東武5700系電車
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5700系電車(5700けいでんしゃ)は、かつて東武鉄道に在籍していた特急形車両。
[編集] 概要
戦後運転が再開された日光特急には、1935年(昭和10年)製の5310形(元デハ10形)が使用されていたが、戦時中一般車に改装され、戦後特急用として再改装された車両であり、特急形車両としては見劣りがした。また、日本国有鉄道(国鉄)が1950年(昭和25年)6月より上野駅~日光駅間で快速「にっこう」の運行を開始するなど競合も激しくなり、東武は本格的な特急用車両の導入を決定、1951年(昭和26年)に特急用のロマンスカーとして5700系6両が製造された。
全て2両編成で製造され、浅草方よりモハ5700形-クハ700形の構成となっている。座席は全席が転換クロスシートで、客用扉はモハ5700形に2箇所、クハ700形には1箇所設置された。クハ700形の車端には売店が設けられ、また一時的ながら通路間に補助席を設けたとされる。同時期に登場した関西の京阪電気鉄道1700系に匹敵する車内設備が話題となった。
最初に製造された2編成(5700F・5701F)は「A編成」と呼ばれ、国鉄80系電車に端を発する当時流行の「湘南窓」(正面2枚窓)を採用した。ちなみに、車体の配色及びヘッドマークのデザインから「猫ひげ」とも称された。
その後に製造された車両は正面貫通扉を設けたデザインに変更され、車両番号は5710番台(5710F・5711Fの2編成。「B編成」と呼ばれる)となった。
また、1953年(昭和28年)には駆動装置に日本初の直角カルダンを装備した5720番台(5720F・5721Fの2編成。「C編成」と呼ばれる)が登場した。しかしギアボックスからの油漏れや故障の頻発により、後に他の5700系編成と同一の吊り掛け駆動方式に改造された(これは5800系でも起こり、同車も吊り掛け駆動方式となる)。車体外観は5710番台と同様であった。これで5700系は2両編成6本(12両)が出揃った。
[編集] 運用
登場後は浅草駅~東武日光駅間特急「けごん」・浅草駅~鬼怒川温泉駅間特急「きぬ」として運用された。
1956年(昭和31年)に1700系が登場すると、A・B編成は車体に青い帯を入れた「青帯車」とし、急行列車に使用されることとなった。カルダン駆動車であったC編成のみ、従来の塗装に白い帯を入れた「白帯車」(「はくたいしゃ」と呼称する)として特急運用を継続した。C編成は1700系との併結も行っていた。
その後、1700系の増備および1960年(昭和35年)の1720系DRCの運転開始によりC編成も特急運用を離脱した。同時期にA編成には貫通扉設置工事が施工され、全車両が貫通扉を持つスタイルとなった。各番台区分の差異がほとんどなくなったことから、1965年(昭和40年)に車両番号が全車両通しのモハ5700~5705、クハ700~705に改番された。
急行用転用後は、5310系と共に伊勢崎線急行も担当したが、1969年(昭和44年)に伊勢崎線急行専用車両である1800系が登場すると、日光線急行・快速急行及び日光線快速、団体専用列車運用に充てられた。
1984年(昭和59年)12月~1985年(昭和60年)1月にかけて、1720系1編成が事故により運用を離脱した際に、特急運用の代走を行ったこともあった。
非冷房・吊り掛け式の旧型電車ながら、車体更新されることもなくほぼ原型を保ち、最後まで優等列車として運用された当系列は、特異な存在として鉄道ファンの注目を集めた。1990年(平成2年)、旧性能車ながら優等列車に運用されていることに対し、鉄道友の会よりエバーグリーン賞が授与された。
1991年(平成3年)7月20日、1800系改造の300系・350系の営業運転開始により、東武日光~浅草間のさよなら運転を最後に営業運転を終了した。同年8月31日には、1720系も営業運転を終了した。
[編集] 廃車とその後
運用離脱後は、しばらくの間休車扱いで春日部検修区(現・南栗橋車両管理区春日部支所)に留置されていたが、後に全車廃車となり、6両が北館林荷扱所へ自力回送の上、解体された。
残る6両のうち、5701Fの2両は東武により1720系の先頭車と一緒に杉戸工場の建物内に保管された。モハ5703号は、製造元のナニワ工機(アルナ工機を経て現・アルナ車両)が東武へ納入した第一号の車両であったことから、アルナ工機に譲渡された。その他は東武鉄道ジャンク市でのプレゼントとして提供されるなどした。
その後、東武保管車両については、1720系の先頭車は東京都墨田区の東武博物館に展示されたものの、5700系の方は1800系通勤車化改造の際建物を改造場所として使うため外へ出されてしまい、2006年(平成18年)現在でもカバーに覆われた状態のまま旧・杉戸工場構内の片隅に置かれている。また、アルナ工機に譲渡された先頭車のカットボディは、同社の鉄道車両製造部門閉鎖により東武に引き取られ、現在は東武博物館階段付近に展示されている。
その他、車両プレゼントにより譲渡された2両は、車体塗色が変更されたものの、2006年現在も埼玉県行田市のレストラン「マスタード・シード」として使われている。
5700系は運転終了から15年以上経過した21世紀初頭の現在でも、京王帝都電鉄5000系とともに鉄道ファンからは「関東の2大名車」と呼ばれている。