超能力
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超能力(ちょうのうりょく)とは、テレパシー・透視・予知・念力などといった、超自然的な能力のこと。一般的には想像上のものとされるが、超能力を主要な研究対象とする超心理学という学問分野も存在する。もっとも、超心理学は科学哲学の立場からは疑似科学とされることが多い。
その一方で、超能力はSFにおいては人気の高い題材であり、単なる物語の小道具から人間や宇宙のあり方を見つめる哲学的主題にまで、広く用いられている。
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[編集] 概要
超能力は、ESP、PK、に分けられる。
ESP( extrasensory perception, en:Extra-sensory perception )は日本語では超感覚と呼ばれ、通常の人間には認識できない現象を認識し、時にはその現象に干渉する能力を指す。サイコメトリー(psychometry、接触感応)、クレヤボヤンス(clairvoyance、透視能力)、テレパシー(telepathy、精神感応)、プレコグニション(precognition、予知能力)、ヒュプノシス(hypnosis、催眠能力)などがある。
PK( en:Psychokinesis )は、日本語では念動力と呼ばれ、精神の力で、手を触れずに物を動かす能力や高熱・低温、電磁波などを発生させる能力などを指す。サイコキネシス(psychokinesis)が代表的。
また、この2つに分類されない能力もあるとされ、テレポート(瞬間移動能力)が代表的。
超能力は、限られた一部の人間が持つ能力であるとも、全ての人間が持っているが使えるものが少ないとも言われる。また、特にフィクションの領域では、少年・青年期に能力を発揮するというイメージで発達心理学とからめて語られることが多い。
超能力・超常現象関連の用語の接頭語としてよく見られるサイ- (psy-) とは、ギリシャ語で心・魂を意味するプシュケー (psyche) から来ている。
「超能力」という概念は、超常現象、とりわけ心霊現象に科学的な説明を与えようとして考え出されたものであり、存在すると主張される「霊能力」のほとんど全てについて、それぞれ対応する超能力が存在する。これらの両方が存在すると考える立場からは、霊能力が霊的存在に力を得ている、超能力は使用者に内在する力である、といった主張もある。
[編集] 研究機関、研究者
疑似科学であるため、日本の公的機関や大学などではほとんど研究がなされていない。在野の研究家は多く関連書籍などは比較的流通している。かつてはソニー社内にESP研究所が実在していた(現在は解散)。
[編集] 超能力の一覧
[編集] 超能力者
超能力を持つ人を超能力者と呼ぶ。
さらに細分化して、超感覚者(ESP能力者)の場合はエスパー又はスキャナー、テレパシー能力者はテレパス又はテレパシスト、サイコキネシス能力者の場合はサイコキノとよぶ。
[編集] エスパー
エスパーの語源は英語の Extra Sensory Perception(訳せば「超感覚的知覚」)を略したESPに接尾語"-er"をつけたESPerであり、これはクレヤボヤンス(透視、千里眼とも)、テレパシー、プレコグニション(予知)の3つを併せて言う言葉である。知覚能力を意味し、なんらかの物体に働きかける能力のことは本来指さない。スキャナーともいわれる。
本来、英語で超能力全般を意味する言葉は psi (ψ)または psionics であるが、現在日本では「エスパー」が超能力者全般を意味する言葉として使用されることが多い。
[編集] 超能力者と自称した人物
- エドガー・ケイシー
- ユリ・ゲラー
- ジーン・ディクソン
- 清田益章
- 長南年恵
- 御船千鶴子:千里眼
- エスパー伊東(彼がコメディアンであることは一応までに注記する)
- エスパー菅沼(エスパー伊東の弟子、エスパー伊東を参照)
※なお、Mr.マリックは超能力者と思われがちだが、実際はマジシャンである。また、本人がやっているマジックは「超魔術」と呼ばれる。
[編集] フィクションと超能力
[編集] 超能力と魔術
一般傾向として、超能力は科学的に解明されるべき能力とされ、現代や未来を舞台とするストーリーに登場する事が多い。これに対し魔法や魔術は科学的な説明の難しい不思議な力とされることが多く、一般にファンタジー作品で登場する。また、その能力者は先天的な才能が不可欠である事が多く、魔術者よりも 超能力者の方が 希少性が高い事が多い。
[編集] 超能力者チーム
テレパシー、透視・予知能力、テレポーテーション、念動力など、細分化された能力と長所・欠点は『キャラクター性』の表現となった。それぞれ異なる超能力の持ち主(専門家)数名がチームを組み、力をあわせて共通の目的を果たすという形式は、フィクション作品においてしばしば見られる。(『ファンタスティック・フォー』『エスパイ』『七瀬ふたたび』『絶対可憐チルドレン』、MOTHERシリーズ等)
[編集] 差別・迫害される超能力者
SFなどのフィクション作品では、超能力者たちはしばしば『常人と違う故に、畏れられ差別される』対象となり、それは作品テーマとなることが多い。そこにおいては超能力者は善悪かかわらず、その正体を隠さねばならない少数派(マイノリティ)である。(『超人ロック』『NIGHT HEAD』『Mr.インクレディブル』等)
[編集] 新人類としての超能力者
SFにおいては『ミュータント』『新人類』として、超能力者が位置づけられることがある。その場合、超能力を持たない『旧人類』から弾圧され、あるいは対立して戦う、決別して新天地を目指すなどの行動をたどることとなる。(『オッド・ジョン』『人間以上』『スラン』『地球へ…』等)
[編集] モダンホラーと超能力
スティーブン・キングやディーン・R・クーンツは、現代の恐怖と結びつけた新しい超能力者像を描いた。精神感応によって犯罪者の狂気に触れる恐怖や、強大すぎる自己の力による破滅などが、そこでは描かれる。この分野においてはオカルト、霊能力との境界線は曖昧である。人体を発火させたり、破壊する映像は、しばしばスプラッタ・ムービーと結びついた。
[編集] 超能力の“リアルな”映像
大友克洋は『童夢』『AKIRA』において、緻密な作画に裏打ちされたリアルな超能力像を描いた。『見えない力で破壊される壁や建物』『球体に歪む空間』等の新しいヴィジュアルは、その後の漫画や映像作品に大きな影響を与えている。
[編集] 超能力バトル
少年漫画などでは、超能力者同士の戦闘が描かれる事が多い。魔法使い同士の戦闘に比べ、その能力が よりトリッキーかつ限定的である分、勝敗が単なる能力や破壊力の強さだけでは定まらず、その能力の使い方に大きく左右される頭脳戦的な魅力がある。これにより、バトル漫画がよく陥りがちな「パワーインフレ」状態を避けることにも貢献している。
[編集] 超能力を扱ったフィクション
ここでは、超能力を中心的なモチーフとするものを挙げる。並び順は原則として、作品名を基準に五十音順→アルファベット順とする。
[編集] 小説
- エスパイ(小松左京)
- オッド・ジョン(オラフ・ステープルドン)
- 学園超女隊シリーズ(団龍彦)
- 家族八景シリーズ(筒井康隆)
- 家族八景
- 七瀬ふたたび
- エディプスの恋人
- ガダラの豚(中島らも)
- 学校を出よう!(谷川流)
- クロスファイア(宮部みゆき)
- 幻魔大戦シリーズ(平井和正)
- 戯言シリーズ(西尾維新)
- 涼宮ハルヒシリーズ(谷川流)
- とある魔術の禁書目録 (鎌池和馬)
- スラン(A・E・ヴァン・ヴォークト)
- 空の境界(奈須きのこ)
- 人間以上(シオドア・スタージョン)
- 鋏の記憶(今邑彩)
- ピープルシリーズ(ゼナ・ヘンダースン)
- 果てしなき旅路
- 血は異ならず
- NIGHT HEAD(飯田譲治)
- 悪霊シリーズ(小野不由美)
[編集] 漫画作品
- イナズマン(石ノ森章太郎)
- イ・オ・ン(種村有菜)
- ジャスティ(岡崎つぐお)
- エスパー魔美(藤子・F・不二雄)
- 学園アリス(樋口橘)作中では「アリス」という能力である。
- かみちゃまかりんシリーズ(コゲどんぼ)
- GANTZ(奥浩哉)
- きまぐれオレンジ☆ロード(まつもと泉)
- 幻魔大戦(石ノ森章太郎・平井和正)
- サイコメトラーEIJI(安童夕馬・朝基まさし)
- ジョジョの奇妙な冒険(荒木飛呂彦)
- 私立彩陵高校超能力部(石田あきら)
- スター・レッド(萩尾望都)
- 絶対可憐チルドレン(椎名高志)
- だぁ!だぁ!だぁ!(川村美香)
- タイムウォーカー零(飛鷹ゆうき)
- 超人ロック(聖悠紀)
- 地球へ…(竹宮惠子)
- 童夢(大友克洋)
- バビル2世(横山光輝)
- ファンタスティック・フォー(スタン・リー&ジャック・カービー(マーベル・コミック))
- ピーターパン症候群(酒井まゆ)
- ミラクル☆ガールズ(秋元奈美)
- ぼくの地球を守って(日渡早紀)
- AKIRA(大友克洋)
- ARMS(皆川亮二)
- E'S(結賀さとる)
- MAYA 真夜中の少女(本島幸久)
- Pシリーズ(北原文野)
- X (漫画)(CLAMP)
[編集] ゲーム
- エスプレイド
- サイキックフォースシリーズ
- 星をみるひと
- マインドシーカー
- ATHENA ~Awakening from the ordinary life~
- MOTHERシリーズ