背広
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背広(せびろ)とはスーツ (suit) 聞く! ?一般(主としてビジネス用)を指す言葉で、男子が平服として用いる洋服。共布で作った上着とズボンが一組となったものをいい、更に共布のウェストコート(チョッキ、米語ではヴェストvest)を加えたものは「三つ揃い」という。上着の下にワイシャツを着用し、ネクタイを結ぶ。また、単に上衣のみをいうこともある。
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[編集] 語源
語源については、次のような諸説がある。
- 英語の軍服に対比される市民服「シビル・クロウズ」(civil clothes)が訛ったという説。
- 背広服を売り出したスーツの発祥地でもあるロンドンの仕立屋街「サヴィル・ロウ」(Savile Row(英語版))が訛ったという説。
- モーニングコートの背幅が細身で狭いのに対して、背幅が広かったから背広と呼んだ、仕立て職人の慣用語から一般化したという説。
- 紳士服の源流である燕尾服に用いられるテイルコートは、背面から見たときに背の部分が広く見えるため、という説。
[編集] 沿革
イギリスでラウンジ・スーツ(Lounge Suit)、アメリカでサック・スーツ(Sack Suit)と呼ばれ、19世紀に登場したもので、当初はレジャー用だった。しかし19世紀の末から20世紀の初頭にかけてアメリカのビジネスマンがビジネスウェアとして着用し始め、その後世界的に普及した。
元々スーツの元祖である正統派スーツはスリーピース・スーツであり、英国で生まれたスーツは貴族紳士の嗜みとされていた。アメリカ人も入植初期の頃はイギリス様式そのままのスリーピーススーツを着用し、シングルなど存在しなかった。シングルやダブルは正統派スーツを簡略化したもので着用様式も簡略化したものである。
日本では幕末末期~明治時代以降着られるようになる。その頃のスーツはイギリス製、アメリカ製、フランス製が主流だったが、当時はスリーピーススーツしかなかったので当時の日本人が着たスーツはいずれもスリーピース・スーツであった。但し、着用したのは専ら政治に関連する者(学者や国政に関与する政治家や政府役人)で、大半の日本人は和装が主流だった。
今現在でもこの風潮が残っており、市民階級のビジネスマンはシングルでも良いが、国家に近い公務員や特に国家公務員や学者はスリーピーススーツを好んで着用する風潮がある。
制服(軍服)としては、長らく立襟型のジャケットが用いられてきたが、市民服としての背広の一般化に伴い、制服として背広型が採用されることも多くなってきた(詳細については軍服・学生服の項も参照)。
第二次世界大戦以降は、2つボタンが主流であったが、1990年代頃より3つボタンも再度普及する。
日本ではバブル期にダブルが流行した。現在は若い世代を中心にシングル3つボタンが主流。中年以上の世代ではシングル2つボタン、ダブルもしばしば見受けられる。ダブルには身体を大きく見せる効果があるため、現在でも教師や警察官、官僚など、他人より優位に立つべき職種に就く人々に好まれる傾向にある。また、暴力団関係者などは威圧感を高める為にダブルを着用することが多い。1990年代中頃からはマオカラースーツを着用する暴力団関係者も増えている。
なお、歴代天皇の背広姿には特徴がある。昭和天皇は1921年(大正10年)の洋行以降、平常時は背広を着用するようになった。昭和天皇の背広は、三つ揃いで、上衣はシングルのものが主流であった。これは昭和天皇が親王時代の、教養ある紳士の代表的な背広姿である。後に三つ揃いがすたれるようになってきても、昭和天皇はこの服装を守り続けた。今上天皇は、ダブルの上衣を愛用している(タキシードもダブルで剣襟のものを愛用する)。徳仁親王は、ウェストコートなしのシングルの背広を主に着用するが、ブレザー姿も比較的見られる。これらの服装の変遷は、その人の育った時代の服装の影響を受けている点で注目に値する。
[編集] 細部
- 襟
- 下襟(ラペル)と上襟(カラー)からできている。ノッチドラペル(菱形襟)・ピークドラペル(剣襟)・ショールカラー(へちま襟)・マオカラー(立ち襟)等がある。シングルはノッチドラペル、ダブルはピークドラペルが本来の形状だが、現在はどちらも関係なく使用される。
- フラワーホール
- 左襟のみ又は両襟に第一ボタンの名残の穴がある。これがフラワーホールであり、勲章の略綬や各種記章、花などを挿す。ノッチドラペルは左襟のみ、ピークドラペルは両襟にあることが多い。
- ボタン
- 材質はプラスチックや金属、貝殻、動物の角、植物(椰子など硬質なもの)など様々。前打合せのボタンの数はシングルが1~4個、ダブルが2~6個。ダブルは4つボタン1つ掛け、6つボタン1つ掛け、4つボタン2つ掛け、6つボタン2つ掛け、6つボタン3つ掛け、2つボタン1つ掛けに分かれる。シングル、ダブル共に2つ掛け以上の場合は最下部のボタンを外すのが正式。しかしバランスの問題からか、ダブル6つボタン2つ掛けの場合のみ全てのボタンを留めるのが現在の主流となっている。
- 腰部(ウエスト、waist)の絞り
- ダーツ(dart)によって腰部を絞る。
- 裾丈
- 前も後ろも腰丈まで。そもそも、前後裾とも長いフロックコートの前裾が簡略化されてモーニングコートとなり、モーニングコートの後裾が簡略化されて背広型となった。モーニングコートの名残で、シングルの背広の場合、前裾が丸く切られているものが多い。
- ベント(vent)
- 馬乗り用の後裾の切込み。ないのがノーベント、中央に一本がセンターベント、両脇にあるのがサイドベンツ、また鍵状となっているフックベントもある。シングルには全て使われるが、通常ダブルにはセンターベントは使われない。現在は全体的にサイドベンツが主流となりつつあるが、細身のスーツにおいてはセンターベントが主流である。なお、「ベント」(vent)は単数形なので、切れ目が複数の場合は「ベンツ」(vents)となる。
- 袖ボタン
- 袖口に付いているボタンで、数は1~4個。シングル2つボタンであれば3個、ダブル6つボタンであれば4個と、ジャケットのボタン数(ダブルは全ボタン数の半分)より1つ多い個数を付けるのが通常。例外としてシングル4つボタンの場合、袖ボタンが5個では数が多くバランスが悪くなるため、袖ボタンの数は4個が普通である。また、シングル1つボタンやダブル2つボタンの場合も、バランスの問題からか袖ボタンは4個であることが多い。
- 本切羽
- 袖のボタンが開閉できるようになっている仕様。医者が手術の際、腕まくりをし易く工夫したのが始まり。
- 材質
- 表地は羊毛(ウール)が多い。それ以外に化学繊維(ポリエステルなど)等が混紡されたものや、麻(夏物に多い)、木綿、絹(シルク)のものもある。
- ズボン(英語trousers、米語pants)
- ベルト(belt)又はズボン吊り(英語braces、米語suspenders)を使用する。スリーピース・スーツの場合はズボン吊りを使用するのが正式。
[編集] 背広の一般化
20世紀半ばの礼装の簡略化に伴い、従来はモーニングコート、ディレクターズスーツ又はタキシードを着用すべき場合にあっても、黒色を含むダークスーツで許される場合が増えている。
例えば、勲章等着用規程(昭和39年総理府告示第16号)第3条により、宝冠藤花章以下の宝冠章、旭日小綬章(旧勲四等)以下の旭日章、瑞宝小綬章以下の瑞宝章、褒章又は記章を着用する場合には平服に着用することができるものとされている。ここにいう平服とは背広服をいう。
但し、大綬章の副章、中綬章以上の勲章及び文化勲章を着用する場合にはフロックコート等に、頸飾及び大綬章以上の勲章を着用する場合には燕尾服等に着用することができる。