鈴木伸一
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鈴木伸一(すずき しんいち)
- 鈴木伸一はアニメーション作家、漫画家。本稿で記述。
- 鈴木伸一 (マジックバス)はアニメーション制作会社「マジックバス」所属のアニメーター。この項の人物とは別人。
- 鈴木伸一 (植物学者)は作新学院大学非常勤講師。
- 鈴木伸一 (俳人)は俳人。上毛新聞社俳壇選者。
鈴木伸一(すずき しんいち、1933年12月4日 - )、はアニメーション作家・漫画家。長崎県長崎市出身。日本アニメーション協会会員。アニメ製作グループ「G9+1」のメンバー。杉並アニメーションミュージアム館長。
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[編集] 人物
藤子不二雄の漫画のキャラクター、『小池さん』のモデルとなった人物。又、『オバケのQ太郎』のキャラクター「伸ちゃん(伸一)」についても「友人から名前を借りた」と藤子作品で紹介されている。なお「小池さん」同様、鈴木本人もラーメン好きであるという。
中学校時代より雑誌「漫画少年」に漫画を投稿をする。1953年の中学卒業後、漫画家の中村伊助を頼りに上京し、下宿しながら(この下宿先の表札が「小池」姓であった)会社員として勤めた。トキワ荘に引っ越してからはデザイン会社に勤めながら細々と漫画を描いたりしていた。その時期の、森安なおやとの奇妙な同居生活が有名。1956年、漫画家の横山隆一率いる「おとぎプロダクション」にアニメーターとして入社。入社試験は『カバの逆立ち』を描く事だったという。
おとぎプロ退社後は、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石ノ森章太郎、つのだじろう、赤塚不二夫らとスタジオ・ゼロを設立。テレビアニメ制作を中心に活動した。ちなみに原案を手がけた『レインボー戦隊ロビン』の漫画版の名義である『風田 朗(かぜた・あきら、ふうたろう)』は鈴木の漫画投稿時代のペンネームである。また漫画家仲間から仇名として「風(ふう)ちゃん」と呼ばれている。初期スタジオ・ゼロは1971年に解散したが、その後も鈴木の個人事務所として名前のみが残っている。1976年、カナダ国際アニメーション・フェスティバルに作品が入選。
現在も数々のアニメ作品に精力的に関わり、近年ではユネスコ・アジア文化センターの識字教育、環境問題アニメ「ミナの村シリーズ」の演出を手がけるなど、世界的にも著名なアニメーターである。又、東京アニメーター学院の特別講師も務めるなど、新人育成の場でも活躍している。
[編集] 主な作品
[編集] おとぎプロ時代
- ふくすけ
- ひょうたんすずめ
- おとぎの世界旅行
- プラス50000年
- まんがカレンダー
[編集] スタジオ・ゼロ以降
- 鉄腕アトム「ミドロヶ沼の巻」(作画監督、演出)
- オバケのQ太郎(パイロット版)
- レインボー戦隊ロビン(作画監督)
- おそ松くん[旧](作画監督、演出)
- パーマン[旧](作画監督)
- 怪物くん[旧](作画監督、演出)
- ウメ星デンカ(演出)
- 佐武と市捕物控(演出)
- 新オバケのQ太郎(演出)
- おたのしみアニメ劇場(監督、演出)
- となりのたまげ太くん(作画監督、演出)
- 星の子チョビン(監修)
- ぼくらマンガ家トキワ荘物語(監督)
- 忍者ハットリくん(監修)
- パーマン[新](監修)
- 大自然の魔獣 バギ(原画)
- オバケのQ太郎[新](監修)
- ジャングル大帝[新](原画)
- 森の伝説 PART-1(原画)
- パラソルヘンべえ(作画監督)
- チックンタック
- ミナの村シリーズ(演出)
- おじゃる丸(オープニング作画)
- アストロボーイ・鉄腕アトム(作画監督)
- 冬の日
[編集] 劇場作品
- 火の鳥-黎明編(動画演出)
- 火の鳥2772(原画)
- 忍者ハットリくん ニンニン忍法絵日記(監修)
- 忍者ハットリくん ニンニンふるさと大作戦(監修)
- パーマン バードマンがやってきた!(監督、作画監督)
- 忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ(監修、作画監督)
- 忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵(監修)
[編集] 自主制作
- 点
- ひょうたん
- バブル
- ぎゃぐめんそう
[編集] その他
- 驚きももの木20世紀 トキワ荘の時代~マンガが青春だったころ~(監督)
- フィルムは生きている 手塚治虫フィルモグラフィー 1962-1989(タイトル字幕デザイン)
- ライオン 『ピコレット』TVCM
- コロコロ文庫 大長編ドラえもん(表紙イラスト)