)
- 裸の重役 (1964年7月1日、東宝)
- 団地七つの大罪(1964年12月9日、宝塚映画)
- 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1964年12月19日、東宝) - 福本少尉
- 戦場にながれる歌 (1965年8月13日、東宝)
- 女は幾万ありとても(1966年2月12日、東宝)
- 日本のいちばん長い日(1967年8月3日、東宝)- 戸田侍従
- 日本海大海戦 (1969年8月1日、東宝)- 山本大尉(通訳官)
- 妖婆 (1976年10月16日、永田プロ=大映映画)- 伊原
- スチームボーイ(2004年7月17日、劇場アニメ) - ロバート・スティーブンソン 役
[編集] テレビドラマ
- 義経くん奮戦記(1964年、TBS)
- あじさいの歌(1966年、日本テレビ)
- 青春とはなんだ(1965年 - 1966年、日本テレビ)
- ありがとう(1)(1970年、TBS)
- こどもが帰ったあとからは(1970年、TBS)
- 肝っ玉かあさん(3)(1971年-1972年、TBS)
- ありがとう(2)(1972年-1973年、TBS)
- ありがとう(3)(1973年-1974年、TBS)
- 白い巨塔(1978年、フジテレビ) - 関口弁護士 役
- 大河ドラマ 黄金の日日(1978年、NHK) - 徳川家康 役
- 大河ドラマ 山河燃ゆ(1984年、NHK) - 島木文弥 役
- 大河ドラマ 武蔵坊弁慶(1986年、NHK) - 富樫泰家 役
- 大河ドラマ 武田信玄(1988年、NHK) - 飯富虎昌 役
- 仮面の告白(日本テレビ)
- 大河ドラマ 太平記(1991年、NHK) - 金沢貞顕 役
- ラストダンス(1990年7月 - 9月、東海テレビ / 泉放送制作)
- 素顔のままで(1992年、フジテレビ)
- ザ・ラストUボート(1993年)
- 大地の子(1995年)
- HERO(2001年、フジテレビ) - 鍋島利光 役
- 恋ノチカラ(2002年、フジテレビ)
- 美女か野獣(2003年、フジテレビ) - 桜木恭一郎 役
- ラストクリスマス(2004年、フジテレビ)
- 連続テレビ小説 ファイト(2005年、NHK) - 駒田隆行 役
- くしくも、幼少時に自らが疎開した四万温泉の旅館の主人役であった。
- 危険なアネキ(2005年、フジテレビ)
- トップキャスター(2006年、フジテレビ)
- HERO 特別編(2006年、フジテレビ) - 鍋島利光 役
[編集] バラエティ・その他のテレビ番組
- パネルクイズ アタック25(1975年 - 、朝日放送)日曜日 13時25分 - 13時55分
- 板東英二のバンバンストライク
- RCCカープナイター
- あの日 昭和20年の記憶(2005年、NHK BS2、ハイビジョン)
- 週刊ブックレビュー(NHK衛星第2テレビ)週替わりの司会担当だが番組開始当初から出演している。
[編集] ラジオ
- ラジオ・チャリティー・ミュージックソン(2002年、ニッポン放送)
- テレフォン人生相談(ニッポン放送)月曜日~金曜日 11:00~11:20、出演は週1・2回程度。
[編集] CM
- 小林製薬 頭痛薬 ハッキリ
- 日興證券(現:日興コーディアル証券)(1987年)
- 救心製薬 救心(1993年 - 2001年)
- トヨタ自動車(1994年)
- サントリー モルツ(1999年)
- コカ・コーラ 大豆ノススメ(2005年) - 柳葉敏郎と共演。
- 日本たばこ産業 ディライト・ファクトリー(企業CM)(2006年)
- パイオニア 楽ナビ(2006年) - ラクダの声
[編集] 書籍
- 寝ても覚めても本の虫(2001年、新潮社) ISBN 4104495018
- たったひとつの贈りもの-わたしの切り絵のつくりかた(2003年、朝日出版社) ISBN 4255002495
- 負けるのは美しく(2005年、集英社) ISBN 4087747743
[編集] 関連人物
- 博多華丸・大吉(華丸が『アタック25』の逆転クイズ「アタックチャンス!!」のフレーズを物まねする。『R-1ぐらんぷり』でこの芸が好評を博し、優勝した。2006年9月3日放映の『アタック25』に解答者として出演した。)
- 田宮二郎(学習院時代の同期で、『白い巨塔』で共演した。)
[編集] 外部リンク
- 辺見えみりのHappy Talk - 辺見えみりさんとの対談 GiRLSGATE
- 児玉清/写真・プロフィール(システムブレーン)