清川栄治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清川 栄治(きよかわ えいじ、1961年9月21日 - )は、昭和末期から平成期(1980年代後半~1990年代)のプロ野球選手(投手)、現オリックス・バファローズ二軍投手コーチ。
目次 |
[編集] 来歴・人物
京都商高(現京都学園高)から大商大を経て1984年、ドラフト外で広島に入団。中継ぎ投手として活躍し、438試合連続救援登板は日本記録であった(のち橋本武広が更新)。もう一つ114試合黒星ゼロの日本記録は保持している。また1987年には29人連続で出塁を許さなかった。また登板106試合目にして初勝利を手にしたという珍しい記録も持つ。1991年シーズン中に近鉄バファローズに移籍し、左の中継ぎとして登板。1998年に広島に復帰し、同年現役を引退した。翌1999年より広島の投手コーチを務める。2006年をもって退団し、オリックスの投手コーチに就任。結婚経験無し。
[編集] 略歴
- 身長・体重 176cm・74kg
- 出身地 京都府京都市上京区
- 血液型 O型
- 投打 左投げ左打ち
- 球歴 京都商高→大商大→広島→近鉄→広島
- プロ入り年度・ドラフト順位 1984年・外(広島東洋カープ)
- 守備位置 投手
[編集] エピソード
- 左のアンダースローという珍しいタイプのピッチャーだったが、これは入団1年目の春季キャンプのブルペンで他のピッチャーの投球を見て、「まともな投げ方では注目してもらえない」ということでオーバースローからアンダースローに投球フォームを変えたのがそもそものきっかけだった。
- 現在ではセットアッパーやホールド王など、中継ぎピッチャーも脚光を浴びているが、当時は江夏豊らの活躍で抑えピッチャーだけが目立ち、中継ぎピッチャーはまだ影が薄かった。激務の割りに給料が上がらないと悩んだ清川は、毎年年俸交渉の際に球団が差し出す、全登板試合の事細かい査定表以上に細かい記録を自分で付けて出し交渉に望んだ。その一例がインヘリテッド率と呼ばれるもので、自分の投球で本塁に返した走者の数を、前の投手が残した走者の数で割ったものであった。さすがに球団もその努力?には負けたようでそれなりの年俸アップを勝ち取った。中継ぎピッチャーの地位向上に幾らかの貢献はしているものと思われる。
- 1球投げただけでヒーローインタビューを受けたことがある。一死満塁のピンチで登板し、初球を打たせてセカンドゴロ併殺打の見事な火消しだった。
- 広島時代、先発を言い渡された試合があったが、その試合が雨で中止になり、以降先発での登板はなかった。
- 登板106試合目まで、勝ちもつかなければ負けもついていなかった。初勝利の感想は、「とうとう勝ってしまった」。
- なお、実際にはもっと早く初勝利を挙げるチャンスがあったが、その時津田恒実がリリーフに失敗して清川の勝ち星を消してしまった。津田はこの日の試合後、合宿所の清川の部屋に何度も謝りに来たという。
- 114試合連続負けなしの記録は本人も2006年に愛敬尚史(東北楽天ゴールデンイーグルス)がこの記録に近づいて話題になった際まで知らなかったらしい。
- 近鉄時代、貴重な左のワンポイント・リリーフとして投手陣を支えていたが、当時ロッテに在籍していた西岡良洋との「左殺し」対決は一部のファンの間で伝説となっている。
[編集] 所属球団
- 広島東洋カープ(1984年 - 1991年途中、1998年)
- 近鉄バファローズ(1991年途中 - 1997年)
- 広島東洋カープ・二軍投手コーチ(1999年、2001年 - 2005年)
- 広島東洋カープ・一軍投手コーチ(2000年、2006年)
- オリックス・バファローズ・二軍投手コーチ(2007年)
[編集] 通算成績
年度 | 所属 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 打者 | 投球回 | 被本塁打 | 四球 | 死球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984 | 広島 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 4.50 |
1985 | 広島 | 12 | 0 | 0 | 0 | 63 | 15 1/3 | 2 | 3 | 0 | 17 | 7 | 5 | 2.93 |
1986 | 広島 | 50 | 0 | 0 | 1 | 166 | 42 1/3 | 4 | 10 | 2 | 45 | 14 | 12 | 2.55 |
1987 | 広島 | 41 | 0 | 0 | 1 | 163 | 42 1/3 | 2 | 7 | 0 | 37 | 10 | 10 | 2.13 |
1988 | 広島 | 39 | 3 | 1 | 1 | 172 | 41 1/3 | 5 | 10 | 2 | 43 | 14 | 13 | 2.83 |
1989 | 広島 | 44 | 3 | 2 | 0 | 145 | 33 2/3 | 4 | 16 | 3 | 40 | 12 | 10 | 2.67 |
1990 | 広島 | 22 | 0 | 0 | 0 | 84 | 18 | 3 | 7 | 0 | 18 | 10 | 8 | 4.00 |
1991 | 広島 | 4 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2/3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 13.50 |
1991 | 近鉄 | 30 | 2 | 3 | 4 | 115 | 28 | 4 | 10 | 0 | 30 | 8 | 7 | 2.25 |
1992 | 近鉄 | 36 | 2 | 2 | 5 | 172 | 44 | 7 | 10 | 0 | 49 | 18 | 15 | 3.07 |
1993 | 近鉄 | 23 | 1 | 0 | 0 | 91 | 21 | 3 | 5 | 2 | 25 | 8 | 8 | 3.43 |
1994 | 近鉄 | 37 | 0 | 0 | 0 | 77 | 18 1/3 | 1 | 10 | 1 | 16 | 6 | 6 | 3.18 |
1995 | 近鉄 | 39 | 1 | 1 | 0 | 131 | 33 2/3 | 5 | 12 | 1 | 28 | 11 | 11 | 2.94 |
1996 | 近鉄 | 44 | 1 | 1 | 0 | 71 | 17 | 1 | 5 | 0 | 18 | 6 | 6 | 3.18 |
1997 | 近鉄 | 7 | 0 | 0 | 0 | 17 | 3 | 1 | 2 | 1 | 3 | 5 | 5 | 15.00 |
1998 | 広島 | 9 | 0 | 0 | 0 | 13 | 3 1/3 | 0 | 2 | 0 | 3 | 1 | 1 | 2.70 |
通算 | 438 | 13 | 10 | 12 | 1495 | 364 | 42 | 112 | 12 | 375 | 132 | 119 | 2.94 |
[編集] タイトル・表彰
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
オリックス・バファローズ / サーパス - 2007
00 軒作 | 0 森山周 | 2 的山哲也 | 3 村松有人 | 4 阿部真宏 | 5 清原和博 | 6 トム・デイビー | 7 水口栄二 | 8 タフィ・ローズ | 9 平野恵一 | 10 大引啓次 | 11 川越英隆 | 12 歌藤達夫 | 13 吉田修司 | 14 岸田護 | 15 加藤大輔 | 16 平野佳寿 | 17 香月良太 | 18 山口和男 | 19 金子千尋 | 20 山本省吾 | 21 吉井理人 | 22 ユウキ | 23 北川博敏 | 24 後藤光尊 | 25 チャド・アレン | 26 加藤康介 | 27 日高剛 | 28 小松聖 | 29 ダン・セラフィニ | 30 グレッグ・ラロッカ | 31 塩崎真 | 32 ランス・カーター | 33 高木康成 | 34 本柳和也 | 35 大久保勝信 | 36 下山真二 | 37 辻俊哉 | 39 鴨志田貴司 | 40 前田大輔 | 41 松村豊司 | 42 萩原淳 | 43 菊地原毅 | 44 鈴木郁洋 | 45 光原逸裕 | 46 迎祐一郎 | 47 延江大輔 | 48 阿部健太 | 49 中山慎也 | 50 大西宏明 | 52 坂口智隆 | 53 相川良太 | 54 一輝 | 55 岡田貴弘 | 56 柴田亮輔 | 57 筧裕次郎 | 58 長田昌浩 | 59 梅村学人 | 60 牧田勝吾 | 61 町豪将 | 62 勝 | 63 吉良俊則 | 64 田中彰 | 65 近藤一樹 | 66 由田慎太郎 | 67 横山徹也 | 68 仁藤拓馬 | 69 土井健大 | 99 吉川勝成 | 113(育成選手) 柴田誠也 | 114(育成選手) 宮本大輔
1 監督 テリー・コリンズ | 81 大石大二郎 | 83 神部年男 | 75 ジョン・ディーバス | 89 真喜志康永 | 74 松山秀明 | 85 別府修作 | 78 米村理 | 80 赤川貴弘 | 96 二軍監督 住友平 | 70 清川栄治 | 87 赤堀元之 | 76 大島公一 | 82 三輪隆 | 77 弓岡敬二郎 | 79 内匠政博 | 72 吉原孝介 | 88 安田昌玄 | 84 本屋敷俊介 |