夕張 (軽巡洋艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1922年6月5日 |
進水: | 1923年3月5日 |
就役: | |
その後: | 1944年4月27日戦没 |
性能諸元 | |
排水量: | 公試時:3,141t |
全長: | 132.90m |
全幅: | 12.04m |
吃水: | |
機関: | ボイラー8基タービン3基3軸、57,900馬力 |
最大速: | 35.5kt |
航続距離: | 14ktで5,000浬 |
兵員: | 328名 |
兵装: | 50口径14cm連装砲2基4門 50口径14cm単装砲2基2門 40口径7.6cm高角砲1基1門 61cm連装魚雷発射管2基4門 機雷48個 |
夕張(ゆうばり)は日本海軍の軽巡洋艦。同型艦はない。艦名は2等巡洋艦の命名慣例に従って、北海道に流れる石狩川の支流である夕張川にちなんで名づけられた。
[編集] 特徴
1923年7月竣工。設計は平賀譲ら。当時の不況の中での海軍予算の逼迫により、球磨型をはじめとする5,500t型軽巡と同等の戦闘力をできるだけ小型の艦に詰め込むことを目標とした。そのため、3,100t の小さい船体ながら、集合式煙突や連装主砲搭の採用、兵装の中心線配置などで目標をクリアした。これら今までになかった新機軸は、軽巡洋艦のイメージを一新させ、ジェーン海軍年鑑に特記項目付きで掲載されるなど各国関係者を驚かせた。魚雷発射管は4本だが左右両舷に発射可能。しかし、小型艦であるため航続力は劣る。平賀譲の才能が遺憾なく発揮された名設計ではあったが、小型の船体に重武装・高速性を追求したため船体の余裕に欠け、大戦後半では防空力強化のため主砲塔1基を撤去せざるを得なかった。
[編集] 艦歴
- 1922年6月5日 - 佐世保工廠にて起工
- 1923年3月5日 - 進水
- 1923年7月31日 - 竣工
- 1935年11月18日 - 第3艦隊に配備 日華事変、華中作戦に参加
- 1941年12月7日 - 第4艦隊に転属し、太平洋戦争に参加 ウェーク島攻略戦などに参加
- 1942年6月19日 - トラックに配備 第一次ソロモン海戦等に参加
- 1943年11月24日 - 輸送任務中に米軍機の攻撃を受け損傷 修理並びに武装強化改修
- 1944年4月27日 - パラオ諸島南西で米海軍ガトー級潜水艦ブルーギル(USS Bluegill, SS-242) の雷撃を受け沈没
- 1944年6月10日 - 除籍
[編集] 関連項目
大日本帝国海軍の軽巡洋艦 |
天龍型:天龍 | 龍田 球磨型:球磨 | 多摩 | 北上 | 大井 | 木曾 |
長良型:長良 | 五十鈴 | 名取 | 由良 | 鬼怒 | 阿武隈 |
川内型:川内 | 神通 | 那珂 夕張型:夕張 |
最上型:最上 | 三隈 | 鈴谷 | 熊野 |
阿賀野型:阿賀野 | 能代 | 矢矧 | 酒匂 大淀型:大淀 |
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