水口栄二
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水口 栄二(みずぐち えいじ、1969年1月9日- )は、プロ野球オリックス・バファローズの選手。ポジションは二塁手。右投げ右打ち。愛媛県八幡浜市(旧保内町)出身。右打ちを初めとした粘り強い打撃、犠打や堅実な守備が持ち味である。主に2番打者として活躍していたが、所属球団がオリックス・バファローズとなってからは、貧打にあえぐチーム事情から3番や6番でのスタメン機会が増えている。
マリナーズのイチローがインタビューを受けた際、日本人選手に(自分の後ろの打順である)二番を打ってもらえるなら誰が良いかと訊かれて「水口さん」と答えている。
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[編集] 略歴
- 松山商業から早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に進学。松山商で主将として1986年の全国高校野球選手権準優勝に導く。またこの大会で、大会安打最多記録を更新(19本)【この記録は未だ破られていない】。また清原和博が前年に記録した大会最多塁打の27塁打も記録した。早大では1年のときからショートのレギュラーを獲得、4年時には第80代主将としてチームを15シーズンぶりのリーグ優勝に導いた。東京六大学ベストナインを4回獲得。
- 1990年ドラフト2位で近鉄バファローズ入団。
- 1994年頃から遊撃手のレギュラーに定着。
- 1996年から大石大二郎の衰えにより二塁手へコンバートされ、同年オールスターゲーム初出場。以後、近鉄バファローズが消滅するまで正二塁手であり続けた。
- 2001年、大阪近鉄バファローズの12年ぶりの優勝に、不動の2番・セカンドとして貢献した。ファールで粘るいやらしいバッティングが持ち味だが、僅差の二位で迎えた9月17日の西武戦、松坂大輔からの決勝打や、日本シリーズ第2戦での同点3ランなど時に目を見張るような活躍を見せた。
- 2004年、分配ドラフトにてオリックスに移籍。近鉄出身者としては数少ない仰木時代を知る選手でチームの融和に努めた。
- 2005年、平野恵一、塩崎真らとの併用で主に二塁、時々三塁・一塁を守った。
- 2006年8月30日の西武戦で1500試合出場を達成した。
[編集] エピソード
- 1986年に記録更新した夏の甲子園における大会安打最多記録は、2006年現在も破られていない。この19本という数字は、チームが1回戦から登場して決勝進出を果たし(従って6試合)、かつ毎試合3本ずつ安打を放ってもまだ届かない、記録である。更に、水口が同じ大会で記録した2試合にまたがる8打席連続安打も、甲子園の連続安打記録として残っている(タイ記録)。
- 1996年夏の高校野球の決勝に母校松山商業が出場の際、NHKラジオ中継で試合前に電話口ゲストで応援のインタビューをされる企画があった。
- 近鉄時代の元同僚である佐野重樹(現在文化放送{主にオリックス対西武戦}他CS解説者)とは松山商業時代からの同級生である。
- 近鉄に入団し迎えた初めてのキャンプで、当時チームの主砲であったラルフ・ブライアント、鈴木貴久らが打撃練習で外野スタンドに次々と打球を放り込んでいく姿を見てショックを受け、「場違いな世界に来てしまった。自分のような非力なバッターがプロでやっていけるんだろうか」と近鉄に入団したことを後悔したという。
- 選手としてはどちらかというと地味な印象を受けるが、打席に立った時のファンの盛り上がりはチーム1である。大阪近鉄時代から変わらぬ応援歌の中では、外野応援席のファンがジャンプするほど盛り上がる。
- 2005年9月7日、日本タイ記録の開幕15連勝を記録していた斉藤和巳が新記録の16連勝を賭けて迎えた試合で、代打で登場してとどめの3ランを放ち、斉藤にシーズン初黒星をつけることに貢献した。
- 2006年、7月2日三輪隆バッテリーコーチ(ちなみに彼とは同い年だが、水口の方が早生まれのため学年が一つ上。)に怒声を上げた。この日の西武戦における2度のバッテリーミスに関してと思われる。(と言ってもその時の捕手である的山哲也にも原因はあるのだが。)チーム内においてチームリーダー的の存在である水口が、三輪コーチに対して投手陣だけでは無く、捕手にもミスを指摘すべきであると不満を爆発させたものと思われる。
- 現役でパ・リーグ随一の犠打の名手であり、2006年シーズン終了現在、通算歴代7位の278個を記録している。2007年には史上5人目の300犠打達成が期待される。1997年、2001年にはリーグ最多犠打を記録している。
- 名選手ではあるが、大島公一、金子誠、井口資仁らに阻まれベストナインやゴールデングラブ賞などタイトルを一度も獲得していない。
特に、大島は近鉄からオリックスにトレードで放出されており(つまり近鉄フロントは水口の方を評価した)、上記のイチローの発言からイチローは打撃においてオリックス時代に自分の後ろを打っていた大島よりも水口を高く評価していることがわかる。 チームの注目度の影響もあるのか、知名度が低いために新聞記者をはじめとした世間的評価は高くないが、野球界ではそうではないことがわかる。
[編集] 背番号
- 32(1991~94)
- 10(1995~2004)
- 7(2005~)
[編集] 通算成績(~2006年)
- 1509試合出場 4427打数1194安打 打率.270 53本塁打 42盗塁 407打点
[編集] 年度別成績(一軍)
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | 近鉄 | 68 | 61 | 5 | 15 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | .246 |
1992 | 近鉄 | 53 | 43 | 4 | 9 | 1 | 0 | 0 | 2 | 3 | .209 |
1993 | 近鉄 | 52 | 67 | 10 | 20 | 6 | 1 | 0 | 7 | 6 | .299 |
1994 | 近鉄 | 107 | 334 | 52 | 91 | 23 | 2 | 5 | 43 | 1 | .272 |
1995 | 近鉄 | 107 | 365 | 31 | 98 | 5 | 1 | 2 | 26 | 6 | .268 |
1996 | 近鉄 | 121 | 442 | 53 | 124 | 18 | 2 | 8 | 28 | 5 | .281 |
1997 | 近鉄 | 120 | 388 | 54 | 110 | 16 | 2 | 7 | 50 | 10 | .284 |
1998 | 近鉄 | 124 | 373 | 47 | 87 | 13 | 3 | 2 | 36 | 6 | .233 |
1999 | 大阪近鉄 | 30 | 61 | 9 | 16 | 2 | 0 | 2 | 3 | 1 | .262 |
2000 | 大阪近鉄 | 129 | 462 | 57 | 116 | 16 | 1 | 3 | 39 | 1 | .251 |
2001 | 大阪近鉄 | 110 | 403 | 68 | 117 | 10 | 0 | 3 | 30 | 1 | .290 |
2002 | 大阪近鉄 | 94 | 314 | 48 | 80 | 12 | 0 | 5 | 23 | 0 | .255 |
2003 | 大阪近鉄 | 96 | 304 | 36 | 88 | 9 | 2 | 5 | 38 | 0 | .289 |
2004 | 大阪近鉄 | 118 | 389 | 55 | 114 | 20 | 0 | 6 | 40 | 0 | .293 |
2005 | オリックス | 89 | 178 | 14 | 47 | 4 | 0 | 2 | 15 | 0 | .264 |
2006 | オリックス | 91 | 243 | 18 | 62 | 7 | 0 | 3 | 24 | 0 | .255 |
通算(16年) | 1509 | 4427 | 561 | 1194 | 165 | 14 | 53 | 407 | 42 | .270 |
[編集] 関連項目
オリックス・バファローズ / サーパス - 2007
00 軒作 | 0 森山周 | 2 的山哲也 | 3 村松有人 | 4 阿部真宏 | 5 清原和博 | 6 トム・デイビー | 7 水口栄二 | 8 タフィ・ローズ | 9 平野恵一 | 10 大引啓次 | 11 川越英隆 | 12 歌藤達夫 | 13 吉田修司 | 14 岸田護 | 15 加藤大輔 | 16 平野佳寿 | 17 香月良太 | 18 山口和男 | 19 金子千尋 | 20 山本省吾 | 21 吉井理人 | 22 ユウキ | 23 北川博敏 | 24 後藤光尊 | 25 チャド・アレン | 26 加藤康介 | 27 日高剛 | 28 小松聖 | 29 ダン・セラフィニ | 30 グレッグ・ラロッカ | 31 塩崎真 | 32 ランス・カーター | 33 高木康成 | 34 本柳和也 | 35 大久保勝信 | 36 下山真二 | 37 辻俊哉 | 39 鴨志田貴司 | 40 前田大輔 | 41 松村豊司 | 42 萩原淳 | 43 菊地原毅 | 44 鈴木郁洋 | 45 光原逸裕 | 46 迎祐一郎 | 47 延江大輔 | 48 阿部健太 | 49 中山慎也 | 50 大西宏明 | 52 坂口智隆 | 53 相川良太 | 54 一輝 | 55 岡田貴弘 | 56 柴田亮輔 | 57 筧裕次郎 | 58 長田昌浩 | 59 梅村学人 | 60 牧田勝吾 | 61 町豪将 | 62 勝 | 63 吉良俊則 | 64 田中彰 | 65 近藤一樹 | 66 由田慎太郎 | 67 横山徹也 | 68 仁藤拓馬 | 69 土井健大 | 99 吉川勝成 | 113(育成選手) 柴田誠也 | 114(育成選手) 宮本大輔
1 監督 テリー・コリンズ | 81 大石大二郎 | 83 神部年男 | 75 ジョン・ディーバス | 89 真喜志康永 | 74 松山秀明 | 85 別府修作 | 78 米村理 | 80 赤川貴弘 | 96 二軍監督 住友平 | 70 清川栄治 | 87 赤堀元之 | 76 大島公一 | 82 三輪隆 | 77 弓岡敬二郎 | 79 内匠政博 | 72 吉原孝介 | 88 安田昌玄 | 84 本屋敷俊介 |