海峡植民地
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海峡植民地(かいきょうしょくみんち、Straits Settlements, 1826年~1867年)は19世紀のマレー半島におけるイギリス東インド会社植民地の集合体の名称。ペナン、マラッカ、シンガポールよりなる。
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[編集] 沿革
[編集] 前史
イギリスは、1623年にモルッカ諸島のアンボン島で起きたアンボイナ虐殺事件を契機として、東インド諸島から全面的に撤退を余儀なくされ、インド経営に専念するが、18世紀後半以降、中国との広東貿易が隆盛し、また19世紀初めのナポレオン戦争の結果、東インドを支配していたオランダの勢力が後退したので、再び東南アジアに進出するようになった。その橋頭堡となったのがマレー半島である。
[編集] ぺナン植民地
インドと広東を結ぶ中継港の必要性を痛感していたイギリス東インド会社は、1786年、マレー半島西海岸のクダー王国のスルタンと条約を結んでペナン島を割譲させた。クダー王国はタイのアユタヤ王朝や外来マレー人勢力ブギス族から国を守るために強力な保護者を必要としていた。ペナン島はイギリス植民地としてプリンス・オブ・ウェールズ島と命名され、ジョージタウンが建設された。ペナン島はイギリス人総督が派遣され、インドのベンガル総督府の管轄下に置かれた。さらに1800年にはクダ王国に迫ってペナン島対岸の土地も割譲させ、ウェルズリー地方と命名した。
イギリスはペナンを自由貿易港としたため、急速な発展を遂げた。1801年、自由貿易港の指定を解除したために一時衰退したが、海峡植民地成立によって再び自由貿易港となった。ただその経済的繁栄は次第にシンガポールに奪われていった(後述)。
[編集] マラッカ植民地
マラッカ海峡を臨むマラッカの町は、1645年以来、オランダの支配下にあったが、フランス革命の余波を受けてオランダ本国がフランスの勢力下に入ると、イギリスは1795年にマラッカをはじめとするオランダ領東インドの各地を占領した。
ナポレオン戦争終結後の1818年、イギリスは同地をオランダに返還したが、その後、1824年の英蘭協定によって、イギリスはスマトラ島西海岸にあった英領ベンクーレン植民地と引き換えにオランダからマラッカを獲得した。それまでイギリスとオランダの植民地がマレー半島とスマトラの各地に混在していたが、この協定で両植民地の境界が画定した(今日のマレーシアとインドネシアの国境線はこれに由来する)。
[編集] シンガポール植民地
シンガポールは、この島の地政学的重要性に目を付けた東インド会社員トーマス・ラッフルズによって、1819年にジョホール王国から割譲された。以後、イギリスはこのシンガポールを自由貿易港に指定して東南アジア貿易の拠点とした。
シンガポール港は、中国をはじめとする各地との貿易が急増したことで、次第に経済的に台頭した。中国で起きた阿片戦争後の1845年、香港とシンガポールを結ぶ定期航路も開設された。欧州との関係では1869年に開通したスエズ運河が遠洋航路の所要時間を短縮した。
[編集] 海峡植民地の成立
1826年、イギリス東インド会社はこれら3植民地を統合して海峡植民地とし、インドのベンガル総督府の管轄下でペナンに海峡植民地知事が駐在した。首府となったペナンの人口は1860年には125,000人(ウェルズリーを含む)を数え、海峡植民地中首位であった。植民地には中国とインドから移民が流入し、労働力を提供したが、中国人の秘密結社が治安上の問題となることもあった。
イギリスはマレー半島西海岸のスルタン諸国に産出するスズの利権を確保するため、1876年のバンコール条約以来、ペラク、スランゴール、ヌグリ・ペランゴール及び後背地パハンのマレー系スルタン国に次第に介入していった。ただ、スズを産出しない東海岸のクランタン、トレンガヌやジョホールにはさほど興味を示さなかった。これら東海岸のスルタン国がイギリスの保護下に置かれるのは20世紀に入ってからである。
[編集] 英領マラヤの成立
シンガポール在住イギリス商人たちは海峡植民地のインドへの従属に反対し、インド植民地からの分離と植民地議会の設立を訴えた。その要請に応えるとともに、海峡植民地の財政が印紙法の成立によってバランスが取れるようになったため、1867年、海峡植民地はイギリス植民地省の管轄に移された。東インド会社の所管を離れても海峡植民地の名前はそのまま使われたが、ロンドンから直接派遣される新総督はシンガポールに駐在した。
1896年、イギリスはペラク、スランゴール、ヌグリ・スンビラン、パハンの4カ国を統合してマレー連合州を結成し、統監をクアラルンプールに置いた。ここにおいて、イギリスの直接支配地である海峡植民地とその保護国からなるマレー連合州を構成する英領マラヤが成立した。