吉原孝介
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吉原 孝介(よしはら こうすけ、1969年3月29日- )は、岡山県出身の元プロ野球選手(捕手)。右投げ右打ち。
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[編集] 来歴・人物
岡山東商業高校から川崎製鉄水島を経て、1990年のドラフト会議で読売ジャイアンツから2位指名され、翌1991年に入団。強肩、俊足には定評があり、ガッツ溢れるプレーで1年目から1軍定着。35試合に出場した。この年記録したプロ入り初安打は、プロ入り初本塁打ともなった。
翌1992年には正捕手の村田真一が故障したため最多の49試合に出場したが、本人も故障のため成績が上がらず、大久保博元を獲得する要因を作ってしまった。以降、1軍には常時ベンチ入りするものの、出場機会が恵まれずにいた。
1998年7月31日にはバルビーノ・ガルベスの審判にボールを投げる前代未聞の出来事の後の乱闘に巻き込まれ負傷。
1999年序盤に村田が左の頬骨を骨折したため、控えの捕手陣が総動員され、その時2軍に落ちていた吉原も1軍に昇格し、数試合先発マスクを被ることになった。球団側はベテラン捕手獲得を目指していたため、直後に光山英和との交換トレードが発表され中日ドラゴンズに移籍した。(実は後のトレード相手の柳沢裕一も1999年のシーズン途中に巨人からオリックスへ移籍していた)当時の中日には中村武志や鈴木郁洋といった捕手が居たため、第3の捕手に甘んじていた。
2001年には巨人時代のチームメート・柳沢との交換トレードでオリックスに移籍。2003年以降、近鉄との合併もあり1軍出場試合数が激減。2軍・サーパスでも選手としての出場よりもバッテリーコーチ補佐を任されていた。
2006年10月5日、戦力外通告を受け現役を引退。球団に残り、2軍ブルペン兼育成コーチに就任。
[編集] 背番号
- 39 1991年-1999年途中
- 40 1999年途中
- 00 2000年
- 32 2001年-2006年
- 72 2007年-
[編集] 通算成績(2004年終了時)
- 311試合 打率.209(448打数 94安打) 4本塁打 27打点 7盗塁
[編集] 関連項目
00 軒作 | 0 森山周 | 2 的山哲也 | 3 村松有人 | 4 阿部真宏 | 5 清原和博 | 6 トム・デイビー | 7 水口栄二 | 8 タフィ・ローズ | 9 平野恵一 | 10 大引啓次 | 11 川越英隆 | 12 歌藤達夫 | 13 吉田修司 | 14 岸田護 | 15 加藤大輔 | 16 平野佳寿 | 17 香月良太 | 18 山口和男 | 19 金子千尋 | 20 山本省吾 | 21 吉井理人 | 22 ユウキ | 23 北川博敏 | 24 後藤光尊 | 25 チャド・アレン | 26 加藤康介 | 27 日高剛 | 28 小松聖 | 29 ダン・セラフィニ | 30 グレッグ・ラロッカ | 31 塩崎真 | 32 ランス・カーター | 33 高木康成 | 34 本柳和也 | 35 大久保勝信 | 36 下山真二 | 37 辻俊哉 | 39 鴨志田貴司 | 40 前田大輔 | 41 松村豊司 | 42 萩原淳 | 43 菊地原毅 | 44 鈴木郁洋 | 45 光原逸裕 | 46 迎祐一郎 | 47 延江大輔 | 48 阿部健太 | 49 中山慎也 | 50 大西宏明 | 52 坂口智隆 | 53 相川良太 | 54 一輝 | 55 岡田貴弘 | 56 柴田亮輔 | 57 筧裕次郎 | 58 長田昌浩 | 59 梅村学人 | 60 牧田勝吾 | 61 町豪将 | 62 勝 | 63 吉良俊則 | 64 田中彰 | 65 近藤一樹 | 66 由田慎太郎 | 67 横山徹也 | 68 仁藤拓馬 | 69 土井健大 | 99 吉川勝成 | 113(育成選手) 柴田誠也 | 114(育成選手) 宮本大輔
1 監督 テリー・コリンズ | 81 大石大二郎 | 83 神部年男 | 75 ジョン・ディーバス | 89 真喜志康永 | 74 松山秀明 | 85 別府修作 | 78 米村理 | 80 赤川貴弘 | 96 二軍監督 住友平 | 70 清川栄治 | 87 赤堀元之 | 76 大島公一 | 82 三輪隆 | 77 弓岡敬二郎 | 79 内匠政博 | 72 吉原孝介 | 88 安田昌玄 | 84 本屋敷俊介 |